第6話 MBOで非公開化しろ!(その3)
文字数 2,596文字
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体は架空であり、実在のものとは関係ありません。
垓のダイジェスト映像が切り替わった。
MBOによって非公開化したA社の会議室で社長の佐藤さんと政府系ファンドの鈴木さんが面談している。
MBOの実施前、A社の純資産は400億円、ネットデット(有利子負債-現預金-非事業性資産)は-200億円だった。一方、市場株価を元にした時価総額は100億円であった。つまり、EVは-100億円と評価されていた(図表73の右側と同じ)。
MBOの実施にあたって政府系ファンドと経営陣はSPCに30億円出資(内訳は政府系ファンド29億円、経営陣1億円)し、残り70億円を銀行借入で調達した。
A社へのTOB(株式公開買付け)は成功し、A社は非公開化した(上場廃止)。非公開後、A社とSPCはSPCを存続会社として合併した。
合併後の純資産は30億円、借入金は70億円、SPCが保有していたA社株式とA社の資産・負債の差額は負ののれんとして計上された。
MBO前後のA社の貸借対照表は図表76である。
【図表76:MBO前後の貸借対照表<単位:億円>】
政府系ファンドの鈴木さんは、A社社長の佐藤さんとMBO後の打合せをしている。
佐藤さんは所謂雇われ社長だったので、MBOの実施前にはA社株式を保有していなかった。今回のMBOによって佐藤さんは株主兼経営者となった。
佐藤さんはMBO前に鈴木さんから聞いていた提案内容を確認する。
「MBOが無事に完了しました。当初の計画では、余剰資産(非事業性資産)100億円を売却して借入金70億円を返済、残った30億円は御社と我々に配当として支払う。そういうことでいいでしょうか?」
「結構です。それでお願いします。これでMBOの際に出資した金額は回収できましたから、税金の無駄遣いと言われずにすみそうです」
「それは良かったです。それで、今後のA社の方針についてですが……」
佐藤さんが途中まで言いかけたところで、鈴木さんが割って入った。
「あー、それなんですけど、我々からご提案があるんです」
「提案ですか。それはどういった?」
佐藤さんは動揺しながらも、冷静に鈴木さんに尋ねた。
「3年後を目標にもう一度上場してほしいんです」と鈴木さんは提案する。
「えぇっ?」
「A社は上場していましたから、上場に必要な内部統制、財務報告体制は整っています。もう一度上場するのは難しくありません」
佐藤さんは複雑な表情をしている。
苦労して非公開化したばかりなのに、鈴木さんは「また上場しろ」と言う。
「非公開化したばっかりですよね?」
「まぁ、それは分かっています」
「じゃあ、なぜ?」
「再上場したら株価が上がるからです」
鈴木さんは「こんなイメージですね」と言いながら図(図表77)を書いた。
【図表77:A社の各時点での時価総額】
「まず、A社の最初の上場時の時価総額は300億円を超えていました。それが、上場してから徐々に株価が落ちてきて、MBOの時には時価総額は100億円でした」
「そうです。お恥ずかしながら時価総額が1/3になりました」
「それで、非公開化してから3年間で投資家が興味を持つ事業をいくつか入れようと思います。そうすれば、A社は非公開化した時とは違うことをアピールできます」
「はぁ……」
「新しいA社が再上場すれば、時価総額は300億円を超えるでしょう」
「株価が3倍ですか?」
「ええ、そうです。上場時には投資家が注目しますから、株価は高くなりやすいです。それに、A社の純資産は300億円ですから、再上場時の株価はPBR1倍以上にはなるでしょう」
佐藤さんは考えている。せっかく非公開化したのに、また上場するのがしっくりとこないのだ。
鈴木さんは佐藤さんをやる気にさせるために話し出した。
「佐藤さんたち役員はA社の3.3%を保有しています。出資した1億円はA社の余剰資産を売却した後、配当金で回収します。さらに、再上場してA社の時価総額が300億円になったら、佐藤さんたちが保有するA社株式の時価は10億円です」
