葬別
文字数 2,032文字
望月は助手席から外を眺めながら、僅か数日間とは思えないほどの激動を思い返していた。
草薙に禁忌の魔術を掛けた直後、現れたのは矢城だった。
矢城は邪気払いの魔術で諸悪の化身 の残骸を駆逐し、元居た食堂へと戻って同じ事をした。
亜人が引き起こした前代未聞の事態に警察庁は天地がひっくり返った様な混乱に陥ったが、半ば当事者である武寿賀は、その時点で庁舎に居なかった風見と瀬戸に聞き取り調査を指示し、何が起こったのかをその日の内に整理して報告した。
また、相談室で怪異に遭遇した一般人は草薙が対応した女性一人だけで、武寿賀が事情を説明したところ、中絶してくれる医者を見つけてくれればそれでいいと言った。武寿賀は望月に後の対応を任せ、望月は女性が務めている性風俗店は違法であると言い、その内店は潰れるだろうから安心していいと伝え、医務係の医者に対応を任せた。
一方、食堂で触手に絡め取られた柏木の体にも異常は無く、醍醐も痣が出来てはいたが、草薙への同情心が上回り、何も言わなかった。ただ、天野は数日の間、望月の黒い髪に諸悪の化身 の黒い触手を連想してしまい、望月は髪を結う事を余儀なくされてしまった。
あれから数日が過ぎた今、望月は武寿賀の運転する車で、草薙を箱根の連絡通路 が在る場所へと送り届けている。
望月に魔術を掛けられて以来、草薙はまるで呆 けてしまった方に、ただ、魔術が作り出す景色だけを見つめていた。
もはや彼女は偽りの夢を見る事以外に何も出来ず、放っておけば、獣人でも半月と絶たず死に至る。
武寿賀は彼女の事を亜人相談室の医務係に所属する亜人専門医の薬研 に任せ、エザフォスの各地に精通した矢城を草薙の親族が居る土地へと向かわせた。
草薙の両親は既に亡く、地球に暮らすきょうだい達は彼女の引き取りを拒んでいたのだ。しかし、その内の一人が、エザフォスに高齢ながら叔父が健在だと言った。
矢城はおぼろげに語られた土地を探り当て、渡って三日目にはその獣人 を探し当てた。
地球生まれながら、エザフォスで長く暮らしていた彼女の叔父は、矢城から姪に諸悪の化身 が取り憑いた事を聞き、事の重大さに驚き、そして彼女を憐れんで涙した。
そんな彼女の叔父と矢城が地球に渡ったのは一昨日の事。病気の親族を引き取る為という渡航理由は優先審査の対象であり、二人は昨日中に新幹線で上京し、中つ国 と連絡している箱根の連絡通路近くの宿で一夜を明かした。
望月は室内鏡 越しに草薙を見遣る。
借り受けた福祉車両の後部、固定された車椅子に座ったまま、草薙は望月の与えた夢の景色を眺め続けていた。
彼女の叔父と矢城が戻るまでは栄養剤の投与が行われていたが、彼女の叔父は延命を望まず、その点滴も外された。
草薙に残された時間は、そう長くない。武寿賀は同行する矢城に、中つ国 の南の港の近くに館を構えるアステリシーの当主に宛てた紹介状を託し、エルダールの慈悲の元に彼女が穏やかな時を過ごせるようにと願った。
彼女を送り届ける連絡通路 が出現しているのは箱根温泉が在る一帯。自動車で進める場所まで進み、其処からは草薙をケンタウルスに預け、望月と武寿賀は亜人管理用に飼育されているエザフォス産の小型馬に乗って進む。
武寿賀達三人と矢城達が合流したのは、日が傾きに転ずる頃だった。
いざ、諸悪の化身 に取り憑かれた姪を前にすると、叔父は後退 りしようとした。
「彼女は今、ただ幸せな夢を見つめ続けています……諸悪の化身 が巣食う様な悲しみや苦しみは、もう、何も感じていません……そうでなければ、ケンタウルスが乗せてくれませんよ」
武寿賀の言葉に、叔父は草薙を見た。
首も座らない様子で、視線は虚を見つめたまま、半開きの眸には光が無かった。
「矢城君」
武寿賀は掛けていた鞄から、一通の封筒を取り出した。
