第2話

文字数 2,483文字

「ちょっと待つヨロシ」
 それは、中国服がはちきれんばかりに肥満したおっさんだった。どじょうひげの伸びた顔に、満面の笑みをたたえている。
「わたし、あなたたちの問題解決できるよ」
 二人は顔を見合わせてから、おっさんに問いかけた。
「……あなた誰?」
「わたし大連医科大学で生体情報メカニズムの研究している、偉いえらい学者アル」
「その偉い学者さんが、僕たちをどうしようっていうの?」
「フム、人間嘘つくと、かならず生理反応にあらわれるな」
 彼は右手に提げていたアタッシュケースから、なにやらおかしな機械を取り出した。
「これ、超革新的、画期的な最新型の嘘発見器ね」
「やだ、キモーい」
 女性が顔をしかめた。
 機械は五〇センチ角ほどの立方体で、正面にローマの海神であるオケアノスの顔が彫られている。
「この口の部分へ手を突っ込んで嘘をつくと、抜けなくなるな」
「なんか映画ローマの休日に出てきた、真実の口みたいだな」
 おっさんは二人を交互に見くらべながら言った。
「さあ、どちらでもいい、自分が嘘つきじゃない証明したいならば、ここへ手を突っ込むヨロシ」
 女性が、肩を小突いた。
「あなた、やってみなさいよ」
 男性が言い返す。
「やだよ、君のほうこそ自分の正当性を証明すればいいじゃないか」
「なによ怖いの? いくじなし」
「怖いもんか。でも言い出しっぺの君からやるべきだ」
 ふたたび言い争いを始めた二人だが、急に思い立っておっさんの方を睨みつけた。
「ちょっと待って。あなたもしかして私たちの口論にかこつけて、その機械を実験してみようって魂胆じゃないでしょうね」
「なるほど、そういうことか。親切を装って他人を実験台にするなんて、とんでもないやつだ」
「アイヤー。違うよ。わたし、たまたまここを通りかかっただけアル。実験台にするなんてひどい言いがかりね」
「そう? じゃあ、まずあなたが手本見せてくださらないかしら」
 女性が詰め寄る。
「この機械、どう見てもインチキくさいのよね」
 おっさんは狼狽して顔の汗をぬぐった。
「これは参ったアルな」
 周りを取り囲んでいる野次馬たちからも「おまえがやってみせろ」と罵声が飛んだ。
「……しかたない」
 おっさんは機械に彫られた海神のまえにしゃがみ込むと、中国服のそでをまくった。恐るおそる海神の口へ右腕を差し入れる。
「ええ、正義と真実の神オーケアノスに誓うよ。わたし嘘はつかないね。この機械はインチキじゃないアル……」
 女性が、となりにいる男性の腕をぎゅっとつかんだ。まわりの野次馬たちも、固唾を飲んで見守る。
 突然おっさんが悲鳴をあげて、のたうち回った。
「いててててっ、痛いアル。手が抜けない、だれか助けてっ」
 女性が「ひっ」と言って後じさり、おっさんのほうへあごをしゃくった
「ほらみて、やっぱりこのひと嘘をついてたんだわ」
「墓穴を掘ってしまったというわけか。愚かなことだ」
 冷ややかにおっさんを見下ろしていた二人だが、不意に男性のほうがなにか思案するような顔つきになった。
「……いや待てよ。なんかおかしいぞ」
「どうしたの?」
 男性は、おっさんの腕を飲み込んでいる機械を指さして言った。
「この機械は、今おっさんが嘘をついていると判断したんだよな」
「そうよ、自分の造った機械で自分の嘘をバラされるなんて、間抜けな話よね」
「でもよく考えてみてよ。おっさんがもし嘘つきならば、そもそもこの機械に嘘を見抜く能力はないってことにならないか」
「……あ」
 女性がため息をついた。
「確かにそうね……あたまがこんがらがってきたわ」
「けっきょく」
 男性は肩をすくめてみせた。
「ひとが嘘をついてるかどうかなんて、神さまにも分からないことなんだよ。ましてや僕たち人間に、他人の嘘を見抜けるわけがない」
「……そうかもね」
 女性が、恥じらいながら言った。
「あなたのこと嘘つき呼ばわりして悪かったわ、ごめんなさい」
「僕のほうこそ、君にひどいこと言ってごめん」
 二人が抱き合ってキスを始めたので、周囲にいた野次馬たちは「けっ」とか悪態をついてどこかへ行ってしまった。
「仲なおりできたら、なんだかお腹が空いてきたわ」
「そうだね、じゃあ美味しいものでも食べに行こうか」
 二人は地面でのたうち回るおっさんを残して、仲良く腕を組み去っていった。
「……ふう」
 しばらくして、おっさんが身を起こす。
「どうやら、もとの鞘に収まったようアルな」
 彼は機械を元どおりアタッシュケースへ仕舞うと、立ち上がって満足げに胸を張った。
「ときには嘘も方便ね、これ中国四千年の知恵アル」


『ゆでたまご』【りきてっくす→るうね】

 週末の夜、課題のレポートをやり終え、ひと息つこうと冷蔵庫からプリンを取り出したところで、スマートフォンが鳴った。見れば、親友の望美からだった。
「あの子、今夜は彼氏とデートのはずだけど、なんの用かしら? ノロケだったら許さない」
 少しムッとしながら電話に出る。
「もしもし?」
 予想に反して聞こえてきたのは、打ち沈んだような親友の声だった。
「……ごめんね、遅くに電話して」
「え、べつにいいよ、ちょうどレポート終えたところだし。それよりどうしたの? もしかして彼氏となにかあった?」
「……」
 しばしの沈黙のあと、電話口からめそめそと忍び泣く声が聞こえてきた。
「ちょっと望美、どうしたのよ? 泣いてないで話しなさいってば」
 そう促すと、しばらくして思いつめたような声が返ってきた。
「……どうしよう。こんなこと恥ずかしくて、あんたにしか相談できないよ」
「だからなに? 望美、言ってごらんなさい。親友として出来るかぎり力になるから」
「……」
 一度ためらってから、意を決したように彼女が言った。
「あのね、ゆでたまご入れたら取り出せなくなったの。彼氏は見捨てて帰っちゃうし、恥ずかしくて病院なんか行けないし、もうあたし、どうしていいか分からなくて」
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