第1話 日本国家の危機を救え!(その1)

文字数 1,374文字

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体は架空であり、実在のものとは関係ありません。
また、本話には少し過激な表現が含まれます。決してマネしないで下さい。


祟り神――荒御霊であり畏怖されるものの、手厚く祀りあげることで強力な守護神となる神々。

 日本に新たな祟り神が現れた。その名は福沢諭吉。これは、祟り神を鎮魂する物語である。

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 日本に未曾有の不況が訪れた。

 政策金利、インフレ率の急上昇が家計を直撃し、家計支出が減少したことから、企業の業績は急激に悪化した。業績の悪化した企業はリストラを行い、失業率は20%を超えた。世界的な好景気から一転して、日経平均株価は大暴落、高まる失業率が家計支出を減少させ、企業の業績をさらに悪化させた。日本は完全に負のスパイラルに入ったのである。

 日本政府は不況の原因を調査したものの明確な理由は分からず、有効な対応策を打てずにいた。安易に実施した経済対策も不調に終わった。

 焦った政府高官は、祈祷師に日本を不況から脱却させるために祈りを捧げることを依頼した。まさに神頼みである。

 何人もの祈祷師が交代で連日祈ったものの、日本経済が好転する兆しは一向に現れなかった。祈祷師たちは日本の不況の元凶が何なのか分かっていた。

「福沢の呪いじゃ」

 祈祷師は自分たちの祈りが効かないのは祟り神の呪いが原因であると主張した。
 要は、日本が新紙幣を発行したことが原因らしい。

 新紙幣が発行されるまでの20年間、福沢諭吉は一万円札として日本国民に親しまれていた。一万円札は日本の顔であり、高額紙幣として日本人に喜ばれた。福沢は最も有名な日本人となり、とても満足していた。

 しかし、新紙幣が発行されると、福沢は新一万円札である渋沢栄一に置き換わっていった。福沢は渋沢に取って代わられることを快く思っていなかった。

 福沢諭吉は1835年生まれ、渋沢栄一は1840年生まれ。福沢は渋沢の5年先輩にあたる。

 福沢は中津藩の下級武士の家に生まれ、下駄作りなどの内職をしながら蘭学を学んだ。幕府の遣欧米使節に参加して日本に欧米文化を紹介し、学校を設立して運営した。学問を学べば身分差を克服できると説いた福沢の「学問のすすめ」は300万部のベストセラーとなった。

 一方、渋沢は農民から武士に取り立てられ、主君徳川慶喜の将軍就任に伴い幕臣となり、明治政府でも官吏となった。退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現みずほ銀行)や東京商法会議所(現東京商工会議所)、東京証券取引所などの設立に関わった。

「日本資本主義の父」と持ち上げられる渋沢を福沢は嫌っている。
 福沢と渋沢は正反対の生い立ち、功績である。福沢は武士ではあるが貧乏な家の出身、渋沢は農家ではあるが裕福な家の出身である。江戸幕府、明治政府での官職の有無、思想や活躍の内容は正反対である。これが福沢の渋沢嫌いに拍車をかけたのかもしれない。

 新紙幣が発行されたことにより、日本政府は福沢を軽んじ、渋沢に肩入れしたと福沢は考えた。そして、福沢は日本政府を恨んだ。こうして、日本に祟り神「福沢」が誕生したのである。

 祈祷師の話は信憑性が低い。だが、他に手がない日本政府は、日本を不況から救うための国家プロジェクトとして対策チームを立ち上げた。
 その名も「福沢の怒りを鎮め隊」である。

<つづく>

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