傷跡の語る

文字数 1,249文字

 ガーゴイルを依り代とした不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)とそれがもたらした怪異について、武寿賀は上層部への報告をしなかった。それは、この星には本来あり得ない事が、この星には本来あり得ない存在によって片付けられた、と。
「これでいいのですか?」
「あぁ、言ったとおりの物を使っているならそれでいい」
 白銀は怪しげな液体を湛える水晶の擂鉢をパゲートスに手渡す。その液体を構成しているのは、薄い塩水と白い葡萄酒にいくつかの薬草の精油と水晶の粉末を混ぜた物。
「しかし、父上の傷は……」
「一度塞がった物を癒す事は出来ん。だが、今なら効果があるやもしれん」
 薬草の香を焚き染めた寝室の中、寝台に横たわる明星の傍らでパゲートスは穴の無い灰水晶(ミス・クリュッソ)の針を取り出した。
「少し痛むだろうが、辛抱しろ、今だけだ」
 白銀がはだけさせた明星の胸には、不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)が穿った赤黒い穴が開いている。
「この傷、全く血が止まらない……それで止血が出来れば、効果があったといってもいいのかしら」
「それは分からんが、やってみるしかあるまい」
 怪しげな液体に針を浸し、パゲートスは明星の胸にそれを刺した。その奇妙な入墨が表すのは、星の民(エルダール)の古い言葉で作られた呪文。
「これは……」
「光の力をもたらす古語……兄上の物とは対になる」
「……伯父上の入墨は、傷の痛みを和らげる効果があったの?」
「分らんな……ただ、闇の力がもたらす苦痛を闇の力で和らげる事は出来るだろう、その闇がもたらす苦しみは別として」
「闇がもたらす苦しみ……」
「怒り、妬み、悲しみ……闇の感情だ。尤も、兄上は此処にいる限り、その苦しみを感じる事は無かろう。喧騒と雑念にあふれた、未知の世界……この星の潰えるまで、探求し続けるだけの不思議がこの星にはある」
「確かに、果てしないわね……エザフォスにも錬金術は有るけれど、この星の錬金術は科学、終わりの無い学問だから……でも、私は終わりを知りたい方が大きいわ。終わりの無い存在だからこそ、全てがわかる、その終わりの瞬間が見て見たい」
「終わりの瞬間、か」
「分からない事が全てわかったら、きっと、気が済むと思うの、終わりの無い存在でも」
「終わり、か……この星の宗教にも、何か近しい考えがあった様な記憶があるが」
「ニルバーナの事かしら。魂が解放され、全ての悩み苦しみが消える……でも、途方もないわね。魂は何度も体を変えながら経験し続けるとは言うけれど、私達はずっとこのまま終わりを迎えない経験が続くのだから」
「そうだな……」
 パゲートスの刻む針の跡が一つの呪文をなしたところで、明星は苦悶の声を上げた。
「注ぎこまれた穢れが抜けるまでの辛抱だ。モニミアネ、いざとなったら押さえつけてやってくれ」
「え、えぇ……」
 この途方もない入墨はいつまでかかるのか、白銀は気が遠くなるのを感じながら、自分が此処に居る意味に思いを馳せた。
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