第76話

文字数 1,687文字

 このピンチを切り抜けるには、まず悪漢どもの只中を突破して、火の海をかいくぐり、その向こうにある公園のトイレで用を足さなければならない。
 はたして、そんなことが可能か?
 いや迷っている暇はない。今にもうんこが漏れそうなのだ。
 俺はスニーカーのヒモをしっかりと結びなおした。
 とそのとき公園のほうから無数のゾンビが這い寄ってくるのが見えた。
 今度はゾンビか。
 俺はなんて運が悪いんだ。
 これじゃ悪漢どもを振り切ったとしても、その後ゾンビに食われてしまう。
 反対側へ逃げようか?
 いや、後ろは岸壁で、その向こうは東京湾だ。
 いっそ海へ飛び込むか? 泳ぎなら少しはできる。しかし無事にどこかの岸へ泳ぎ着くには、そうとうな体力が必要だ。
 そもそも、うんこが間に合いそうもない。
 いや待てよ。飛び込むと同時にパンツをおろし、海の中にしてしまうというのはどうだろう?
 おしっこなら子供のころ何度も海の中でやったことがある。うんこだって……。
 うむ、これはグッドアイデアかもしれない。
 と思っていたら、今度は海面から巨大怪獣が姿をあらわした。
 くそっ、ピンチがピンチを呼ぶ展開だ。もう海へ逃げることもできなくなった。
 もう終わりだ。
 こんなことなら美味しい料理をもっと食べておくべきだった。恋人のウサ子ともいっぱいデートをしておけばよかった。
 もうすべて無理だ。だって俺はここで死ぬのだから……。
 と思っていたら、まず悪漢とゾンビの戦いが始まった。
 マシンガンが火を吹き、銃弾をかいくぐったゾンビが悪漢どもへ噛みつく。両者は次々と倒れていった。
 その様子を見ていた怪獣が、くちからヘドロを吐いた。
 わずかに生き残った悪漢やゾンビたちも、悪臭を放つヘドロの中へ埋もれてゆく。
 ついでにヘドロの風圧で、燃え盛っていた火が消えていった。
「……」
 騒動のまっ只中に取り残された俺は、ただ唖然とその様子を見つめていた。
 怪獣は思う存分ヘドロを吐き終わると、また海の中へ帰っていった。
 けっきょく俺は、悪漢に撃たれることも、ゾンビに食われることも、怪獣にやられることもなく生きていた。
 やった……俺は助かったのだ。
 と安堵したとたん、うんこを漏らした。



『三成襲撃』【りきてっくす→るうね】



「フン、治部づれが、太閤殿下の覚えめでたきをよいことに、これまでさんざ専横を働きおったが――」
 酒気にどろりと濁った目を細めて、加藤清正が息をついた。
「その殿下も今は世になく、きゃつらを最後まで庇い立てしてきた加賀殿も先年亡くなられた。もはや文弱な奉行どもを擁護するものなど家中にはおらん」
 大坂城下に居を構える清正のもとへ、豊臣恩顧の武将が顔をそろえていた。どれも百戦錬磨の強者たちで、後の世に七将と呼ばれる面々である。謀議の席にもかかわらず、彼らはひどく酔っていた。
「忘れもせぬわ」
 かわらけの杯をひとくち舐めて、福島正則が後をつづける。
「唐入りの折り、あの蒼びょうたんは、ウルサン攻略で手こずるわれらを嘲弄し、あることないこと殿下へ讒言したのだ。おかげでこっちは、後でひどいお叱りを受けた」
「戦場で命を張ってきたわれらを、いのしし武者と侮りおって」
 細川忠興が、ギリっと歯を鳴らした。
「われらこそが、正統なる豊臣の臣であるというに……」
「されば、おのおのがた――」
 一同をゆっくりと見まわして、黒田長政が言った。
「手筈どおり、ひそかに手勢を集めてある。あとは治部少丸へ向けて、一気に兵を押し出すだけじゃ」
「ようし、仕掛けるか」
 藤堂高虎が目を光らせる。蜂須賀家政も杯を置いて、ひざを叩いた。
「治部めに思い知らせてくれようぞ」
「――あいや、しばらく」
 清正が場を制して、主室の奥にひっそりと座る老人を見返った。
「お聞きのとおり、われらの意思は固まっておりまする。されば今一度、内府殿のご存念をうけたまわりたい。治部少輔成敗の件、内府殿はいかが思し召しか?」
 居合わせた六人の視線が、一斉にそのほうへそそがれる。
 ややあって『春風駘蕩』と墨書された軸を背に、それまで沈思していた徳川家康がゆっくりと口を開いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み