最強のスライム

文字数 1,990文字

 地上に飛び降りたガーゴイルは人目の無い建物の谷間へと逃げ込んだ。明星はそれを追いかけ、灰水晶(ミス・クリュッソ)の刀を抜く。
『その子を放してもらおうか』
 じっとして居ろ、地球の言葉でそう言って、明星はガーゴイルの腕を斬りつける。
 ガーゴイルはおぞましい悲鳴を上げ、僅かに腕の力が緩んだところで望月は逃げ出す。そして望月を失った残る腕が、明星へと向けられた。
 明星の狙いは鉤爪、切り落としてしまえば攻撃はされない。
 間合いが詰められたと同時に、明星は鉤爪に斬りかかる。禍々しい力に鋭さを増したその鉤爪も灰水晶(ミス・クリュッソ)の前には無力だった。
 だが、明星は予想していなかった。
 鉤爪を失ったガーゴイルが方向を上げた瞬間、その本体である不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)と分離する事を。
『なっ……』
 後ろに倒れ込むガーゴイルの腹が避け、黒いヘドロが吹きあがる。
『下がって!』
 白銀は叫び声を上げ、間に合わせの浄化魔法で一瞬の結界を作る。
『どういう事なんだ』
『依り代が使えなくなって飛び出してきたのかしら……セレーニアが逃げただけ救いね……しかし、この状態じゃ、手が出せないわ』
 結界に封じ込めるほか術が無く、考えあぐねた瞬間だった。
 黒いヘドロが二人に向けて飛び出してきた。
 明星は咄嗟に浄化魔法で押し返すが、ヘドロは細胞が分裂する様に小体へと分かれ、跳ね飛びまわりながら二人に飛び掛からんとする。
『依り代が無きゃ、倒せない……』
 白銀がにわかに絶望を覚えた時、激しく動き回っていた黒い塊が彼女めがけて宙を舞った。
 目前に迫る暗黒の物体に白銀の詠唱は間に合わない。
守護の光(フォース・トゥ・プロスタシア)
 太く通った声に、白銀は振り返る。
『出てきてしまったか……厄介だな。依り代にさせる鼠一匹、此処にはおらんか……』 
『何か肉の様な物でもあればなんとかなりますか?』
『かもしれないが、そんな物すぐに手に入るまい』
 明星の提案は的外れな物ではなかったが、いくら地球の文明下にあるとはいえ、霞が関は生肉を手に入れるには適していない。
『……そっか!』
 白銀は突然に声を上げ浄化魔法を重ねるとスマートフォンを取り出した。
『何を!』
「こちら白銀、まずい事になったの、天野さん、牛乳買ってきて! とにかくたんぱく質があればいいの、玄関の広間の販売機にあるやつでいいから、今すぐ! 宿舎の入り口の辺りまで持ってきて! アサーナタマティーアがどうにもならないの!」

 電話を受けた天野は混乱した。だが、牛乳、販売機、宿舎という言葉だけは辛うじて理解出来ていた。
「天野さん!」
 天野は通話を切る事もせずに部屋を飛び出す。その様に醍醐狼狽えながら、半ば反射的に天野を追いかける。
 天野は第五の事すら忘れてロビーへと駆け下り、自動販売機に向かう。支払いに業務用のスマートフォンが使えない事に気づいて、ようやくそれをしまった彼は白銀の言うとおり、牛乳を選んだ。
「あ、天野さん……」
「宿舎の裏に、なんか出たらしい、牛乳があったら、どうにかなるって、白銀さんが!」
 天野は紙パック入りの牛乳を三本手にして裏手へと出る通用口を目指す。
「こ、こよみちゃん?」
 通用口に近づくと、誰にも連絡がつかず半狂乱に陥っている望月の姿があった。
「さ、桜ちゃん!」
「どうしたの?」
「ガ、ガーゴイルが……なのに、どうして誰にも連絡が」
「落ち着いて、大丈夫よ、後は白銀さんが、いやぁ!」
「だ、醍醐さん!」
 半狂乱の様子だった望月は突然醍醐を押し倒し、その首に手を掛ける。
「辞めるんだ、止めるんだ望月さん!」
 天野は手にしていた牛乳を放り出し、望月を醍醐から引きはがす。
 望月はもはや理性を失った様子で喚き散らしながら、醍醐に腕を伸ばす。
「醍醐さん、それを持って、外へ!」
 醍醐は状況を理解しているとはいいがたかったが、逃げ出さなければならない事、そして、散らばった牛乳が緊急に必要である事だけは理解し、落ちた紙パックをたくし上げたスカートに拾い集めて走り出す。
「望月さん、しっかりして下さい、望月さん!」
 涎を垂らした狂犬の様に、咆哮の様な声を上げながら望月は執拗に醍醐の後を追いかけようとする。
「誰か、誰か助けて下さいーっ!」
 天野は声を張り上げる。だが、彼を助けようとする者は居なかった。
 今まさに、ビルの谷間でこの世ならぬ怪異と星の民(エルダール)達が対峙している一方、警視庁の庁舎の表側では、警察車両の往来すら妨害するほどのデモが繰り広げられていたのだ。
 そしてその集団は引き返してきた武寿賀達の車両をも足止めしていた。
「誰か……誰か!」
 祈る様な叫びは、無機質な空間に吸い込まれてゆく。
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