更なる脅威の到達
文字数 1,803文字
――何が何でも止めなければならない、星々が堕ちるその前に。
年老いてはいるが気性が激しく、今も山道を駆け上がる事が出来るその馬を駆り、パゲートスは山小屋を目指した。
南の山を行軍していたイティメノスの一団を、なんとしても止める為に。
プラティーナの家臣は今や居ないに等しく、その一団を見つけたパゲートス自身が追跡せざるを得ない。無論、館に残るイーリクイニアは彼を止めようとしたが、遂にそれは叶わなかった。
パゲートスは何よりも、一団が連絡通路に達する事を恐れていたのだ。
だが、遅かった。
彼が辿り着いた時には、足跡が空間の歪みに消えていた。
脅威の到来を伝えなければならないと、彼は山小屋に馬を預け、空間の歪みへと飛び込んだ。
渡ってしまえば、同じ場所から戻れるとは限らず、戻る術すら分からぬ様な場所へ飛び込む事の恐怖は、そんな場所へ恐るべき悪鬼が到達してしまった事の絶望とは比べ物にならなかった。
パゲートスが降り立ったのは、箱根の山中だった。最初に彼を見つけたのは、周辺の警備を委託されている有蹄人 で、パゲートスは彼の案内で渡航管理局の詰め所に向かった。その道中でパゲートスは彼にオークを見なかったかと尋ねたが、有蹄人 達は知らないとの事だった。
まずはオークの中でも厄介なイティメノスが青き巨星 に到達した事を伝えねばならないと、パゲートスが建物の扉を開けた時、彼は強烈な死臭を覚えた。
「まさか……」
パゲートスは剣を抜き、慎重に歩みを進めた。
だが、屋内にオークらしき気配は既に無く、残されていたのは留守を任されていた職員の亡骸だけだった。
「遅かったか……」
「このまま此処に居て下さい、地球の官吏を呼び寄せます」
有蹄人 はすぐ傍に有った電話機に手を伸ばし、非常事態を告げた。
それは、正午の日が傾きを見せるよりも少し前の頃の出来事だった。
同じ頃、昼休みも終わりに差し掛かった亜人相談室調査係の別室には、物憂げな表情を浮かべて鉢植えの花を弄ぶ醍醐の姿が有った。
醍醐が弄ぶのは、バレリーナのスカートの様に広がる、濃い桃色の花びらを持ったエキナセア《バレンギク》。
「失礼しまーす……」
申し訳程度に声を掛け、扉を開けた天野の姿を見た醍醐は、目を瞬いた。
「天野さん……外出調査じゃなかったんですか?」
眉根を寄せながら皮肉を帯びた言葉を放つ醍醐に天野はたじろぎながら、口を開く。
「あ、いや……仕事は終わりましたし、その、醍醐さん、外に出るなと言われているので……差し入れを……」
「お昼なら、白銀さんがおすそ分けを下さったんですけど……」
「あ……そう、ですか……あーでも、焼きドーナツも有るんで、お茶菓子にでもして下さい」
天野は紙袋を机の端に置き、彼の昼食であるサンドイッチの容器を持って立ち去ろうとした時だった。
「天野さん、戻ってらしたんですか」
にわかに切迫した様子の白銀が別室に戻ってきた。
「あ、はい。あの、よろしければ差し入れに」
「申し訳ないんだけど、暫くこの部屋の方で待機していて下さい。箱根にオークが現れて、渡航管理局の職員が一人惨殺されたそうなので、オーク捜索について武寿賀さんと相談しなくてはなりません。何かあったら、室長殿に指示を」
「え、あ……」
天野が事態を飲み込むより先に、白銀は執務室の奥にある鞄と外套、そして真新しい地図の束を手に取った。
「で、出掛けるんですか?」
「事と次第によっては現地に向かいます」
白銀は言いながら、係長室の方に向かう。
天野はふと醍醐を見た。醍醐は不安げな表情を浮かべ、天野を見つめる。
「大丈夫……だと、思います……」
天野は居心地の悪さを覚えながらも、取り繕う言葉を口走りながら、仕方が無いと言った様子でサンドイッチの容器を机に下ろした。そして、醍醐に背を向ける。
「何処に」
突き刺さる様な言葉に、天野の足が止まる。
「何処に行くんですか」
「えっと、その、お茶を……」
