月明かりの隠密

文字数 1,337文字

 望月は来客があると告げられ、吉備津の使いで茶菓子を買って戻ってきたところだった。
「あ!」
 室長室に向かう半ば、廊下の向こうから歩いてきた人物に、彼女は目を輝かせる。
「お父様!」
 踵の低いショートブーツで床を叩きながら駆け寄った先に居たのは、焦げ茶色の髪を後ろに束ねた男。
 望月は彼に、子供の様な仕草で抱き付いた。
「すごく久しぶり……最後に会った時は、まだ雪が降る前だったわね……」
 男は胸に顔をうずめる彼女の髪を撫で、何かあったのかと問う。
 彼女は上目遣いに顔を上げ、口を開いた。
「恐ろしい物が見えたの……ほんの三日ほど前、ウェスペルティーリオの大群が降ってくる場所に居たわ……おじいさまは、エザフォスに連絡通路(ワープホール)が出来て、其処からこの星に流れ込んでいるのではないかと言ったけど……今日になって、ウルクまでがこの星にやって来ているかもしれないと……それを聞いた時、すごく恐ろしい光景が見えたわ……諸悪の化身(エフィアルティース)がウルクの形を成していたの……何度斬っても倒れずに、際限なく増え続ける、幻の兵隊が押し寄せてきて……」
 彼女は再び男の胸に顔をうずめる。
 男は眉根を寄せ、再び彼女の髪を撫でた。
「それは未来の景色だな。だが……もしかしたら本当になってしまうかもしれない」
「え……」
 女は上目遣いに男の顔を見る。
「暫くの間、星見岬(カエヴィデラ)の城下町に居たが、あそこは今、高齢の王が力を失い、病弱な王子しか後継者が居らず、執政が(まつりごと)を動かしているが、酷い悪政で、城下の住民達でさえ苦しんでいる有様だった。農夫達はもっと酷い状況に置かれているだろう」
「まさか……」
「去年は収穫が少なく、重税に耐えかねて民は怒り、軍は中つ国(アステクシア)に進行する事さえ考えているのだが、エルダールの軍を相手にアネールが勝利する事はまず出来ない……執政の腹心、黒い魔術師はウルクを従えての出兵を勧めているとも聞く」
 望月は男の胸に顔をうずめたまま、目を瞠る。
「おそらく、お前が見たのは星見岬(カエヴィデラ)の未来だ。人々の苦しみに諸悪の化身(エフィアルティース)が巣食った時、もしそこにウルクが居れば、倒れる事の無い兵隊が無尽蔵に生まれるだろう」
「でも、この星にも……ねぇ、王子様の、ペリプラニシスの方の行方は、分からないの?」
 男は眉間の皺を深くする。
「私があちらに居た限りでは分からない。ただ、噂を聞くに王子は婚約者を探しているらしい」
「婚約者……」
「政変で国を追われて以後、中つ国(アステクシア)のエルダールの(もと)に身を寄せていたらしいが、そこでとある方を見染めたと……しかし、その方は姿を消してしまい、彼はその方を探して放浪している様だが、エザフォスに居るかどうかも分からない」
 彼女は絶望に任せるまま、男に身を委ねた。
「……セレーニア、その様子だと、使いを頼まれていたのだろう?」
 男は彼女が手にする紙袋を見遣る。
「お父様……」
「スパーシウス殿とも話がしたいんで早めに来たんだ。お前も早く行きなさい」
「……分かったわ」
 望月は男の胸を離れ、足早に室長室へと向かった。
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