黒い軌跡

文字数 1,697文字

 武寿賀が呼び鈴に応えて扉を開けると、そこには白銀が立っていた。
「モニミアネ、パゲートスの傍に居なくてよいのですか」
「邪気が抜ければ痛みは治まるでしょうし、しばらく休むしかありません。それより、セレーニアの具合はどうなのですか」
「こちらも、少し邪気に中てられてはいますが、今は眠っています」
「そう……光の民(フォスコイノス)の薬には詳しくないから、効果が有るかは分からないけれど、手元にある物を調合してきました、煎じて飲ませてください」
「分かりました」
「では」
「モニミアネ」
 武寿賀は踵を返そうとする白銀を呼び止める。
「何か」
「話しておきたいことがあります、上がって下さい」
 白銀は怪訝に眉を顰めながら、武寿賀の居室へと進む。

 特にこれといって物の無い居間で、白銀と武寿賀は向かい合っていた。
「話とは」
 白銀の言葉を遮る様に、武寿賀はシャツのボタンを外す。
 白銀はその真意を測りかねていたが、あらわになった白い肌を見て、眉を顰めた。
「……顔の肉を、素手で剥がす……そんな所業が出来た理由は、それだったのですね」
 肩から腹にかけて残された袈裟懸けの傷跡の上には、黒い入墨があった。
「エヴィメリアスが生まれるよりも前の事でした……私達の父、貴方にとっての祖父、イエネオスは、私達と共にオークの軍勢と対峙し、命を落としました」
「父上の傷跡も、その時の物ですね」
「えぇ」
 今もなお強い引き攣れ(ケロイド)が残る傷跡は、切れ味の悪い刃物で深く刻まれた物だろうと、白銀は入墨の下の傷に思いを馳せる。
「……オークの穢れた刃の傷を受けた物は、たとえ生き残っても、自ら西方へと旅立つ……父上がとんでもない意地っ張りの頑固者呼ばわりされる理由が、よく分かります。本来なら、その呪いの力でもなければ、傷の痛みからは逃れられないのですから」
 武寿賀はゆっくりと白銀に背を向ける。その背中にも、袈裟懸けに切り付けられた傷跡と、黒い入墨が残されていた。
「しかし伯父上、その傷跡が、一体」
「問題は……この入墨です」
「入墨……」
「何を意味しているか、貴方は分かりましたか」
 白銀は目を伏せ、呟くように答えた。
「……邪悪に対抗する為、自らに闇の力を宿した、という事でしょうか」
「やはり、よくご存じで」
 自嘲気味に言いながら、武寿賀は再びシャツに袖を通す。
「貴方の父親は、塞がりかけた傷を開き、清浄の力を持った水晶を混ぜた薬で傷を癒そうとしました」
 白銀は思い出す。月明かりの下で、醜い傷跡が不思議なきらめきを放っていた事を。
「しかし、私は耐えきれませんでした……傷跡の苦しみにも、まだ知らぬ事を残したまま、西方へ向かう事も」
 白銀は眉間のしわを深め、武寿賀を見遣る。
「私は自分の欲の為、星の民(エルダール)としての誇りを捨て、別の星で生きる道を選んだのです」
「……それが、全てを捨てた理由」
「えぇ、そうです」
 白銀は乾いた笑いをこぼす。
「そうですか……意地っ張りなのは、伯父上も同じ……でも、悪くないですね」
「え……」
 白銀に背を向けたまま、武寿賀は目を瞠る。
「そうやって、利己的に生きるなんて、あんまりですけど……何もかも捨ててまで、別の星に逃げてまで、まだ生きていようなんて……どっかの馬鹿どもに、聞かせてやりたかったです。私を捨てたあの馬鹿野郎といい、兄を捨てた奥方といい……勝手に絶望して、将来を誓った相手だろうが、家督を継いでもいない子供だろうが、全部放り捨てるよりも、ずっといいじゃない……ただ、伯父上を罵倒するなら、星の民(エルダール)の誇りを捨てた、馬鹿野郎です、伯父上は……そこまでして生きるなんて、とんでもない、大馬鹿です……」
「モニミアネ……」
 武寿賀はゆっくりと振り向く。白銀は俯きがちに、悲しげな表情を浮かべていた。
「……せいぜい」
 白銀は顔を上げ、武寿賀を見た。
「せいぜい、そこまでして生きると決めたのなら……この世界を、見て下さい。私よりも、沢山」
 言って、白銀はそのまま部屋を出て行った。
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