「だったら……お茶だったら……私が淹れます」
醍醐は伏し目がちに言って立ち上がると、湯沸かし器のある申し訳程度の作業台に向かった。
「え……」
天野は困惑しながらも、部屋を出る理由がなくなって腰を下ろす事となった。
年老いてはいるが気性が激しく、今も山道を駆け上がる事が出来るその馬を駆り、パゲートスは山小屋を目指した。
南の山を行軍していたイティメノスの一団を、なんとしても止める為に。
プラティーナの家臣は今や居ないに等しく、その一団を見つけたパゲートス自身が追跡せざるを得ない。無論、館に残るイーリクイニアは彼を止めようとしたが、遂にそれは叶わなかった。
パゲートスは何よりも、一団が連絡通路に達する事を恐れていたのだ。
だが、遅かった。
彼が辿り着いた時には、足跡が空間の歪みに消えていた。
脅威の到来を伝えなければならないと、彼は山小屋に馬を預け、空間の歪みへと飛び込んだ。
渡ってしまえば、同じ場所から戻れるとは限らず、戻る術すら分からぬ様な場所へ飛び込む事の恐怖は、そんな場所へ恐るべき悪鬼が到達してしまった事の絶望とは比べ物にならなかった。
パゲートスが降り立ったのは、箱根の山中だった。最初に彼を見つけたのは、周辺の警備を委託されている
まずはオークの中でも厄介なイティメノスが
「まさか……」
パゲートスは剣を抜き、慎重に歩みを進めた。
だが、屋内にオークらしき気配は既に無く、残されていたのは留守を任されていた職員の亡骸だけだった。
「遅かったか……」
「このまま此処に居て下さい、地球の官吏を呼び寄せます」
それは、正午の日が傾きを見せるよりも少し前の頃の出来事だった。
同じ頃、昼休みも終わりに差し掛かった亜人相談室調査係の別室には、物憂げな表情を浮かべて鉢植えの花を弄ぶ醍醐の姿が有った。
醍醐が弄ぶのは、バレリーナのスカートの様に広がる、濃い桃色の花びらを持ったエキナセア《バレンギク》。
「失礼しまーす……」
申し訳程度に声を掛け、扉を開けた天野の姿を見た醍醐は、目を瞬いた。
「天野さん……外出調査じゃなかったんですか?」
眉根を寄せながら皮肉を帯びた言葉を放つ醍醐に天野はたじろぎながら、口を開く。
「あ、いや……仕事は終わりましたし、その、醍醐さん、外に出るなと言われているので……差し入れを……」
「お昼なら、白銀さんがおすそ分けを下さったんですけど……」
「あ……そう、ですか……あーでも、焼きドーナツも有るんで、お茶菓子にでもして下さい」
天野は紙袋を机の端に置き、彼の昼食であるサンドイッチの容器を持って立ち去ろうとした時だった。
「天野さん、戻ってらしたんですか」
にわかに切迫した様子の白銀が別室に戻ってきた。
「あ、はい。あの、よろしければ差し入れに」
「申し訳ないんだけど、暫くこの部屋の方で待機していて下さい。箱根にオークが現れて、渡航管理局の職員が一人惨殺されたそうなので、オーク捜索について武寿賀さんと相談しなくてはなりません。何かあったら、室長殿に指示を」
「え、あ……」
天野が事態を飲み込むより先に、白銀は執務室の奥にある鞄と外套、そして真新しい地図の束を手に取った。
「で、出掛けるんですか?」
「事と次第によっては現地に向かいます」
白銀は言いながら、係長室の方に向かう。
天野はふと醍醐を見た。醍醐は不安げな表情を浮かべ、天野を見つめる。
「大丈夫……だと、思います……」
天野は居心地の悪さを覚えながらも、取り繕う言葉を口走りながら、仕方が無いと言った様子でサンドイッチの容器を机に下ろした。そして、醍醐に背を向ける。
「何処に」
突き刺さる様な言葉に、天野の足が止まる。
「何処に行くんですか」
「えっと、その、お茶を……」
「だったら……お茶だったら……私が淹れます」
醍醐は伏し目がちに言って立ち上がると、湯沸かし器のある申し訳程度の作業台に向かった。
「え……」
天野は困惑しながらも、部屋を出る理由がなくなって腰を下ろす事となった。