第68話
文字数 2,031文字
見ると一人の若い男が肩をすぼめて歩いてくる。
狐は自分の胸をぽんと叩いて言った。
「よし、まずはおいらがやってみよう」
大きな葉っぱを頭に乗せ両手で印を結ぶと、白い煙が出てたちまち狐は若い女の姿になった。ただし顔は、のっぺらぼうだ。
「うふふ、じゃあこの姿でちょっと人間をからかってくるよ」
「うむ、お手並拝見といこうじゃないか」
狐は道ばたへしゃがみ込むと、小袖のたもとで顔を覆った。そこへ先ほどの男が近づいてくる。
(ここへ通りかかったのが運の尽きさ――)
内心ほくそ笑みながら狐は声をかけられるのを待った。しかしいっこうに話しかけられる様子はない。不審に思って振り返ると、男はすでにわきを通り抜けどんどん歩み去っていくところだった。
(あれ? おかしいな、おいらのことに気付かなかったのかな……)
すると今度は若い女がやってきた。
(よし、今度は無視されないよう、こちらから声をかけてみよう)
狐は道ばたへたたずんで物悲しい声を出した。
「もし、そこのおかた。持病の癪で動けません。どうか助けてくださいまし」
しかし女は顔を向けようともしない。じれた狐は、少し声を大きくした。
「あのう、もしもし。ちょっとそこのあなた、聞こえてますか?」
女は一瞬立ち止まりちらっと狐のほうを盗み見たが、すぐにまた歩き出した。狐の立っているあたりを迂回するように通り過ぎてゆく。
「……な、なんなんだよいったい」
物陰から見ていた狸は大笑いした。
「あはは、全然ダメじゃないか」
「くそう、なにがいけないっていうんだ」
「きみの技が未熟なのさ。どれ、今度はおれがやってみるから、まあそこで見ていなよ」
狸は葉っぱを頭へ乗せると、どろんと三つ目入道に化けた。
「わはははっ、こら、そこの女っ!」
ちょうどまえを通りかかった女に向かって叫ぶ。しかし女はまったく歩調をゆるめず、すたすたと通り過ぎようとした。狸はさらに声を張りあげた。
「そうやって、おれ様を怒らせる気だな。ようし見ていろ。今からきさまをひっつかまえて、頭からばりばり食って……ってこら聞いてんのか。無視すんじゃねーよこのやろう!」
見ると女はイヤホンで音楽を聴きながら歩いていた。狸の声はまったく耳に届いていないようだ。
「お、おい、ちょっと……」
とうとう女は気づかないまま行ってしまった。
「ちくしょう、ふざけやがって。こうなったら実力行使だっ!」
狸は、次にやってきた男のまえに立ち塞がると、両手を広げて通せんぼうをした。
「おいきさまっ、ここを通りたければ――」
どんと男に肩をぶつけられ、歩道のうえにひっくり返る。男はスマートホンから顔をあげると一瞬だけ狸のほうを見たが、なにごともなかったように、そのまま行ってしまった。狸はアスファルトへ打ちつけた腰をさすりながら、とぼとぼと狐のもとへ引き返してきた。
「なんてことだ……。今時の人間ときたら、他人にぜんぜん関心をしめさない。困っている人や怒っている者がいても、顔を向けようともしないんだから」
狐もうなずく。
「本当にそのとおりさ。しかもあれを見てみろよ――」
狐があごをしゃくる先、道路脇に停められた車の窓から、だれかがこちらへスマートホンを向けていた。
「他人に興味がないと思いきや、ああやって隠し撮りなんかしていやがる。SNSで動画を晒して、みんなで笑い者にしようって魂胆さ」
「まったく、なんて世の中になっちまったんだ……」
二匹はこうべを垂れ、とぼとぼと河川敷の草原へ消えて行った。
『エレクトロ・ワールド』【りきてっくす→るうね】
課長がトイレへ行っているすきに営業日報を提出し「お先に失礼します」と言ってフロアを飛び出した。途中で同僚に呼び止められ一緒に焼肉へ行かないかと誘われたけど、もちろん断る。総務の女の子たちも来るんだぜとか言ってたけど、そんなのどうだっていい。
だって今夜は、仲間たちとの約束があるのだ。
通勤電車に揺られ自分のアパートへ帰る。ネクタイを解くのももどかしく、パソコンを立ちあげた。アプリケーションを起動して専用のヘッドギアをつける。高鳴る胸をおさえ「enter」という文字をクリック。ブゥーンという低周波ノイズが起こった次の瞬間、目のまえの景色は一変していた。薄暗い部屋でパソコンに向かっていたはずのぼくの体は、いつの間にか木漏れ日のそそぐ屋外のワンシーンへと移動していた。
そこは中世ヨーロッパを基調に、現代と近未来がミックスしたような不思議な空間だった。
天空にキラキラと文字が浮かびあがる。
《 WELCOME TO THIS OPEN WORLD 》
「いつ見ても飽きない景色だよな」
集合場所にしている泉のほとりには、まだ誰も来ていなかった。ぼんやりと空を見あげる。翼竜のような尻尾の長い生き物が二匹、はるか上空をゆっくり旋回していた。
「とおっ」
不意に背中を突かれ振り返ると、剣をななめに背負ったネコ耳娘が立っていた。
