第2話 PBR改革(その7)

文字数 2,415文字

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 佐藤さんは、田中社長のA社株式1万株をM銀行からの借入の担保とすることの承諾を得た。
 その後、A社はM銀行から25億円の借入を実行し、2回目のリキャップを実施した。
 2回目のリキャップにおいても、A社の株価は自社株買いによって上昇した。

【図表68:A社の株価の推移】

 

 A社が実施した2回目の自社株買いは、株式市場に対して「A社株はまだまだ割安に評価されている!」という強いメッセージを送ることになった。
 A社の株価は目標株価であった20万円を超えた。
 リキャップによってA社の純資産は減少し、ROE(自己資本利益率)が10%となったので高収益企業として雑誌に紹介された。

※ROE=利益÷純資産=5億円÷50億円=10%

 2回目のリキャップによってPBRは1倍を超えた。これで東証の上場廃止基準をクリアすることができそうだ。

 佐藤さんは保有していた行使価格5万円、1,000株相当のストック・オプションを権利行使し、A社株を取得した。その後、M銀行と株式処分信託を締結しA社株を1株当り20万円で売却した。
 一連の取引によって、佐藤さんには1億5,000万円の利益が出た。

 佐藤さんはA社株式の売却が完了すると、A社を退社していった。

 ***

 それから1年後。佐藤さんの後任としてA社のCFOとなった山本さんが取締役会で発言している。

「皆さんもご存じのように、当社の株価が急落しています」

 山本さんはA社の株価の推移(図表68-2)を参加者に見せた。

【図表68-2:A社株価の推移】



 A社の株価は2回目のリキャップの後20万円/株を超えていた。その後、株価は急速に下落して現在は5万円/株価を下回る水準だ。

 参加者の一人、田中社長は株価を見て頭を抱えている。株価は毎日チェックしているから現在の株価は知っている。それでも、急落している株価チャートを見せられて気分が沈んでいる。

「原因は何ですか?」と社外取締役が質問した。

「M証券が売っているのです」と山本さんは答える。
「M証券? うちのメインバンクのM銀行の系列ですよね?」
「そうです」
「じゃあ、どうして?」

 山本さんは「私の想像ですが」と前置きをした上で説明を始めた。

 リキャップを提案したM銀行は50億の融資に対して、A社株式8万5,000株を担保とした。2回の自社株買いによって取得した7万5,000株(5万株+2万5,000下部)と田中社長の1万株だ。
 M銀行との金銭消費貸借契約には、「1株当り株価を5万円以上に維持すること」という財務コベナンツを設定されている。

※財務コベナンツとは財務制限条項ともいい、融資における制約事項です。
財務コベナンツが「1株当り株価を5万円以上に維持すること」である場合、株価が5万円/株未満になると契約違反となり、M銀行はA社に対して貸付金の全額一括返済を要求することができます。また、M銀行は貸付金の回収のために担保(A社株式)を処分することができます。

 M銀行の系列証券会社であるM証券はA社株を20万円/株付近から空売りし、5万株を平均単価10万円/株で売却している。

「根拠はあるんですか?」と社外取締役は山本さんに尋ねる。

「先週末時点で、東証に空売り残高が5万株報告されています」と山本さんは手許資料を見ながら答えた。

「5万株!? 市場に流通しているのは2万5,000株だけですよね?」
「市場に流通しているのは2万5,000株だけです。だから、一般信用取引では5万株も空売りできません。でも、M銀行には8万5,000株のA社株式があります」

「M銀行はA社株式を担保に設定しているだけです。A社株式を売却できませんよね?」
「株価が5万円/株を上回っている段階ではそうですね。だから、譲渡担保として保有していたA社株式をM証券に貸し出しました」
「貸株ですか?」
「そうです。そして、A社株が5万円/株を下回った段階でコベナンツにヒットしました。M銀行はA社株式を担保処分できます」
「じゃあ、すでに?」
「5万株分のA社株式は貸付金残高の回収に充当していると思います。5万円/株で担保実行していれば、M銀行は25億円の貸付金を回収したことになります」
「……」

※貸出金の回収額=5万円/株×5万株=25億円

「平均単価10万円/株で空売りして、5万円/株で担保実行したとすると……M銀行は25億円儲けたことになりますね」と山本さんは社外取締役に説明した。

※M銀行の利益=(10万円/株-5万円/株)×5万株=25億円

 社外取締役は「M銀行が儲かっただけか……」と呆れている。

 A社株式の急落の原因を全取締役が理解したことから、山本さんは出席者に提案をする。

「まだM銀行からの借入金が25億円残っています。しかし、このままM銀行と取引を継続する気にはなりません。S銀行から同額を借換えしてもよろしいでしょうか?」

「「賛成!!」」

 出席者は満場一致でM銀行からの借入金のリファイナンスを承認した。

 この取引では、M銀行と元CFOの佐藤さんだけが儲かったのであった……

 ***

 A社のようなケースはあるものの、自社株買いによって多くの上場企業がPBR1倍を超えた。ダイジェスト映像は自社株買いによって株価が上昇したことを映し出していた。

 日経平均は4万2,000円を突破した。

 垓のダイジェスト映像を見終わった僕たち。

「日経平均4万2,000円突破だって!」と喜ぶ僕は新居室長とハイタッチした。

「銀行に騙される奴が悪いよなー」と茜は笑っている。

 良いか悪いかは分からないけど、金融機関の取引には騙し合いが日常的に起こる。
 民間の取引に僕たち国家戦略特別室が口を挟む必要はないだろう。

 日経平均が上がったのだから、僕は自社株買いを政府に提案しようと思った。
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