※佐藤さんたちの出資額÷出資総額=1億円÷30億円=3.3%
「10億円ですか?」
「ええ、10億円です」
今まで雇われ社長としてA社の経営に携わってきたから、佐藤さんは役員報酬しか受け取っていない。株式投資がこんなに儲かると知って佐藤さんは驚いている。
鈴木さんは更に追加の提案をする。
「佐藤さんたち役員にはストック・オプションを発行してもいいと思っています。そうですねー、発行済株式総数の5%はいかがですか?」
「5%というと……時価総額が300億円になったら……15億円?」
「そうです。今の3.3%と合わせると25億円です。どうです? やってみませんか?」
「やりましょう!」
こうしてA社は再び上場を目指すのであった。
**
そして5年後……
無事に再上場を果たしたA社の時価総額は300億円を超えたものの、しばらくしたら株価は下がり始め上場から2年後には時価総額は100億円になった。
政府系ファンドの鈴木さんはA社の社長室を訪問した。
「佐藤さん、ご無沙汰しています!」
「あー、鈴木さん、久しぶりですね。今日は何のご用でしょうか?」
「またA社の株価が低迷していますねー。もう一回、MBOしませんか?」
佐藤さんは少し考えた後、「いいですねー」とニヤニヤしながら言った。
**
その後も政府系ファンドは株価の低迷する上場企業に対してMBOの提案を行った。投資家は株価が過小評価されていた会社に対して「次はこの会社がMBOするのでは?」と考えて株式を買い漁った。
投資家は株価が低迷する上場企業の株式を買うようになったから、日本市場の株価は全体的に上がっていった。日経平均株価は5万円にはならなかったものの、株価対策には有効なことは分かった。
垓のダイジェスト映像を見終わった僕たち。
「佐藤さん、悪い顔してるなー」と茜が笑っている。
「佐藤さんはもう一度上場するかな?」と僕は隣の新居室長に呟いた。
「かもね」と彼女は笑顔で僕に言った。
<第10章終わり>
【後書き】
第10章はこれで終わりです。現在仕事が立て込んでおり、少しの間更新をストップします。落ち着いたら再開致します。次は『第11章 投資被害者をなくせ!』に入る予定です。
垓のダイジェスト映像が切り替わった。
MBOによって非公開化したA社の会議室で社長の佐藤さんと政府系ファンドの鈴木さんが面談している。
MBOの実施前、A社の純資産は400億円、ネットデット(有利子負債-現預金-非事業性資産)は-200億円だった。一方、市場株価を元にした時価総額は100億円であった。つまり、EVは-100億円と評価されていた(図表73の右側と同じ)。
MBOの実施にあたって政府系ファンドと経営陣はSPCに30億円出資(内訳は政府系ファンド29億円、経営陣1億円)し、残り70億円を銀行借入で調達した。
A社へのTOB(株式公開買付け)は成功し、A社は非公開化した(上場廃止)。非公開後、A社とSPCはSPCを存続会社として合併した。
合併後の純資産は30億円、借入金は70億円、SPCが保有していたA社株式とA社の資産・負債の差額は負ののれんとして計上された。
MBO前後のA社の貸借対照表は図表76である。
【図表76:MBO前後の貸借対照表<単位:億円>】
政府系ファンドの鈴木さんは、A社社長の佐藤さんとMBO後の打合せをしている。
佐藤さんは所謂雇われ社長だったので、MBOの実施前にはA社株式を保有していなかった。今回のMBOによって佐藤さんは株主兼経営者となった。
佐藤さんはMBO前に鈴木さんから聞いていた提案内容を確認する。
「MBOが無事に完了しました。当初の計画では、余剰資産(非事業性資産)100億円を売却して借入金70億円を返済、残った30億円は御社と我々に配当として支払う。そういうことでいいでしょうか?」
「結構です。それでお願いします。これでMBOの際に出資した金額は回収できましたから、税金の無駄遣いと言われずにすみそうです」
「それは良かったです。それで、今後のA社の方針についてですが……」
佐藤さんが途中まで言いかけたところで、鈴木さんが割って入った。
「あー、それなんですけど、我々からご提案があるんです」
「提案ですか。それはどういった?」
