第3話 親父のロマンと親父のケジメ(その1)

文字数 2,562文字

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 僕と茜が焼き鳥屋の事業承継の話をしていたら新居室長が部屋に戻ってきた。政府から新しい政策提案をしてほしいと依頼され、その内容を聞きに行っていたのだ。

 国家戦略特別室に戻ってきた新居室長に「どうでした?」と僕は尋ねた。

「事業承継の話だった。中小企業の後継者不足を何とかしたいみたい。対応策を考えてほしいと言われた」
「焼き鳥屋の事業承継が決まったところですし、うちとしてもタイムリーな話題ですね」
「そうよね。ちょうどいいタイミングだね。今回の依頼は悪くないと思う」

 新居室長は少し考えてから言った。

「ねえ、志賀くん」
「なんですか?」
「もし、もしもよ……公務員を辞めて、やりたい会社はある?」
「僕ですか? うーん、特に今のところは。起業するのは難しそうですし。室長はあるんですか?」
「私? 私はオシャレなカフェとかがいいなー」

 話を聞いていた茜がボソッと「儲からなさそー」と言った。

「うるさいわねー! 儲かるとか儲からないとかじゃないのよ!」

 茜は鼻で笑いながら「そういう奴は、起業に向かねーよ」と言っている。
 相変わらず口が悪いが、茜が言っていることは間違ってはいない。

 カフェを始める場合、設備投資にかなりの金額が必要だ。広い店舗でなくても、内装や厨房施設を合わせると2,000万円~3,000万円必要になる。
 居酒屋など客単価が高い業態であれば初期投資を回収できるかもしれないが、カフェは売上が少ないから初期投資を回収するのが難しい。焼き鳥屋とカフェを比較すると、圧倒的に客単価の高い焼き鳥屋の方が投資回収できる可能性が高い。
 だから、カフェをオープンしても、ほとんどは初期費用を回収できることなく潰れていく。長く続いているカフェは本業が別にあって趣味でオーナーが続けている場合がほとんどだ。カフェ単独ではほとんど利益が出ないから、カフェで儲けようと思っても難しい。

 ただ、もしカフェを始めるときに初期投資が要らなければ話は別だ。事業として成立する可能性はある。
 僕は事業承継に絡めて二人に提案した。

「僕の理解では、カフェが潰れるのは初期費用が回収できないからだと思います。もし、廃業しようと考えているオーナーからカフェを居抜きで引き継ぐことができれば、潰れずに事業を継続できる可能性が高くなると思うんです。これこそ、事業承継じゃないかと」

「事業承継を使って、初期投資を無くすってこと?」と茜は言った。

「そういうこと。例えば、会社を定年退職したオジサンがお店を開くことがあるよね?」
「蕎麦屋とか?」
「そう。定年退職オジサンは蕎麦屋を始めたがるんだ」
「なんか聞いたことあるなー」

 僕は定年退職オジサンの蕎麦屋の開業を説明することにした。

「定年退職オジサンは今まで料理をしてなかったケースが圧倒的に多い。普通の飲食店を始めるのは無理だ」
「そりゃそうだろ! 料理できないオジサンが飲食店できるわけねーよ!」
「でもね、蕎麦屋は違うんだ。料理したことなくてもそば打ちを習得すれば店を出せる。それに、そば打ちできると世間的に見栄えがいいだろ? オジサン心をくすぐるんだよ」
「へー、そういう理由なんだ」

「そうらしいよ。今まで一度も料理したことないオジサンでも、そばを打てたらカッコいい。だから、定年退職オジサンは蕎麦屋を開業する」
「失敗すんじゃねーの?」
「失敗するよ。定年退職オジサンの蕎麦屋はほぼ100%失敗する。商売はそんなに甘くないからね」
「だな。何十年も蕎麦屋一筋でやってきた、プロの蕎麦屋には勝てない」

 茜は定年退職オジサンの失敗に納得しているようだ。ただ、僕には定年退職オジサンの気持ちが少しは分かる。
 定年退職前のオジサンは会社である程度のポジションにいる。例えば、部長のオジサンは社内でお世辞を言われたりして、ある程度チヤホヤしてもらえる。でも、定年退職すると定年前のようにチヤホヤしてもらえない。
 定年退職オジサンは何か世間から認めてもらえるようなこと(この場合は蕎麦屋)をしてみたいのだ。言い換えれば「オジサンの尊厳を取り戻す戦い」と言ってもいいだろう。

「でもさ、僕には蕎麦屋をやってみたい気持ちは分かるんだ」
「へー、志賀は蕎麦屋やりたいの?」
「違うって……。飲食業は参入障壁が低いから『俺ならもっといい蕎麦を打てる!』とか『俺の方がこの店よりも繁盛させられる!』と勘違いするんだ」
「根拠のない自信だな。運転を過信する高齢者ドライバーみたい」

※筆者も過去に15店舗ほど潰しました。できると勘違いしてしまうんですよね……

「まぁね。でもさ、蕎麦屋はオジサンのロマンなんだ!」

「へー」茜は興味なさそうに言う。

「廃業する定年退職オジサンの蕎麦屋が日本全国でどれだけあるか……。オジサンは一度蕎麦屋をやってみたいだけなんだ。結果として失敗するんだけど……」
「そうだな。失敗するよなー」
「どうせ失敗する蕎麦屋だったら初期費用は安い方がいい。だったら、定年退職オジサンは廃業する蕎麦屋の居抜きで始めるべきなんだ」
「失敗することを前提に、ってこと?」
「そうだよ。蕎麦屋の開業のために2,000万円掛けても回収できない。でも、居抜きで200万円だったら傷は浅いだろ。老後のこともあるから、無理しない方がいいと思うんだ」

「つまり……失敗した定年退職オジサンの事業を、希望に満ち溢れた定年退職オジサンが承継するわけか」と茜が言った。

「そういうことだね。蕎麦屋はオジサンのロマン。でも素人だから失敗する。失敗したら潔く辞める。そして、次のオジサンに希望を託すんだ」
「オジサンのロマンとケジメが混在する事業承継だな」

 茜は何かを考えている。

「つまり、蕎麦屋を始めたいオジサンと蕎麦屋を廃業するオジサンの間で、エコシステムが成立するわけか」

 茜はそういうと蕎麦屋オジサンのエコシステムをホワイトボードに書いた。
 ちなみに、エコシステムとはベンチャー企業がスタートアップしEXITしていくまでの流れのことだ。蕎麦屋オジサンの場合は廃業だが、新しいオジサンに引き継がれるため、経営資源を有効活用できる。

【図表42:オジサンのエコシステム】



<その2に続く>
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