人知れぬ決戦

文字数 2,887文字

 黒井は麹町署へ向けた車を警視庁の庁舎へと戻そうとした。しかし、引き返す最中、車両は投石を受け緊急停止を余儀なくされた。
「こんなデモ、無許可に決まって、うわぁ」
 強化ガラスに創刊されているはずの窓さえも破る衝撃が、車両の後部からもたらされる。
「改造銃か……袋叩きは御免だ、白石、車検証を持ち出せ! 外に出るぞ!」
 黒井はキーを引き抜く直前、無線越しに叫んだ。
「相談室調査係、車両を放棄し脱出する! 無線を切れ!」
 飛散防止シートも重ねられているとはいえ、想定外の衝撃を重ねて受ければ車内は無防備になる。
 黒井の絶叫の直後、武寿賀は一瞬の防御魔法を発動させ、一同は一斉に車を飛び出した。
 四人はそれぞれ別々の方向に走り去り、デモ隊の手が届かない場所へと逃れ、それぞれの端末で連絡を取り合った。そこでデモ隊の状況を報告しあいながら、大回りをして一般人が近づけない宿舎のある裏手へと回る事になった。
 そんな中、真っ先に庁舎へとたどり着いたのは武寿賀だった。座っていたのは庁舎側の助手席で、デモ隊からの注目が最も集まるはずだったが、彼は防御魔法に続けて自らへの注意が集中しないよう、闇の魔力を最大限に使って表側の群衆をかき分け、裏手へと回り込んだのだ。
 散弾銃を持ったまま群衆に飲まれるわけにはいかない、その一心で彼は庁舎へと駆け込んだが、その間に感じていたのは、自信の呪われた魔力をも凌駕する闇の気配だった。
 ――望月さん!
 関係者専用の通用口から庁舎に飛び込んだ武寿賀が真っ先に聞いたのは、天野の絶叫だった。
「セレーニア!」
 駆け寄った先に居たのは、狂犬の様に暴れる望月と、それを引き止めようと力を振り絞る天野だった。
 天野は何度も振り払われ、武寿賀が駆けつけた時には、その量の足に縋りついていた。
邪気追放(カコ・ピーローステ)!」
 武寿賀が邪気を払う魔術を発動させた瞬間、武陸類喚いていた望月は頽れた。
「も、望月さん!」
 天野は慌てて立ち上がり、立ち上がりかけた姿勢のまま、前のめりに頭から仆れようとする望月を抱える。
「天野君、一体何が」
 武寿賀は二人の元に駆け寄り望月の体を抱える。
「わ、分かりません! ただ、宿舎の方で何かがあって、醍醐さんが、牛乳を」
「まさか……」
 武寿賀は迷った、残っていた白銀と明星が不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)を退治している事は想像出来たが、そこにどういう理由かは分からないが醍醐が向かっているのが不安だった。しかし、おそらくはその邪気に中てられた望月を残す事も、何の力も持たぬ天野をそこに遣わす事も出来ない。
「天野君、渡航してきたエルフは」
「い、一緒に……一緒に外へ……」
「なら……天野君、醍醐さんを、連れ戻して下さい、今すぐに!」
「は、はい!」
 鋭い眼差しを向けられ、天野は外へと駆け出した。

「白銀さん!」
 禍々しさを肌に感じながらも、醍醐は恐怖を押し殺して宿舎の前へと走った。
「醍醐さん?」
 浄化魔法を繰り返しながら黒いヘドロを抑え続けていた白銀は目を丸くした。
「天野さんは」
「とにかくこれを!」
 醍醐は問いに答えるより先に、たくし上げたスカートを広げる。
「ありがとう」
 白銀は醍醐のスカートからそれを取り上げた。その後ろでは少しずつ勢いを増して暴れる黒いスライムが、僅かに緩んだ結界を押し破らんとしている。
「今すぐ戻って、早く!」
 醍醐は頷き、白銀と背中合わせになると同時に走り出す。
『新しい依り代よ……さあ!』
 握り潰され、ストローの挿入口から白い液体の零れ出した紙パックが三つ、黒いヘドロの水溜まりへと投じられる。
『依り代は水分と燃える物、思いっきり火あぶりにして塊にして!』
 黒いヘドロは白い牛乳を浴びてなお黒かった。だが分裂を繰り返すスライムの状態からは変じている。
『タンパク質で結合してくれたら、後はどうにかだな!』
 明星は白金の言葉にこたえる様に強力な炎を魔術によって起こした。
 黒いヘドロは赤い炎に包まれ、周囲には肉の焦げたような刺激臭が立ち上る。
 そして、不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)が取り込んだ穢れもろともそのヘドロが焼かれたところで、パゲートスはその塊に灰水晶(ミス・クリュッソ)の剣を突き立てようとした。
 しかし、不穏な咆哮が響き、炎はかき消された。
 焼き尽くされたはずの塊は膨張し、防具を纏わぬ斃された者達(イティメノス)の様な、幽鬼の様な黒い影の実体となった。
『斬れますか』
『やるしかない……モニミアネ、下がれ!』
 パゲートスは怒号と共に駆け出し、明星もまた突撃の構えを見せる。
 ほとんど捨て身の刺突を繰り出したパゲートスの刃だったが、不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)はそれを掴んだ。
 一瞬の膠着に、明星は刃を振り下ろす。
 得体の知れない物質に構成された黒い腕が落ち、パゲートスの刃が自由になる。明星はとどめを刺す覚悟であり、返す刀で不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)を貫こうとしていた。
 だが、それは叶わなかった。
 年度の様に変ずる不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)は落ちた腕の代わりに鋭い棘を体に生やし、明星の心の臓に向けてそれを伸ばした。
『プロイアス殿!』
 コンクリートの壁すら割らんばかりに張り上げられた白銀の悲鳴に反し、プロイアスは不敵な笑みを浮かべた。
『道連れにしてくれる!』
 凄まじい咆哮と同時に明星は刀を構え直し、その刀を引き止めようと伸ばされた黒い触手もろとも、灰水晶(ミス・クリュッソ)の刃を不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)に突き刺した。
 怪鳥の断末魔の様な凄まじい音を立て、黒い塊がはぜる。
 パゲートスは最上位の浄化魔法を発動させ、白銀は霧散しようとする邪気を滞留させるべく、風の魔術を発動させた。
 一瞬の間漆黒が支配したビルの谷間に光が戻った時、残されていたのは刀身の失われた明星の刀と、倒れ込む彼の身体だけだった。
『プロイアス殿!』
 白銀は明星に駆け寄り、パゲートスもまたその傍らへと向かう。
『心の臓までは達していないが……』
 パゲートスはそれ以上何も言えなかった。穢れた刃の傷が癒えないのであれば、それ以上の力を持った不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)が与えた傷を癒す術は分からない。
 白銀は一瞬思案し、スカートのポケットに押し込んだ小瓶が脚に当たっている事に気づく。
『モニミアネ』
『清浄の生薬です、さっき作りました。何もしないより、ましです』
 白銀は明星のシャツを引き裂くと、赤黒く開いた傷跡にすりつぶした薬草を押し込んだ。
 明星は苦悶に身をよじろうとするが、パゲートスは咄嗟にその肩を押さえつける。
『辛抱しろ、傷は深くない』
 それだけ言って、パゲートスは白銀には分からない言葉を述べ始めた。それは星の民(エルダール)の古い言葉でつづられた呪文だった。
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