人間基準の必要性

文字数 1,834文字

「天野さん、何かあったの? なんだか顔色が悪いわ」
 正午を少し過ぎた頃、執務室に戻った天野を見て醍醐は目を丸くした。
「あ、いや……ちょっと気分が悪くなってたから……」
「大丈夫ですか?」
「う、うん……」
 醍醐の隣に腰を下ろし、天野は憂鬱さの抜けきらない表情で白板(ホワイトボード)を見た。
 しかし、オークの軍勢が地球に到来するかもしれないという事を考えるよりも先に、扉が開いた。
「今日は望月さんがおにぎり作ってくれたから、係長が来たら食べながら会議だよ」
 瀬戸は握り飯の入った食品容器を無造作に机に並べる。
 天野はそれを見て、数が足りない事に気付いた。
「あれ、今日、誰かお休みでしたっけ? 風見さんと草薙さんは戻ってくるんですよね?」
「望月さんは帰ったからね」
「え、えぇ?」
 同じ時刻に出勤していた望月がなぜ帰ったのか、天野は理由が分からず思わず声を上げる。
「急用が有るんだって……別に彼女が居なくても、今日の仕事に問題は無いと思うんだけど。君さえしっかりしてくれるなら」
 訝しげに見つめられた挙句に釘を刺された天野は目を伏せるしかなかった。
 程無くして郊外の廃工場周辺の警戒に当たっていた風見と草薙が執務室に戻る。
「食べるのは武寿賀さんが来てからだよ」
 目の前の握り飯に目を輝かせる草薙に釘を刺しながら、瀬戸は茶の支度を始めた。
 時刻が午後一時になろうかという頃、武寿賀が執務室に姿を見せた。
 そして、天野は他寿賀が入ってきた瞬間に勢い良く立ち上がり、後ろに立っていた瀬戸に椅子をぶつけた。
「うわぁっ……ちょっと、危ないじゃないか」
「え、あ、す、すみませんっ!」
 天野は椅子をぶつけた事実を忘れ、謝罪する事にのみ神経を向けた。だが、その勢いで更に瀬戸と激突しそうになり、遂に瀬戸は傍らに有った盆で天野の頭を叩いた。
「だーかーらー、僕は君の後ろに居るんだから、君が動くと僕にぶつかるって事、少し考えればわかるでしょ? まったく……」
 天野は叩かれた頭をさすりながら、さすがにこれは酷いだろうと思っていた。
「天野君、少しは落ち着きなさい。話は聞きましたが……人間の常識で考える事はおやめなさい。人間の行動基準で行動していれば、その内オークに頭を割られますよ」
 天野は俯きがちに頭を押さえたまま、凍り付いていた。
 そして思った。此処はとんでもない劣悪(ブラック)職場だ、と。
 天野がそんな事を考えている間にも、瀬戸は何食わぬ顔で用意した湯飲みを無造作に配る。
「天野さん、座ろう?」
 醍醐は天野に声を掛け、彼はそれに応える様に腰を下ろす。
 武寿賀は何事も無い様子で話を切り出し、風見と草薙から、廃工場周辺には動きが無い事、山中に動物の骨を見つけはしたが、オークの気配は見つけられなかった事を報告させる。
 また、エザフォスの中つ国(アステクシア)静寂の森(ヘシソダス)から移動してきた二人が鉄塔を見たと証言した事から、連絡通路(ワープホール)の楚洲悪は鉄塔を中心に行っていると風見は報告する。
「今は移動が途絶えているのかもしれませんが、あちら側で動いている以上、その内また次の一団がこちらに渡ってくるでしょう。エザフォス側の対応は、私の方から手を回します。今は連絡通路(ワープホール)の発見と、市街地に到達したオークの駆除に全力を注ぎましょう……市街の方は、いかがでしたか」
 水を向けられ、瀬戸が口を開く。
「あの神社の裏の方に連絡通路(ワープホール)が有る事は分かりましたけど、何処から来ている物かは分かりません。今は重点的に戦闘要員が警備にあたっています。住宅地の方は空き家の周辺を頻繁に巡回すると共に、留守がちな家には民間の格安な警備保障会社を紹介する広報を配って警戒を促しています」
「目撃したとの情報は有りませんか」
「現状は有りませんね。ネット上でも呼び掛けていますが、あの周辺でオークを見たという情報は今のところ寄せられていません」
「そうですか……もし、あの一帯から相談が有った場合には原則として受理するよう相談係に強く申し出ておきます。それと、活動地域がすでに拡大している可能性も有りますから、周辺地域での調査も必要になるでしょう。手を空けておくようにして下さい」
 最後の一言は、天野に向けられたものなのか、武寿賀の視線は握り飯には一切手を付けずに話を聞いていた彼に向けられていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み