悪魔の触手

文字数 1,413文字

 正午を少し過ぎた食堂の中、吉備津は相談係の柏木と向かい合っていた。
「まさか、吉備津室長から話を通していただけるとは思っていませんでしたわ」
「一応、全部の統括は私の仕事ですからね……スカウトなら、私がなんとかするわ……コネが無いわけじゃないのよ?」
「なら、安心して任せられますね」
 首を傾げて見せる吉備津に、柏木は笑った。
「とはいえ……寂しくなるわね、長い事一緒だったから……でも、向こうに帰っても、地球(こっち)から祈ってるわ……貴方達の、貴方と子供さん達の幸せを」
「ありがとうございます」
 微笑む柏木に安堵した様に、吉備津は定職のハンバーグに手を付けようとした。
 その瞬間だった。
「あぁっ!」
 突如として柏木の体が宙に浮いた。
 持ち上げているのは、床から生えてきた、白くうねる触手。
『シンジャエ、ミンナ、ミンナ、シンジャエ』
 何処からともなく、獣の咆哮にも地鳴りにも似た、おぞましい声が聞こえてきた。だが、その声には、吉備津には聞き覚えの有る可愛らしさが有った。
『コンナモノ、イラナイ、ミンナ、イラナイ、コンナモノ、アルノ、ワルイ』
 柏木を絡め取って抱え上げているのとは別の白い触手が、彼女の腹部へと向けられる。
 それは洋槍(ランス)の先端の様に鋭利で、ドリルの様な勢いをつけながら、彼女の子宮を、胎児を、貫こうとしていた。
「止めなさい!」
 吉備津は無我夢中に机に身を乗り上げ、膝でハンバーグを潰しながら、右手に握りしめた樹脂製の箸を、鋭利な触手に振り下ろす。
 それはまるで、中空のシリコンゴム製の人形の様に変形し、動きを止める。だが、手ごたえは無い。
「止めろっつってんのよ!」
 得体の知れぬ脅威に、誰もが逃げ出す中、吉備津は叫び声を張り上げ、その鋭利な触手を左手で掴んだ。
 触感はまるで発酵途上のパン生地の様な柔らかさだが、得体の知れない力が、押し付ける吉備津の左手を跳ね返そうとしている。
「このくそがぁっ!」
 なりふり構わぬ怒号を上げ、柏木の分だったパンを右膝に踏みつけながら、彼女の体に絡み付く触手に右手を伸ばす。
「放せっつってんだよ!」
 パン生地ならば引き千切ってやる。吉備津は力の限り、触手を引っ張った。
「あ、あぁっ!」
 引き寄せられるまま、柏木の体は机の上にまで引き寄せられ、派手な音を立てて机に解放される。
「逃げなさい! さあ、早く!」
 二本の触手を引っ張りながら、吉備津は机の上に立ち上がる。
 柏木は机を降り、縺れそうな足取りでその得体の知れない触手から逃げようとする。だが、触手は無限に増殖し、何本もの腕を伸ばす様に、柏木に迫った。
邪気追放(カコ・ピーローステ)!」
 呪文詠唱と共に、剣が振られた。
「早く、此処から逃げろ!」
 叫び、同じ呪文を繰り返すのは、草薙を探して食堂にやってきた矢城だった。
 吉備津は机を飛び降りると、立ち竦む柏木の手を引いて食堂を飛び出した。
「畜生、一体、何処に居るんだよ!」
 矢城が苛立ちに叫んでも、白い触手は暴れ続けていた。
 発生源が分からないのであれば、食堂を封鎖する方が早い。彼はその場に誰も居ない事を確かめる。
 しかし、彼の魔力では長く持たない。だが、何もしないよりはましである。
 伸びてくる触手を薙ぎ払いながら、彼は扉の外へと引き、呪文を叫んだ。
邪気封印(カコ・スフラギーダ)!」
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