突き付けられる現実

「では、留守を頼みましたよ」
　望月が不穏な影を見た翌日、武寿賀は突然消息を絶った狩人仲間を探した結果、入れ替わる様に地球へ渡ってしまった若い狩人を連絡通路(ワープホール)に送り届け、甥の住んでいたあばら家の始末をする為、数日間信州に向かう事になった。
「もし、メーディアスかアステーリアが戻ってきたら、話を聞いておいて下さい。特にメーディアス殿は吉備津殿とそりが合わないようなので」
「えぇ。分かったわ。じゃあ、気を付けて」
　白い魔狼を連れた狩人と二人、武寿賀は車に乗り込んだ。
　そして、残る望月は地下の駐車場から地上へと戻り、仕事に取り掛かろうとしていた。エザフォスから持ち込まれる植物に関する規制を周知する為、広報と同時に全国的な調査を行う必要が有ったのだ。また、地球からエザフォスへの持ち出しに関しても同様である。
　更に、地球への移動は少ないものの、アネールの一部は地球における煙草であるパイプ草を好む。それに関しても、一応の規制が有る為、再度周知しなければならない。
　中つ国(アステクシア)の北部と通じる奥多摩の連絡通路(ワープホール)とオークの件に関しては何ら解決されていないが、エザフォス側が故意に地球へオークを送り出す事は回避されそうな今、彼女の日常は戻ろうとしているかに見えた。
「あれ……」
　階段を登っていた時、彼女はすれ違った。
　居るはずの無い、草薙と。
　いや、草薙によく似た、黒い影と。
　それに気付いた瞬間、彼女は振り返えった。だが、其処にはただ薄暗い階段が続くばかりで、何の気配も無い。
　――お願い、嘘だと言って。
　もう、否定は出来なかった。それが地球(ここ)に存在している事も、それが彼女の良く知る誰かに似ている事も。
　彼女は不安に駆られるまま執務室に戻ろうとして、執務室から少し離れた廊下にまで響く凄まじい物音を聞いた。
「瀬戸さん？」
　望月は慌てて扉を開け、執務室の中を見る。すると、作業台の上に有ったケトルは倒れて熱湯が飛び散り、机は倒れるだけに留まらず天板が床に接しており、椅子はそこら中に散乱していた。
　瀬戸は白版の際まで追い詰められたらしく、立ち尽くすまま望月を見るなり頽(くずお)れた。
「瀬戸さん！」
　望月は惨状の中へと入り、彼の傍らにかがみ込む。
「一体、一体何が有ったの？」
「く、黒くて丸い“何か”が、いきなり、床から生えてきたみたいになって……そこら辺を飛び回って、消えた」
　望月は心臓が疼くのを感じた。
「……瀬戸さん、係長室に行きましょう。室長には、私から話をします」
　瀬戸は望月の差し出した手を取り、立ち上がる。
　望月は係長室を開け、武寿賀の机の引き出しの最下段から何かを取り出した。
　エルダールのランプである。
「清浄の光を灯せ《ルークス・エスト・プーラ》」
　望月の呪文に呼応し、ランプに青白い光が宿る。
「あれは……ウェスペルティーリオやオークと同じ化け物なの？」
　瀬戸は眉を顰めた。背を向けたままの望月は、ランプを机に下ろしながら口を開いた。
「いいえ……」
「それじゃあ」
「詳しい事は、私にも分かりません。ただ、貴方はこの光の傍に居て下さい。あれは……とても、おぞましいものだから……こんな時に申し訳ないんだけど、少し外に出るわ。あれについて、ホラニアス様に聞いてきます。天野さんと醍醐さんにも、此処に来るように伝えます」
　目を瞬く瀬戸を背に、係長室を出た望月はそのまま室長室に向かい、この庁舎の中に今まで自分達が対処した事の無い新たな化け物が出現した事、その化け物は調査係の職員が居る場所に発生する可能性が高い事、そして、その化け物について外部の専門家に話を聞いてくるという事を伝えた。
「ちょ、ちょっと待って。化け物が出たっていうのは分かるけど、今外に出ている武寿賀係長と、これから外に出るという貴女は」
「あれは……少なくとも、係長と私には今すぐ害を為すものではありません。ただ、瀬戸さんと醍醐さんには悪い影響が出やすいですし、ニンフの混血である天野さんも同じです。とにかく、話を聞いてきます。どうすればいいのか、私には分かりません」
「ちょっと、望月さん！」
　吉備津の制止を振り切り、望月は再び執務室へと戻った。
　そして、まるで旋風(つむじかぜ)に襲われた様な惨状の隙間から荷物を引っ張り出すと、庁舎の外へと駆け出して行った。
「え……」
　通用口から外に出た時、彼女は再び草薙に似た黒い影を見た。
「獲夢(えるむ)ちゃん……」
　堪らず、彼女は官舎へと向かう。そして草薙の部屋の呼び鈴を鳴らすが、応答は無かった。
（獲夢ちゃん、一体、今何処に居るの？）
　望月はただ願った。風見が家族と暮らすマンションの近くや、天野と醍醐が調査に向かった商業施設に、彼女が向かわない事だけを。