遡る恐怖

文字数 3,103文字

 天野にとって、酷く気まずい夜が明けた。
 事の発端はあの昼食の最中の事、吉備津から、何も聞かず、天野は一日醍醐を預かり、醍醐は天野の部屋で一晩を過ごすようにと命ぜられたのだ。
 二人が吉備津の剣幕から理解出来たのは、ただならぬ事が起こっているという事だけ。目を逸らしたまま顔を見合わせながらも、醍醐は何食わぬ素振りで宿舎に戻ると、荷物をまとめて天野の部屋に向かった。天野は相変わらず殺風景な室内の床を軽く掃除し、人に見せられるだけに整えた。
 業務上とは言え、女性を部屋に入れる事に天野は戸惑っていたが、良からぬ事が起こっていると察し、不安な表情を浮かべていた醍醐はどこか安堵した様子で座布団の上に座っていた。
 何かあればすぐに呼び出されるだろうと、天野は夕飯に変わり種の握り飯の宅配を頼んだが、一向に呼び出しの電話は鳴らず、狭い今で毛布をかぶったまま、気が付いた時には朝になっていた。
「……え、えぇ?」
 寝ぼけた目で横を見た瞬間、天野の眠気は吹き飛んだ。
 食卓にしている低い机に伏して眠っていた彼の隣で、醍醐は持参した膝掛毛布をかぶって寝ていたのだ。
「ん……」
 天野の驚く声に、醍醐が目を覚ます。
「あ……おはようございます」
 醍醐は何食わぬ表情で、天野の疑問に答える素振りは無かった。
「え、えっと……」
「電話、鳴りませんでしたね」
「あ、はい……」
 天野は慌てて机の上のスマートフォンに視線を移した。
「あの、洗面台、お借りしていいですか」
「え、あ、どうぞ……」
 傍らから醍醐が去った事で、天野は溜息を吐いた。そして、改めてスマートフォンの画面を確かめるが、着信履歴は無く、連絡事項の受信も無い。
 何か大きな事が起こっている、あるいは、起こるかもしれない中、何の連絡も無いのは何故か。天野が思案し始めたところで、醍醐は洗面台から天野の隣に戻ってきた。
「今すぐに集まるようにって電話がありました。いつもの会議室です」
「は、はい!」
 天野はスマートフォンを掴んだまま慌てて立ち上がる。

