犯せる禁忌

文字数 1,359文字

 夕刻、仕事を早めに切り上げた吉備津は醍醐を連れて帰宅した。
 瀬戸と天野は半ば諦めた様に、係長室のソファにだらしなく座り、ただ時間が過ぎるのを待って居た。
 そんな中、望月は二人を残し、来客に呼び出されたまま戻っていない。
 望月を訪ねたのはアネミースであり、彼は魔除けが足らないだろうと、エルダールのランプを持ってきたのだ。そして、ランプを係長室に届けた望月は彼と共に、近くにある喫茶店に居た。
 桜花堂なるその喫茶店は、官公庁の並ぶ永田町とは反対の虎ノ門の一角に有る。
「原因が……なんとなく、分かりました」
 望月の言葉に、アネミースは目を細めた。
「上司は……殺させない。おじいさまは、責任を取る、と」
 アネミースには分かっていた。武寿賀が何をしようとしているのか。
「だけど……原因は、彼女の悲しみで……だとしたら、それを忘れてしまえば……優しくて、前向きで、いつだって明るかった彼女なら……」
「忘却の魔術(カタラ・レテ・マギア)でどうにかなると思うか?」
 望月は首を振った
「解ける事の無い無限の夢……無限夢想魔術(カタラ・エオニオーティタ・オニロ)なら……死ぬまで、ずっと、幸せな夢だけを見る事が出来るのではないでしょうか……悲しい記憶を全て忘れて……」
 望月は声を震わせていた。
 アネミースは何もないふりをして、コーヒーに口を付ける。
「同じ……同じ事なら……私は、殺したくありません」
「分かっているのなら、手を貸そう」
 アネミースは知っていた。それはエルダールにとって禁忌である、と。
 寿命に限りの無いエルダールは、その魔術に掛かれは全てを失い、忘れ、体が朽ち果てるまで永久に夢だけを見続ける。それは諸悪の化身(エフィアルティース)に取り憑かれた者を、殺さず、しかし、生かしても置かず捨て置く為の手段なのだ。そして、それは魔術を掛ける側のエルダールにとっても命懸けの魔術である。
 だが、望月は光の民(フォスコイノス)であり、魔術を掛ける相手は獣人(サテュロス)である。
 アネミースは首に掛けていた飾りを外し、手を出せ、と言った。そして、差し出された望月の両の手に、白い首飾りを置いた。
「魔水晶だ」
 望月は顔を上げた。
「魔窟に踏み込んだ時、何度割ったか覚えていない。中つ国(アステクシア)ならさして珍しい物でもない……最後の一撃にだけ使え。まだ使えるはずだ」
 望月は頷き、それを首にかけた。
「もししくじった時には……エピスタニスに任せろ。それと、スパーシウスにもこの事を伝えておきなさい。万一の事が有れば、対応出来るのは彼くらいだろう……殺すなというのは、通用しない。それだけは肝に銘じておけ」
 望月は首飾りを握りしめた。
「しかし……何故、地球(ここ)にまであれが現れるのか……」
「……私、戻ります。スパーシウス様に、伝えておきます」
 望月は立ち上がり、店を出た。
 アネミースは形だけ彼女に頼んでいた焼き菓子を手元に引き寄せ、少しばかり思案していた。
 地球生まれの獣人(サテュロス)に、何故、諸悪の化身(エフィアルティース)が取り憑いたのか、と。
 オークが持ち込んだとも考えたが、それでも不可思議だった。
 地球で生まれたニンフが居る事と同じ様に。
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