戦争の足音

文字数 2,661文字

 天野は望月に連れられて、庁舎三階に設けられている偶発的渡航者の待機室へと向かっていた。
 惑星間移動も、許可の無い者は原則として犯罪であるが、偶発的な事故によって連絡通路(ワープホール)を通った者の場合、拘留ではなく保護された警察署か都道府県警の本部での待機となる。
 関係者以外立ち入れず、人の出入りは厳しく制限されているが待機室は留置所と違い、仮眠の出来る個室である。風呂や便所は立ち入り制限区画に共用の物が有るのみだが、地球の人間にとってはインターネットカフェや漫画喫茶と言った個室喫茶に近い環境であった。
「ところで、望月さん、それは……」
 望月が手にする金属のバットに、天野は引き攣った表情を浮かべていた。其処に有るのは、赤々とした生肉なのだ。
「メタキニス殿は魔狼(マギアリコス)を連れたままこちらに来てしまったそうだから、魔狼(マギアリコス)の餌よ」
 天野は胸を撫で下ろした。彼は朝一番に偶発的渡航者の待機室に行くと告げられた時、面会するのがどんな種族であるかを聞かされていなかったのだ。しかも、望月は赤々とした生肉を携えており、彼は面会する相手が獰猛な獣人や食人鬼の様な種族ではないのかと戦慄していた。
「で、その、待機されている方は」
「エルダールの狩人で、弓の名手よ。私も中つ国(アステクシア)で彼に弓の扱いを教わったわ」
 二人は入場ゲートをくぐり、白い廊下を進む。
「メタキニス殿、エピスタニスの遣いで来ました、セレーニアです」
 いくつか目の扉に向かって望月が声を掛けると、白い引き戸が静かに開く。
「以前、中つ国(アステクシア)でお目に掛かって以来ですね」
「そうだな、セレーニアはまだあの頃は子供だったな」
「そうですね。それはそうと、ホラニアス殿が魔狼(マギアリコス)の餌が無いだろうからと、猪の肉を分けて下さいました」
 望月は金属のバットを男に差し出した。
「それはありがたい。しかし、キニースを連れている分、すぐには動けないらしいんでな、ホラニアス殿によろしく伝えてくれ」
「分かりました。器は昼食の器を返す時、係の者に渡して下さい。明日は家畜の肉を用意してくれるそうなので」
「そうか、すまないな」
 言って、男はベッドにつながれている魔狼(マギアリコス)に肉を出した。そして、魔狼(マギアリコス)がそれを食べ始めたところで、男は再び出入り口の方に戻る。
 天野は二人の隙間から、犬とは呼べない魔狼に戦慄していた。あんな物に襲われれば一溜りも無いのではないか、と。
「さて……聞きたいのは、オークの事だよな」
「はい。昨夜、私の母もオークに追われた勢いで、同じ場所からこちらに戻ってしまい、街に戻ってきたのですが……静寂の森(ヘシソダス)で、一体何が起こっているんですか? ミスリル鉱山のドワーフが居ない間に、オークが活動していたのは確かでしょうけれど……エルダールの領地を跋扈(ばっこ)するほどに勢力が有るのでしょうか」
「勢力が有るというよりも、食料を求めながら、移動しているのかもしれないな。星見岬(カエヴィデラ)はオークを手勢に加えて中つ国(アステクシア)を攻めようとしているだろう? 北の静寂の森(ヘシソダス)から東の平野を目指しているのかもしれない……山に潜みながら、星見岬(カエヴィデラ)の軍勢が港に入り、進行を始めたところを挟み撃ちにするつもりかもしれん。エルダールの領地を跋扈(ばっこ)しているというよりは、勢い任せに通過しようとしているんだろう。星見岬(カエヴィデラ)の軍がオークと手を組もうとしているという話は随分前から有ったし、ドワーフと入れ替わりに鉱山の地下へ侵入し、春を待っていたんだろう……しかし、あいつらは今酷く飢えている。見つかれば食われるかもしれないぞ」
 男の話を聞き、二人は息を呑んだ。
「つまり……地球人は、餌になる、と」
「あぁ」
 天野は頭から血の気が失せていくのを感じながら、必死に立っていた。だが、更に残酷な推論が彼の目の前で展開される。
「……オークどもは、重なった満月の夜に移動通路(ワープホール)が相互に行き来出来る事を知っているのでしょうか」
「イティメノスが居れば気付いているかもしれない」
 望月は目を伏せて思案した。考えられる事は、ふたつ。
「そうなると……飢えたオークはこちらで腹を満たし、再び中つ国(アステクシア)に戻って東の部屋を挟み撃ちにするのでしょうか。あるいは静寂の森(ヘシソダス)で戦闘に持ち込み、オークを地球に送り込む事で手勢を殺ぐのでしょうか」
「どちらも有り得るな。北の領主は結構冷酷で自分達の土地を守る為ならドワーフを犠牲にする事も厭わない。ましてや、直接知らないこの星の民がどうなろうと、知った事ではなかろう」
「そんな……」
「だが、オークとの戦争に関わりたい領主は誰も居ない。それどころか、南の領主は後継者がとんだ偏屈者の上、御息女は婚約相手がいきなり黄泉へと渡った事に激怒してこの星にまで来ちまったという話だ。援軍を呼ぶよりは、こっちに流し込む可能性は高いだろうし、送るだけならいつでも出来る、そうだろ?」
「……私に、戦えるでしょうか」
「何体も相手にするのは難しいだろうな。とはいえ……もし、南の領主の御息女が見つけられたなら、彼女は頼れるかもしれん。彼女は誉れ高い星の民(エルダール)であると同時に、この星の美しい刀剣にほれ込み、今ではすっかり廃れてしまったその使い方を、数少ない継承者に習ったと伝え聞く。しかも、この星の刀剣は、とてつもない切れ味だとか」
「……おじい様なら、何かご存じでしょうかね」
「そうだな」
 望月は眉根を寄せ、武寿賀が昼からの出勤である事をもどかしく思いながらも、次の仕事をせねば思い直す。
「また、お話聞かせてくださいね。天野さん、もど……」
 望月が振り返ったとほぼ同時に、天野は(くずお)れた。
「あ、天野さん!」
 望月は慌てて手を伸ばし、男も前に踏み出した。
「ところで、この方は」
「私と一緒に働く、この星の民とニンフの混血の方です」
「あー……」
 男は何かを理解した様に声を出した。
「聞いた事が有る。この星は長らく戦争など知らない民しか居ない、と……しかし、話を聞いただけで卒倒されていては、仕事にならんだろう」
「今でさえ結構な役立たずなのですがね……守衛さんを呼んできます」
 望月は入場ゲートへと向かった。
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