「お待たせしたニャー」
狐は自分の胸をぽんと叩いて言った。
「よし、まずはおいらがやってみよう」
大きな葉っぱを頭に乗せ両手で印を結ぶと、白い煙が出てたちまち狐は若い女の姿になった。ただし顔は、のっぺらぼうだ。
「うふふ、じゃあこの姿でちょっと人間をからかってくるよ」
「うむ、お手並拝見といこうじゃないか」
狐は道ばたへしゃがみ込むと、小袖のたもとで顔を覆った。そこへ先ほどの男が近づいてくる。
(ここへ通りかかったのが運の尽きさ――)
内心ほくそ笑みながら狐は声をかけられるのを待った。しかしいっこうに話しかけられる様子はない。不審に思って振り返ると、男はすでにわきを通り抜けどんどん歩み去っていくところだった。
(あれ? おかしいな、おいらのことに気付かなかったのかな……)
すると今度は若い女がやってきた。
(よし、今度は無視されないよう、こちらから声をかけてみよう)
狐は道ばたへたたずんで物悲しい声を出した。
「もし、そこのおかた。持病の癪で動けません。どうか助けてくださいまし」
しかし女は顔を向けようともしない。じれた狐は、少し声を大きくした。
「あのう、もしもし。ちょっとそこのあなた、聞こえてますか?」
女は一瞬立ち止まりちらっと狐のほうを盗み見たが、すぐにまた歩き出した。狐の立っているあたりを迂回するように通り過ぎてゆく。
「……な、なんなんだよいったい」
物陰から見ていた狸は大笑いした。
「あはは、全然ダメじゃないか」
「くそう、なにがいけないっていうんだ」
「きみの技が未熟なのさ。どれ、今度はおれがやってみるから、まあそこで見ていなよ」
狸は葉っぱを頭へ乗せると、どろんと三つ目入道に化けた。
「わはははっ、こら、そこの女っ!」
ちょうどまえを通りかかった女に向かって叫ぶ。しかし女はまったく歩調をゆるめず、すたすたと通り過ぎようとした。狸はさらに声を張りあげた。
「そうやって、おれ様を怒らせる気だな。ようし見ていろ。今からきさまをひっつかまえて、頭からばりばり食って……ってこら聞いてんのか。無視すんじゃねーよこのやろう!」
見ると女はイヤホンで音楽を聴きながら歩いていた。狸の声はまったく耳に届いていないようだ。
「お、おい、ちょっと……」
とうとう女は気づかないまま行ってしまった。
「ちくしょう、ふざけやがって。こうなったら実力行使だっ!」
狸は、次にやってきた男のまえに立ち塞がると、両手を広げて通せんぼうをした。
「おいきさまっ、ここを通りたければ――」
どんと男に肩をぶつけられ、歩道のうえにひっくり返る。男はスマートホンから顔をあげると一瞬だけ狸のほうを見たが、なにごともなかったように、そのまま行ってしまった。狸はアスファルトへ打ちつけた腰をさすりながら、とぼとぼと狐のもとへ引き返してきた。
「なんてことだ……。今時の人間ときたら、他人にぜんぜん関心をしめさない。困っている人や怒っている者がいても、顔を向けようともしないんだから」
狐もうなずく。
「本当にそのとおりさ。しかもあれを見てみろよ――」
狐があごをしゃくる先、道路脇に停められた車の窓から、だれかがこちらへスマートホンを向けていた。
「他人に興味がないと思いきや、ああやって隠し撮りなんかしていやがる。SNSで動画を晒して、みんなで笑い者にしようって魂胆さ」
「まったく、なんて世の中になっちまったんだ……」
二匹はこうべを垂れ、とぼとぼと河川敷の草原へ消えて行った。
『エレクトロ・ワールド』【りきてっくす→るうね】
課長がトイレへ行っているすきに営業日報を提出し「お先に失礼します」と言ってフロアを飛び出した。途中で同僚に呼び止められ一緒に焼肉へ行かないかと誘われたけど、もちろん断る。総務の女の子たちも来るんだぜとか言ってたけど、そんなのどうだっていい。
だって今夜は、仲間たちとの約束があるのだ。
通勤電車に揺られ自分のアパートへ帰る。ネクタイを解くのももどかしく、パソコンを立ちあげた。アプリケーションを起動して専用のヘッドギアをつける。高鳴る胸をおさえ「enter」という文字をクリック。ブゥーンという低周波ノイズが起こった次の瞬間、目のまえの景色は一変していた。薄暗い部屋でパソコンに向かっていたはずのぼくの体は、いつの間にか木漏れ日のそそぐ屋外のワンシーンへと移動していた。
そこは中世ヨーロッパを基調に、現代と近未来がミックスしたような不思議な空間だった。
天空にキラキラと文字が浮かびあがる。
《 WELCOME TO THIS OPEN WORLD 》
「いつ見ても飽きない景色だよな」
集合場所にしている泉のほとりには、まだ誰も来ていなかった。ぼんやりと空を見あげる。翼竜のような尻尾の長い生き物が二匹、はるか上空をゆっくり旋回していた。
「とおっ」
不意に背中を突かれ振り返ると、剣をななめに背負ったネコ耳娘が立っていた。
「お待たせしたニャー」