 天野が半ば駆け込む様にして入った会議室には、険しい表情を浮かべた三人のエルダール達と、目つきを鋭くさせた二人のサテュロス、そして、渋い表情で頬杖を突く瀬戸が待って居た。
「みんな、集まったわね」
 天野と醍醐が困惑していると、いつになく険しい表情を浮かべた吉備津がその後ろから現れた。
 天野は慌てて挨拶をしようとするが、吉備津はそれを手で制し、白板の前に立った。
「二人とも座って」
 促されるまま、天野と醍醐は腰かける。
「天野君と醍醐さんには伝えていなかったけれど、今、二つの大きな事件が起こっているわ。一つは昨日の夕刻、箱根の山中にエザフォス星から連絡通路(ワープホール)を通じてオークの集団が地球に到達し、惑星間移動の官吏をしていた職員が殺害され、その一団の行方が依然としてつかめない事。もう一つは……高木春花さんが、吸血殺人に関与している疑いが生じた事よ」
 天野は息が止まるような思いで目を瞠り、吉備津を凝視した。
「まずは確定している方、オークの集団による殺人事件について報告するわ」
 吉備津は箱根の山中で起こった事件について、その詳細を語った。そして、オークの集団はケンタウルスを動員して夜通し捜索していると語ったところで、何の合図も無く会議室の扉が開かれた。
「矢城さん」
 矢城は切羽詰まった様子で吉備津の隣に進み出る。
「吉備津さん、悪い知らせだ。オークの集団が死体になって見つかった。場所は箱根の山の中だが、どうも結界張り巡らされていて、人間や獣人(サテュロス)、ケンタウルスには見えなかったらしい」
「なぜ殺されたのかはわかってるの?」
 吉備津はやや苛立たしげに等が、矢城は表情を険しくした。
「詳しい事は直接見てないんで分かりません。ただ、箱根に出てきたエルダールの御館様曰く、エザフォスで最も恐ろしい災厄、不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)が牢を脱し、地球(このほし)に来ている可能性があると……やったとしたら、そいつです」
「矢城さん、その、何とかっていうのは……」
「姿形は今何をしているのか分かりませんが、この前此処に出た諸悪の化身(エフィアルティース)をさらに厄介にしたような化け物だと思って下さい。それと、御館様曰く、エルダールの臭いを嗅ぎつけていれば、こちらに出るかもしれない、と」
「ちょ、ちょっと待って、それは」
「御館様は人間の警察官に連行される時、ただならぬ厭な気配を覚えたと……もしかしたら、御館様に取り憑いたまま、こちらに来たかもしれません。仔細が分かるまで、署内には出来るだけ戦えるエルダールを置いて下さい。まだ行くところがあるので、失礼します」
 矢城は慌ただしげに踵を返し、会議室を出て行った。
 突然の事に目を白黒させながら、天野は一層表情を険しくする三人のエルダールを見た。その一人である白銀は歯噛みする様にスカートを握り緊め、俯いている。
「そういうわけよ……この件に関しては、武寿賀さんに任せるわ。この際よ、協力してくれる亜人が居れば此処に呼んでいいわ、責任なら私が取る。それと……もう一つ、大事な事を言わなければならないの……高木さんの事よ」
 吉備津は高木春花の経歴について語り、明星が発見した吸血死体の一件について語った。
 話を聞くにつれ、醍醐は背筋が寒くなるのを感じずにはいられなかった。
 つまらない女だとは思っていたが、とんでもない女、それも、天野だけでなく、自分にも害を及ぼしかねない災厄同然の存在が、ほんの一日前まで自分の隣に居た事が、ただ恐ろしかった。
「高木春花の姿をしている罪の化身(アマティーア)も、地球に来てしまったであろう不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)も、人間の手に負える物ではありませんから、我々エルダールが対処することになります。しかし、罪の化身(アマティーア)に関しては、まだ、高木春花の姿をしていますから、少しばかり猶予が有るといえるでしょう……」
 武寿賀は吉備津の言葉を引き継ぐように口を開いた。その言葉に、天野は困惑しながら問いかける。
「あ、あの……高木さんが、その、罪の化身(アマティーア)っていうのは」
「あぁ、君には説明していませんでしたね……罪の化身(アマティーア)諸悪の化身(エフィアルティース)がさらにひどい物に変じた存在……諸悪の化身(エフィアルティース)が暗黒の瘴気をまき散らし、罪の無い物を異形の悪しき者に変じてしまう物であるなら、罪の化身(アマティーア)は明らかな悪意を持った虐殺や疫病を蔓延させる災厄です。草薙さんが取り憑かれてた諸悪の化身(エフィアルティース)はある日突然破壊と虐殺をもたらそうとしましたが、彼女自身にあからさまな悪意は無かったはずです」
 天野は眉根を寄せ、あの、悪夢の様な触手の地獄を思い出す。そこで聞こえた、誰の声かももはや分からない呪詛と共に。
「しかしながら、罪の化身(アマティーア)は違います。明らかな悪意を持ち、意図的に虐殺を起こし、疫病をはびこらせます。しかも、それ自体には形が無く、あまりにも強い瘴気を放つ為、寄生した宿主の外観を損ない続けます。そのため、その外観を保つため、肉体を維持するために何らかの栄養源を必要とする」
「ま、まさか、それがその、血を吸われた」
「ご名答」
 天野は血の気が失せていくのを感じた。醍醐が感じたそれ以上の恐怖を、今更に覚えて。
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