佐藤さんは動揺しながらも、冷静に鈴木さんに尋ねた。
「3年後を目標にもう一度上場してほしいんです」と鈴木さんは提案する。
「えぇっ?」
「A社は上場していましたから、上場に必要な内部統制、財務報告体制は整っています。もう一度上場するのは難しくありません」
佐藤さんは複雑な表情をしている。
苦労して非公開化したばかりなのに、鈴木さんは「また上場しろ」と言う。
「非公開化したばっかりですよね?」
「まぁ、それは分かっています」
「じゃあ、なぜ?」
「再上場したら株価が上がるからです」
鈴木さんは「こんなイメージですね」と言いながら図(図表77)を書いた。
【図表77:A社の各時点での時価総額】
「まず、A社の最初の上場時の時価総額は300億円を超えていました。それが、上場してから徐々に株価が落ちてきて、MBOの時には時価総額は100億円でした」
「そうです。お恥ずかしながら時価総額が1/3になりました」
「それで、非公開化してから3年間で投資家が興味を持つ事業をいくつか入れようと思います。そうすれば、A社は非公開化した時とは違うことをアピールできます」
「はぁ……」
「新しいA社が再上場すれば、時価総額は300億円を超えるでしょう」
「株価が3倍ですか?」
「ええ、そうです。上場時には投資家が注目しますから、株価は高くなりやすいです。それに、A社の純資産は300億円ですから、再上場時の株価はPBR1倍以上にはなるでしょう」
佐藤さんは考えている。せっかく非公開化したのに、また上場するのがしっくりとこないのだ。
鈴木さんは佐藤さんをやる気にさせるために話し出した。
「佐藤さんたち役員はA社の3.3%を保有しています。出資した1億円はA社の余剰資産を売却した後、配当金で回収します。さらに、再上場してA社の時価総額が300億円になったら、佐藤さんたちが保有するA社株式の時価は10億円です」
※佐藤さんたちの出資額÷出資総額=1億円÷30億円=3.3%
「10億円ですか?」
「ええ、10億円です」
今まで雇われ社長としてA社の経営に携わってきたから、佐藤さんは役員報酬しか受け取っていない。株式投資がこんなに儲かると知って佐藤さんは驚いている。
鈴木さんは更に追加の提案をする。
「佐藤さんたち役員にはストック・オプションを発行してもいいと思っています。そうですねー、発行済株式総数の5%はいかがですか?」
「5%というと……時価総額が300億円になったら……15億円?」
「そうです。今の3.3%と合わせると25億円です。どうです? やってみませんか?」
「やりましょう!」
こうしてA社は再び上場を目指すのであった。
**
そして5年後……
無事に再上場を果たしたA社の時価総額は300億円を超えたものの、しばらくしたら株価は下がり始め上場から2年後には時価総額は100億円になった。
政府系ファンドの鈴木さんはA社の社長室を訪問した。
「佐藤さん、ご無沙汰しています!」
「あー、鈴木さん、久しぶりですね。今日は何のご用でしょうか?」
「またA社の株価が低迷していますねー。もう一回、MBOしませんか?」
佐藤さんは少し考えた後、「いいですねー」とニヤニヤしながら言った。
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その後も政府系ファンドは株価の低迷する上場企業に対してMBOの提案を行った。投資家は株価が過小評価されていた会社に対して「次はこの会社がMBOするのでは?」と考えて株式を買い漁った。
投資家は株価が低迷する上場企業の株式を買うようになったから、日本市場の株価は全体的に上がっていった。日経平均株価は5万円にはならなかったものの、株価対策には有効なことは分かった。
垓のダイジェスト映像を見終わった僕たち。
「佐藤さん、悪い顔してるなー」と茜が笑っている。
「佐藤さんはもう一度上場するかな?」と僕は隣の新居室長に呟いた。
「かもね」と彼女は笑顔で僕に言った。
<第10章終わり>
【後書き】
第10章はこれで終わりです。現在仕事が立て込んでおり、少しの間更新をストップします。落ち着いたら再開致します。次は『第11章 投資被害者をなくせ!』に入る予定です。