「アステリシーの当主、シネーティアウス殿にこれを渡して下さい。おそらく、仮住まいの宿くらいは融通してくれるでしょう」
「承知しました……まずは、山小屋に向かいます」
「おそらく、山小屋には小馬が居るでしょう。ふもとまで降りたら貸し馬屋が有るはずです」
「では……」
封筒を受け取った矢城は眉根を寄せ、俯く草薙の叔父を見遣る。
「行きましょう。姪御さんは、私が背負います」
ケンタウルスは矢城の背に草薙を託す。望月は白い木綿の布を手に、矢城の隣に向かった。
望月は何も言わず、草薙に涎掛けをしてやった。
「行きましょう」
矢城は静かに呟き、空間の歪みへと歩き出す。
草薙の叔父は帽子を取って一礼し、矢城の後に続いた。
草薙に禁忌の魔術を掛けた直後、現れたのは矢城だった。
矢城は邪気払いの魔術で
亜人が引き起こした前代未聞の事態に警察庁は天地がひっくり返った様な混乱に陥ったが、半ば当事者である武寿賀は、その時点で庁舎に居なかった風見と瀬戸に聞き取り調査を指示し、何が起こったのかをその日の内に整理して報告した。
また、相談室で怪異に遭遇した一般人は草薙が対応した女性一人だけで、武寿賀が事情を説明したところ、中絶してくれる医者を見つけてくれればそれでいいと言った。武寿賀は望月に後の対応を任せ、望月は女性が務めている性風俗店は違法であると言い、その内店は潰れるだろうから安心していいと伝え、医務係の医者に対応を任せた。
一方、食堂で触手に絡め取られた柏木の体にも異常は無く、醍醐も痣が出来てはいたが、草薙への同情心が上回り、何も言わなかった。ただ、天野は数日の間、望月の黒い髪に
あれから数日が過ぎた今、望月は武寿賀の運転する車で、草薙を箱根の
望月に魔術を掛けられて以来、草薙はまるで
もはや彼女は偽りの夢を見る事以外に何も出来ず、放っておけば、獣人でも半月と絶たず死に至る。
武寿賀は彼女の事を亜人相談室の医務係に所属する亜人専門医の
草薙の両親は既に亡く、地球に暮らすきょうだい達は彼女の引き取りを拒んでいたのだ。しかし、その内の一人が、エザフォスに高齢ながら叔父が健在だと言った。
矢城はおぼろげに語られた土地を探り当て、渡って三日目にはその
地球生まれながら、エザフォスで長く暮らしていた彼女の叔父は、矢城から姪に
そんな彼女の叔父と矢城が地球に渡ったのは一昨日の事。病気の親族を引き取る為という渡航理由は優先審査の対象であり、二人は昨日中に新幹線で上京し、
望月は
借り受けた福祉車両の後部、固定された車椅子に座ったまま、草薙は望月の与えた夢の景色を眺め続けていた。
彼女の叔父と矢城が戻るまでは栄養剤の投与が行われていたが、彼女の叔父は延命を望まず、その点滴も外された。
草薙に残された時間は、そう長くない。武寿賀は同行する矢城に、
彼女を送り届ける
武寿賀達三人と矢城達が合流したのは、日が傾きに転ずる頃だった。
いざ、
「彼女は今、ただ幸せな夢を見つめ続けています……
武寿賀の言葉に、叔父は草薙を見た。
首も座らない様子で、視線は虚を見つめたまま、半開きの眸には光が無かった。
「矢城君」
武寿賀は掛けていた鞄から、一通の封筒を取り出した。
「アステリシーの当主、シネーティアウス殿にこれを渡して下さい。おそらく、仮住まいの宿くらいは融通してくれるでしょう」
「承知しました……まずは、山小屋に向かいます」
「おそらく、山小屋には小馬が居るでしょう。ふもとまで降りたら貸し馬屋が有るはずです」
「では……」
封筒を受け取った矢城は眉根を寄せ、俯く草薙の叔父を見遣る。
「行きましょう。姪御さんは、私が背負います」
ケンタウルスは矢城の背に草薙を託す。望月は白い木綿の布を手に、矢城の隣に向かった。
望月は何も言わず、草薙に涎掛けをしてやった。
「行きましょう」
矢城は静かに呟き、空間の歪みへと歩き出す。
草薙の叔父は帽子を取って一礼し、矢城の後に続いた。