災厄の足音

文字数 2,382文字

 午前九時、会議室に広がっていたのは、当たり前の光景だった。
「悪いわね、事務作業を押し付ける格好になってしまって」
「いえ、望月さんがお休みで、醍醐さんと天野さんが調査なら、仕方ありませんから。でも……どうして亜人排斥集団とか呼ばれる人達の調査に、襲撃された天野さんが行くんでしょうか。醍醐さんにしてもそうです、仮に、その人達が私達に何か危害を加えようっていうなら、適任者はもっと荒事に対応出来る人じゃないんですか?」
「それは一理あるけれど、面が割れているとはいえ、こちらとしてもあちらの集団と接触している天野さんを連れて行く事には意味が有るし、相手が普通の人間なら、醍醐さんの間量で一気に制圧した方が被害が少なくて済むわ」
「そういう物ですか?」
「そういう物よ」
 吉備津は何気ない素振りでそう言いながら、当たり障りのない資料を机に下ろす。
「申し訳ないけど、私は私でオーク到達の一件で忙しいから、何かあったら内戦に連絡をちょうだい」
「分かりました」
 吉備津はよろしくねと言い残し、会議室を出る。高木に与えた仕事があまり多くないこと、すなわち、稼げる時間が短い事に頭を抱えながら執務室に戻ると、血相を変えた武寿賀が待って居た。
「武寿賀さん、どうか」
「先ほど連絡がありました。箱根の山中に、エルダールが一人現れたと」
 武寿賀は吉備津の言葉を遮りながら、気球を伝える。
「また? それで」
「エザフォスでオークの大将を追いかけているうち、箱根の山中に出てしまったそうですが、山中を移動している中で、瀕死のケンタウルスを発見したそうです」
「どういう事かしら」
「ケンタウルスは、オークを捜索していたようで、その途中、仲間が一人、何かに噛まれ、狂ったと」
 吉備津は表情を険しくしながら、続く言葉を待った。
「そのケンタウルスはそれを言い残して事切れたようですが結婚の続いている方角からして、仲間を襲撃したケンタウルスの一人が、こちらに向かってくる可能性があります」
 吉備津は目を瞠ったが、言葉が出てこなかった。真の意味を知らないが故に。
「明星君にダウジングを頼んだところ、丹沢山の付近に居る可能性が高いようです」
「丹沢山……捜索は?」
「おそらく、現地のケンタウルスが捜索を行っているでしょうが、発覚したのが今しがたで、確証が無い以上、こちらからは手が出せません」
「でも、それが一体」
不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)が依り代を変え、こちらに迫っているという事です」
「ちょ、ちょっと、ちょっと待って、それはどういう事?」
不死なる罪の化身(アサーナタマティーア)は実体を持ちませんが、災厄をまき散らす為の依り代を常に求めています。おそらく、何らかの獣に憑依して凌ぎながら、ケンタウルスという便利な依り代に、噛みつく事を介して乗り移ったのではないでしょうか」
 吉備津は額に手をやり、思案した。
「……どうしましょう、箱根に向かわせた黒井君と白石君を、今からでも丹沢山に向かわせた方がいいかしら」
「山の中をむやみに探すのは得策ではありません。同属の捜索隊も出ますし、神奈川県警にドローンでの捜索を要請した方がいいでしょう。そして、黒井君と白石君は今からでも呼び戻して、多摩方面に出現した際の対応に当たらせた方がいいです。それと、矢城君もそちらに向かわせてください。こちらはこちらで罪の化身(アマティーア)の対策が必要なので、私は動けません」
「分かったわ」
 吉備津は電話に手をかけ、緊急連絡を入れた。
 黒井と白石は、すぐに青梅署へ向かう様に、と。

 同じ頃、高木は会議室の中で内線電話の受話器を取っていた。
 発信元は相談受付の職員で、人手が足りないので来て欲しいとの事だった。
 高木は快く返答し、そのまま相談室へと向かった。
 高木に任されたのは、切羽詰まった様子の若い女性で、相談内容は、自分のすぐ近くに近頃奇妙な気配があり、亜人のストーカーかもしれないとの事だった。そして、今もその気配が付きまとっており、すぐ近くで待って居るかもしれないとの事だった。
 高木は女性に請われるまま、相談室を出て庁舎の外へと向かった。
 その道中、若い女性と連れ立って歩く高木とすれ違ったのは、庁舎にほど近い喫茶店から戻ってきた天野と醍醐だった。
「天野さん」
 声を震わせる醍醐に、天野は手を伸ばそうとした。
「あの、高木さん!」
 振り向きざまに高木の肩を掴もうとして、天野の手に激痛が走った。
「あぅっ!」
 思わず崩れ落ちるほどの激痛に、天野は右手を抱えながらも顔を上げた。
 すぐ傍に居るはずの高木の影が、酷く遠く見えた。
「天野さん!」
 醍醐は天野の傍らにしゃがみ、天野はその気配で我に返ったように醍醐の顔を見た。
「あ、天野さん……」
「え、あ……」
 醍醐の顔を見た瞬間、天野の手のひらに走っていた激痛は何事も無かったかのように失せ、天野は恐る恐るその手のひらを見た。
「え、あ、高木さんっ」
 天野は慌てて前を見遣るが、高木の姿は無い。
 高木を探さなければ。天野は立ち上がろうとするが、その肩を小さな手が押さえつける。
「だめ。行っちゃ、駄目です。おじいちゃんを呼ぶわ」
「で、でも」
「行っちゃだめです!」
 醍醐は声を張り上げ、スマートフォンを取り出す。
「え……」
 醍醐は何度となく画面を叩くが、一向に反応しない。
「天野さん、スマートフォン!」
 言われ、天野はポケットからスマートフォンを引っ張り出した。だが、彼の機体も同じく反応を示さない。
「一度戻りましょう」
「でも」
「きっと手に負えません、早く、早く戻りましょう!」
 醍醐は力任せに天野の腕を引っ張り、エレベーターへと駆け込んだ。
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