血濡れた足跡を探して

文字数 2,211文字

「私はまだ認めたわけじゃないわ。でも、部下の身辺調査をするだけなら、協力する、それだけよ」
 吉備津が武寿賀に差し出したのは、高木春花に関する調査結果だった。
 武寿賀が目を通したのは、高木春花が西暦二二〇〇年に日本人とロシア人の入り混じる択捉島で生まれた事、露系日本人の父親はおそらくは彼女の母親が彼女の妊娠を知る前に海洋上の労災事故で死亡した事、そして、彼女の母親は渡航登録をしていないエザフォスのアネールである事についての記述。
「母親は出産時に未登録が発覚して、罰金刑を受けたと……」
「えぇ。でも、彼女自身は母親が引き取らなかったため、孤児として北海道の施設に送られ、其処から特別養子縁組で同じアネールの夫婦の子供の一人になっているから、身辺調査では引っかからなかったみたいね」
「しかし、この事実は」
「DNAデータベースの情報を参照したのよ。ちょっと面倒だったけど」
 養子縁組後、彼女の人生に異変は無かった。彼女が十歳になるまでは。
「しかし、両親が同じ日に死亡とは……事故ですか?」
 吉備津は首を振った。
「残念だけど、心中だったみたいね。外国人と異星人、どちらも好奇な存在だから、それが悩みだったみたいで……彼女の養母は、彼女と同じロシア系アネール混血の日本人だったから」
 両親を失った彼女は年の離れた義理の兄弟に養育されていたが、中学を卒業すると同時に総合格闘技のジムに所属していた。
「一応、兄弟が面倒を見てたみたいだけど、親への恩返しくらいだったのか、中学を出てすぐに彼女はジムに入って、おそらくは住み込みで修業という名の雑用係をしていたんでしょうね。とはいえ、興業のリングに上がれるようになった十八の頃から十数年の間は圧倒的な勝率でのし上がって、一躍ジムのトップ選手……亜人でさえなければ、スター選手だったはずよ」
 彼女の人生が大きく変わったのは今から二十五年前、三十五歳の時の事だった。十五年余り圧倒的な強さを見せていた彼女だったが、その数年前から強さゆえに反感を受ける一方、連勝記録の保持という重圧を掛けられ、人気にも翳りが見え始めていた。その結果、三十二歳にして彼女は所属団体を移籍し、亜人専門の過激な試合を行う地下団体で死亡事故と隣り合わせの試合を繰り返していた。
 その結果、三十五歳の彼女は試合相手を死なせ、ジムを追放された。無論、試合中の死亡を損害賠償にしない事と、死亡時の見舞金に関する事項に同意する誓約書への署名から始まった試合であり、直接の原因となった出来事も一般的にありうる攻撃技での不運に過ぎなかった。しかも、出場報酬(ファイトマネー)を稼ぎジムを支えていた彼女にとって、それはあまりにも重い処分だった。
「追放処分を受けた彼女は、何処へ行ったのでしょうか」
「死亡事故の次の年には別のジムで覆面選手として復帰してたみたいだけど……もしかしたら択捉島に行ったのかもしれないわね。全くゆかりの無い土地ではないし、本州からも北海道からも離れられる上、家賃は安くて、港の集荷場や漁港には日雇いの仕事も有るし、其処にはロシア人やロシア系の労働者が多くて、悪役格闘家という風評から逃げる事も出来たでしょうから」
 武寿賀は考えた。名声を失った彼女の絶望は、悪しきものを引き寄せるのではないかと。
 書面の続きには、覆面格闘家として復帰した彼女の経歴が記されていた。彼女はいくつもの道場で修業を積みながら、複数の団体を渡り歩き、賞金を稼ぎながら戦う事を生業としていた。そして、彼女が北海道に戻ったのは五年前。新興のジムで指導者として働きながら、異種格闘技の興行に参加していたのだ。
「彼女を見染めたきっかけは、その興行ですか……」
「警察官には向いていないって退職した若い元巡査が、異種格闘技の団体で活動しているのよ。その元巡査は親兄弟も警察官だから、亜人で有望な人材が有れば警察側にも話が回っているらしいわ」
「室長殿は不審に思わなかったのですか」
「後見人みたいなジムのオーナーはまともな人だったし、引退を望む格闘家の再就職みたいな話で、こっちも断れなかったのよ。特に地球生まれの亜人や混血者はエザフォスに戻ると言う選択肢も無いわけだし、路頭に迷わせるわけにはいかないでしょう?」
「そうですか……」
 言いながら、武寿賀は考えた。二十五年間も、罪の化身(アマティーア)が鳴りを潜めているのか、と。そして、彼女がその肉体を保てたのか、と。
 武寿賀は報告書を吉備津に差し戻す。
「これはこれで、残しておいてください……少し、調べたい事が出来ました」
 その子細を語らぬまま武寿賀は室長室を去り、刑事課の警察官を一人捕まえた。そして、過去数十年間に確認された吸血を伴う不審な死亡事件や不自然な損壊の疑われる殺人事件と思われる事件が起こっていないか、彼女の足跡を辿る様に調査出来ないかと問うた。
 警察官は表情を歪ませたが、一般的に閲覧出来る情報を元に人工知能に吹き込めば何とかなるだろうと、彼女が出場した試合の行われた場所を基準に情報を探した。
 そして、新宿で発覚した不審死事件の日、彼女の行動がどうであったかを確かめた。
 ――最後の一手が、必要ですね……。
 思案に耽りながら係長室に戻った武寿賀は窓の外を見下ろした。
 確証を得る為には、犠牲も仕方ないだろう、と。
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