悪夢の終焉
文字数 2,053文字
執務室に戻ろうと廊下に出た時、望月は感じた事の無い凄まじい目眩を覚えた。それは、まるで、天地が反転する様な感覚だった。
何か巨大な渦に吸い込まれる様に感覚が失われていく中、悲鳴が彼女を呼び戻す。
――さん!
「望月さん!」
悲鳴の主は、泣きそうな表情の醍醐だった。
彼女は正午前、天野と二人庁舎に戻っていたのだ。
エザフォスの植物の持ち込み規制について説明する中、とある雑貨店の店主に、エザフォスの植物から作られた染料に問題は無いのかと問われた。だが、彼等には判断がつかず、戻らざるを得なくなったのだ。
しかし、得体の知れない化け物に怯えるあまり、昼食の調達を忘れた二人はやむなく食堂に隣接する売店に向かった。
そこで得体の知れない気色の悪さを感じ、醍醐は食堂を覗いた。
「食堂に、気持ちの悪い、タコの足みたいな物が!」
望月は絶望に口を覆った。だが、その後ろから、更に切迫した悲鳴が上がった。
「だ、誰か来てくれ! そ、相談室に、化け物が!」
望月は狼狽えた。だが、行くべき先は決まってる。
関係者しかいない食堂ではなく、部外者の立ち入る相談室だ。
望月は相談室に向けて駆け出した。何が出来るのかは分からないが、部外者が居るのなら、助け出さねばならない、と。
「も、望月さん!」
「ちょ、醍醐さん!」
醍醐は何も考えていなかった。そして、彼女には判断が出来なくなっていた。
どちらがより切迫した状況であるか、と。
醍醐は望月を追いかけ、走り出す。
望月が辿り着いた時、相談室の並ぶ廊下は恐ろしいほどの邪気に満ちていた。
「邪気追放 !」
エルダールのランプも、ミスリルの剣も無い中、どれほどの効果が有るのかは分からないが、彼女は叫んで廊下を突き進む。そして、最も濃い邪気が溢れる部屋に近付いた時、見覚えのある、しかし、此処には似つかわしくない姿を見た。
「獲夢ちゃん……」
――ミンナ、ミンナ、ズルイ、ヨ。アタシダケ、フシアワセ、オカシイヨ。
もはや彼女の声ではない何かが、望月の鼓膜を叩く。
――シンジャエバイインダ。アカチャンイラナイ、ソンナノ、ミガッテ。ゼイタク。ヨクバリ。シネバイイ。
「どうして……」
望月が呟いた直後、彼女の背後で悲鳴が上がった。
彼女を追いかけた醍醐が、黒い触手に絡め取られてしまったのだ。
「桜ちゃん!」
――ミーンナ、ミンナ、シンジャエ。シンジャエ。シンジャエ……。
醍醐を締め付ける触手は、悲鳴を上げさせる事さえ阻むほどの力だった。
だが、邪気を吐き出す室内からも、苦悶の声が上がる。
望月は咆哮した。
見捨てたくはない。だが、務めを果たさねばならない。
彼女は相談室の中に向かって呪文を叫んだ。
「邪気追放 !」
割れんばかりの呪文に、触手の束縛が緩む。望月は床から無数の触手が雑草の如く生える室内に踏み込み、絡め取られていた女性を引き摺り出した。
「逃げて、早く、此処から!」
女性はおぼつかない足取りで、訳も分からず廊下を進む。
「許さないんだから……アカチャン、コロスノ、ユルサナイ」
表情の失せた光の無い目で呟き、もはやだれの声かもわからない声を出しながら振り返ろうとする草薙に向かい、望月は飛び掛かった。
「させない!」
望月の叫びに呼応そる様に、醍醐を締め付ける触手が、彼女のうなじへと伸びる。
「やめろぉ!」
躊躇の末醍醐を追いかけた天野は後先を考えず、彼女を締め上げる触手に手を掛ける。だが、その彼の足にもまた、新たな黒い触手が絡み付く。
「どうして!」
望月は草薙の肩を掴み、光の失せ切った眸を見た。
「赤ちゃん、殺すなんて、許さない……みんなだけ、幸せも、許さない……あたしだけ、なんで、あかちゃん、うまれないの……なんで、なん……で……ナ……デ……」
おぞましい気配に、望月は振り返る。
相談室へと通じる扉の空白が、黒い触手の蔓によって、塞がれていく。
草薙の遠く目前で締めあげられる醍醐の体からは、力が抜けようとしている。抗おうとする天野の体が、猛烈な速さで細い職種に覆われ、彼の動きが奪われてゆく。だが、天野はなおも手を伸ばし、醍醐の首へとせまる触手に抗おうとしていた。
そして、望月の足元にも、獲物を探す海洋生物様に揺らめく触手が無数に現れていた。
「分かった……だけど、こんな事したって、貴方は幸せになれない……何も恨まなくていいから、もう悲しまなくていいから……」
望月はブラウスの下に隠した魔水晶の首飾りを握りしめた。
「カタラ・エオニオーティタ・オニロ」
悲痛な叫びにも似た詠唱が、触手に覆われた暗黒の空間に響き渡った。
望月の握りしめる魔水晶は陽光にも似た、強く、しかし温かな光を放ち、二度と覚める事の無い、永遠の夢を見せる為の魔術を生み出す。
そしてそれは草薙、いや、草薙獲夢だったモノに向けられた。
何か巨大な渦に吸い込まれる様に感覚が失われていく中、悲鳴が彼女を呼び戻す。
――さん!
