第3話 親父のロマンと親父のケジメ(その2)
文字数 2,373文字
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体は架空であり、実在のものとは関係ありません。
定年退職オジサンの蕎麦屋の話が長引いて本題から脱線してしまった。
僕は提案の本題を説明することにした。
「世の中には新規ビジネスを始めたい人が一定数いて、既存ビジネスを辞めたい人が一定数います。これをマッチングさせるのが僕の考える事業承継です」
「志賀くん。これってさー、政府が既に進めている事業承継ファンドでの事業の買取りとは何が違うの?」と新居室長が僕に尋ねた。
「政府や中小企業庁が進めているのは中小企業のM&Aです。正確には、事業承継ファンドの買収対象は中小企業ではあるものの規模はそれなりに大きい企業です」
「まぁ、定年退職オジサンの蕎麦屋は対象にならないわね」
「そうです。それに、M&Aは買い手と売り手が合意するまでに時間が掛かります。さらに、事業承継ファンドは赤字事業を買収できません」
「要は、事業承継ファンドで買取るだけの規模と収益性が必要ということよね。志賀くんの案は、政府が進めている事業承継の対象から漏れている会社を対象にする、ということよね?」
「そういうことです。日本の企業の60%以上は赤字法人です。極論すれば、銀行借入が無い非上場企業は黒字にする必要がありません。節税で赤字になっている非上場企業は日本国内に多いです。実際には利益が出る会社も、大半の会社がわざと赤字にしているんです」
「税金払わなくていいからね」
「赤字の会社は事業承継ファンドの対象になりません。でも新しく事業をスタートしたい人には安く会社が手に入るわけですから、悪くないと思うんです」
「そういうことよね」
***
ちなみに、事業承継はM&Aの一環でもあるから念のために説明しておこう。
まず、一般的なM&Aの流れを売り手サイドから示したのが図表43だ。
通常のM&Aでは、会社を売却したいオーナーは買い手を探す必要がある。知人に会社を引き継いでくれる人がいればいいのだが、都合よくそんな知人はいない。それに、譲渡価格で折り合いがつくか分からない。だから、M&Aの仲介会社や事業承継を支援している政府系機関に買い手を見つけてもらう。
政府系機関の代表的なものが中小企業基盤整備機構における「事業承継・引継ぎ支援センター」だ。
【図表43:M&Aの流れ<売り手サイド>】
通常のM&Aの場合は、仲介会社が買い手企業に詳細情報を出さずに(ノンネーム)コンタクトすることからスタートする。買い手候補が興味を示したら、守秘義務契約(CA:Confidential Agreement)を締結した上で、売り手企業の財務情報を開示する。ただし、この段階で開示する情報は決算書などの一部の情報だけだ。
買い手が情報を基に買収条件(買収価格など)を売り手に伝え、売り手が合意すれば基本合意書(MOU : Memorandum of Understanding)を締結する。その後、デューデリジェンス(資産査定)が実施される。入手した決算情報が正しいかを調査するためだ。
デューデリの結果を基に、買い手は最終的な買収条件の提示を行い、売り手がその条件に合意すれば最終契約(株式売買契約、事業譲渡契約など)を締結する。
このような一連の流れでM&Aは行われるため、最短でも2~3カ月は必要になる。筆者の経験上、M&Aが2~3カ月で完了するのは極めて稀なケースだ。ほとんどのケースは6カ月くらい掛かる。
なお、ファンドが事業承継目的でM&Aする場合、買取り価格が1億円の企業は小さすぎて検討できない。投資金額が大きくても小さくても手間は変わらないため、ファンドにとっては大型買収案件の方が有難いのだ。
仲介会社の報酬は買取り価格に連動するため、買取り価格が低い企業のために動かない。儲からないからだ。
つまり、小さい会社は一般的なM&Aの対象にはならないし、政府が進めようとする事業承継スキームから外れるのだ。
※M&A仲介会社の代表的な報酬形態をレーマン方式といいます。具体的には以下のように計算します。
取引金額が5億円以下の部分:5%
取引金額が5億円超、10億円以下の部分:4%
取引金額が10億円超、50億円以下の部分:3%
取引金額が50億円超、100億円以下の部分:2%
取引金額が100億円超の部分:1%
**
ただし、規模が小さくて事業承継が難しい会社でも、新規で事業を始めようとする個人や会社にはちょうどいい。個人が蕎麦屋を始めるのに1億円は出せないが、200万円であればやってみたいという個人はいるだろう。
今回の僕の狙いは、そういう小口のM&Aを促進することにある。
「超小口のM&Aをイメージしてももらえたら、と思います」と僕は言った。
「いいと思うよ」と新居室長。
「じゃあ、プロジェクト名は『男のロマン』と『親父のケジメ』にしようよ!」と茜が言った。
ネーミングセンスはどうかと思うが、そこは大きな問題ではない。それに、相応しいネーミングを考えると時間が掛かりそうだから、僕は茜の『男のロマン』と『親父のケジメ』に同意した。
僕はスーパーコンピューター垓に、事業承継を加速するための政府窓口として『男のロマン』と『親父のケジメ』の設置をインプットした。この相談窓口は中小企業基盤整備機構の中に設置され、通常の第三者承継(M&A)の対象から漏れた企業の相談窓口となる。
垓のシミュレーションは10分で終了した。
悪くはなさそうだが、良くもないシミュレーション時間だ。
僕たちは垓の作成したシミュレーション結果のダイジェスト映像を確認することにした。