「望月さん!」
悲鳴の主は、泣きそうな表情の醍醐だった。
彼女は正午前、天野と二人庁舎に戻っていたのだ。
エザフォスの植物の持ち込み規制について説明する中、とある雑貨店の店主に、エザフォスの植物から作られた染料に問題は無いのかと問われた。だが、彼等には判断がつかず、戻らざるを得なくなったのだ。
しかし、得体の知れない化け物に怯えるあまり、昼食の調達を忘れた二人はやむなく食堂に隣接する売店に向かった。
そこで得体の知れない気色の悪さを感じ、醍醐は食堂を覗いた。
「食堂に、気持ちの悪い、タコの足みたいな物が!」
望月は絶望に口を覆った。だが、その後ろから、更に切迫した悲鳴が上がった。
「だ、誰か来てくれ! そ、相談室に、化け物が!」
望月は狼狽えた。だが、行くべき先は決まってる。
関係者しかいない食堂ではなく、部外者の立ち入る相談室だ。
望月は相談室に向けて駆け出した。何が出来るのかは分からないが、部外者が居るのなら、助け出さねばならない、と。
「も、望月さん!」
「ちょ、醍醐さん!」
醍醐は何も考えていなかった。そして、彼女には判断が出来なくなっていた。
どちらがより切迫した状況であるか、と。
醍醐は望月を追いかけ、走り出す。
望月が辿り着いた時、相談室の並ぶ廊下は恐ろしいほどの邪気に満ちていた。
「
エルダールのランプも、ミスリルの剣も無い中、どれほどの効果が有るのかは分からないが、彼女は叫んで廊下を突き進む。そして、最も濃い邪気が溢れる部屋に近付いた時、見覚えのある、しかし、此処には似つかわしくない姿を見た。
「獲夢ちゃん……」
――ミンナ、ミンナ、ズルイ、ヨ。アタシダケ、フシアワセ、オカシイヨ。
もはや彼女の声ではない何かが、望月の鼓膜を叩く。
――シンジャエバイインダ。アカチャンイラナイ、ソンナノ、ミガッテ。ゼイタク。ヨクバリ。シネバイイ。
「どうして……」
望月が呟いた直後、彼女の背後で悲鳴が上がった。
彼女を追いかけた醍醐が、黒い触手に絡め取られてしまったのだ。
「桜ちゃん!」
――ミーンナ、ミンナ、シンジャエ。シンジャエ。シンジャエ……。
醍醐を締め付ける触手は、悲鳴を上げさせる事さえ阻むほどの力だった。
だが、邪気を吐き出す室内からも、苦悶の声が上がる。
望月は咆哮した。
見捨てたくはない。だが、務めを果たさねばならない。
彼女は相談室の中に向かって呪文を叫んだ。
「
割れんばかりの呪文に、触手の束縛が緩む。望月は床から無数の触手が雑草の如く生える室内に踏み込み、絡め取られていた女性を引き摺り出した。
「逃げて、早く、此処から!」
女性はおぼつかない足取りで、訳も分からず廊下を進む。
「許さないんだから……アカチャン、コロスノ、ユルサナイ」
表情の失せた光の無い目で呟き、もはやだれの声かもわからない声を出しながら振り返ろうとする草薙に向かい、望月は飛び掛かった。
「させない!」
望月の叫びに呼応そる様に、醍醐を締め付ける触手が、彼女のうなじへと伸びる。
「やめろぉ!」
躊躇の末醍醐を追いかけた天野は後先を考えず、彼女を締め上げる触手に手を掛ける。だが、その彼の足にもまた、新たな黒い触手が絡み付く。
「どうして!」
望月は草薙の肩を掴み、光の失せ切った眸を見た。
「赤ちゃん、殺すなんて、許さない……みんなだけ、幸せも、許さない……あたしだけ、なんで、あかちゃん、うまれないの……なんで、なん……で……ナ……デ……」
おぞましい気配に、望月は振り返る。
相談室へと通じる扉の空白が、黒い触手の蔓によって、塞がれていく。
草薙の遠く目前で締めあげられる醍醐の体からは、力が抜けようとしている。抗おうとする天野の体が、猛烈な速さで細い職種に覆われ、彼の動きが奪われてゆく。だが、天野はなおも手を伸ばし、醍醐の首へとせまる触手に抗おうとしていた。
そして、望月の足元にも、獲物を探す海洋生物様に揺らめく触手が無数に現れていた。
「分かった……だけど、こんな事したって、貴方は幸せになれない……何も恨まなくていいから、もう悲しまなくていいから……」
望月はブラウスの下に隠した魔水晶の首飾りを握りしめた。
「カタラ・エオニオーティタ・オニロ」
悲痛な叫びにも似た詠唱が、触手に覆われた暗黒の空間に響き渡った。
望月の握りしめる魔水晶は陽光にも似た、強く、しかし温かな光を放ち、二度と覚める事の無い、永遠の夢を見せる為の魔術を生み出す。
そしてそれは草薙、いや、草薙獲夢だったモノに向けられた。