<その3に続く>
定年退職オジサンの蕎麦屋の話が長引いて本題から脱線してしまった。
僕は提案の本題を説明することにした。
「世の中には新規ビジネスを始めたい人が一定数いて、既存ビジネスを辞めたい人が一定数います。これをマッチングさせるのが僕の考える事業承継です」
「志賀くん。これってさー、政府が既に進めている事業承継ファンドでの事業の買取りとは何が違うの?」と新居室長が僕に尋ねた。
「政府や中小企業庁が進めているのは中小企業のM&Aです。正確には、事業承継ファンドの買収対象は中小企業ではあるものの規模はそれなりに大きい企業です」
「まぁ、定年退職オジサンの蕎麦屋は対象にならないわね」
「そうです。それに、M&Aは買い手と売り手が合意するまでに時間が掛かります。さらに、事業承継ファンドは赤字事業を買収できません」
「要は、事業承継ファンドで買取るだけの規模と収益性が必要ということよね。志賀くんの案は、政府が進めている事業承継の対象から漏れている会社を対象にする、ということよね?」
「そういうことです。日本の企業の60%以上は赤字法人です。極論すれば、銀行借入が無い非上場企業は黒字にする必要がありません。節税で赤字になっている非上場企業は日本国内に多いです。実際には利益が出る会社も、大半の会社がわざと赤字にしているんです」
「税金払わなくていいからね」
「赤字の会社は事業承継ファンドの対象になりません。でも新しく事業をスタートしたい人には安く会社が手に入るわけですから、悪くないと思うんです」
「そういうことよね」
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ちなみに、事業承継はM&Aの一環でもあるから念のために説明しておこう。
まず、一般的なM&Aの流れを売り手サイドから示したのが図表43だ。
通常のM&Aでは、会社を売却したいオーナーは買い手を探す必要がある。知人に会社を引き継いでくれる人がいればいいのだが、都合よくそんな知人はいない。それに、譲渡価格で折り合いがつくか分からない。だから、M&Aの仲介会社や事業承継を支援している政府系機関に買い手を見つけてもらう。
政府系機関の代表的なものが中小企業基盤整備機構における「事業承継・引継ぎ支援センター」だ。
【図表43:M&Aの流れ<売り手サイド>】
通常のM&Aの場合は、仲介会社が買い手企業に詳細情報を出さずに(ノンネーム)コンタクトすることからスタートする。買い手候補が興味を示したら、守秘義務契約(CA:Confidential Agreement)を締結した上で、売り手企業の財務情報を開示する。ただし、この段階で開示する情報は決算書などの一部の情報だけだ。
買い手が情報を基に買収条件(買収価格など)を売り手に伝え、売り手が合意すれば基本合意書(MOU : Memorandum of Understanding)を締結する。その後、デューデリジェンス(資産査定)が実施される。入手した決算情報が正しいかを調査するためだ。
デューデリの結果を基に、買い手は最終的な買収条件の提示を行い、売り手がその条件に合意すれば最終契約(株式売買契約、事業譲渡契約など)を締結する。
このような一連の流れでM&Aは行われるため、最短でも2~3カ月は必要になる。筆者の経験上、M&Aが2~3カ月で完了するのは極めて稀なケースだ。ほとんどのケースは6カ月くらい掛かる。
なお、ファンドが事業承継目的でM&Aする場合、買取り価格が1億円の企業は小さすぎて検討できない。投資金額が大きくても小さくても手間は変わらないため、ファンドにとっては大型買収案件の方が有難いのだ。
仲介会社の報酬は買取り価格に連動するため、買取り価格が低い企業のために動かない。儲からないからだ。
つまり、小さい会社は一般的なM&Aの対象にはならないし、政府が進めようとする事業承継スキームから外れるのだ。
※M&A仲介会社の代表的な報酬形態をレーマン方式といいます。具体的には以下のように計算します。
取引金額が5億円以下の部分:5%
取引金額が5億円超、10億円以下の部分:4%
取引金額が10億円超、50億円以下の部分:3%
取引金額が50億円超、100億円以下の部分:2%
取引金額が100億円超の部分:1%
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ただし、規模が小さくて事業承継が難しい会社でも、新規で事業を始めようとする個人や会社にはちょうどいい。個人が蕎麦屋を始めるのに1億円は出せないが、200万円であればやってみたいという個人はいるだろう。
今回の僕の狙いは、そういう小口のM&Aを促進することにある。
「超小口のM&Aをイメージしてももらえたら、と思います」と僕は言った。
「いいと思うよ」と新居室長。
「じゃあ、プロジェクト名は『男のロマン』と『親父のケジメ』にしようよ!」と茜が言った。
ネーミングセンスはどうかと思うが、そこは大きな問題ではない。それに、相応しいネーミングを考えると時間が掛かりそうだから、僕は茜の『男のロマン』と『親父のケジメ』に同意した。
僕はスーパーコンピューター垓に、事業承継を加速するための政府窓口として『男のロマン』と『親父のケジメ』の設置をインプットした。この相談窓口は中小企業基盤整備機構の中に設置され、通常の第三者承継(M&A)の対象から漏れた企業の相談窓口となる。
垓のシミュレーションは10分で終了した。
悪くはなさそうだが、良くもないシミュレーション時間だ。
僕たちは垓の作成したシミュレーション結果のダイジェスト映像を確認することにした。
<その3に続く>