72/ ラルヴァとレムレス
文字数 2,986文字
レムレスってーのはラルヴァと真逆の存在でな、
あっちが人の憎悪に縛られるのに対して、
レムレスは生きてる者が先立った者を惜しむ気持ちに縛られ、
魂が転生し損ねてこの世に留まってしまう。
けどな。最初はいくら違う存在だったからって、
魂だけでさまよわなけりゃならないってのはきっついもんだぜ。
正気を保っていられない程にな。
だからレムレスも、遅かれ早かれラルヴァになっちまうのさ
近い将来、仲間を喪ってしまうことがわかった時、俺は魔物達に「仲間をラルヴァにしたくなかったら、その死を受け入れろ」と再三に渡って説かれたものだった。その真の意味が、今、ようやく目の前に突きつけられた。
魔物であるマージャがこうも詳しいわけは、俺にもわかる。政治経済の授業で法律の項目において少年法を学ぶ際、この話題が取り上げられた。この法改正以降も少年事件はなくならず、殺人に至る事件を起こした少年、少女の低年齢化が取りざたされるようになって、少年法の適用年齢は更なる引き下げを余儀なくされてきた。
苦し紛れに絞り出そうとした一言だった。いつまでも呆然としているわけにはいかない。何より重大な謎を解消しておかなければ。……しかし、その
瞬間起こった異変に、のんびりと会話している場合ではないと察する。マージャも気がついたのだろう、俺にやや先行するように校舎へと目を向けるが、その面持ちには緊張感が足りないような気がした。
レムレスの能力だよ。
綺音紫の場合、その力が特別に強いんだ。
何たって島中の人間の思念が結集したものだし。
おまけに彼女は、この学校と自分自身を融合させて、
地脈そのものになったんだ。
要するに、この学校内にいる限り彼女の影響下から逃れられない。
綺音紫は生きて存在する、この学校のいち生徒にすぎないっていう、
彼女にとって都合のい
い幻を見せられ続けるわけだ。
まあ、彼女がいるってこと以外は
普通の学校と何ひとつ変わらないわけだから、
実害はないようなもんだけどな
ともかく、何が起こったか一刻も早く確かめる必要がある。そのためにはまず校舎に入らなければ。
最低限それだけをマージャと打ち合わせて、俺達は歩きだした。そこへ。
苦しめ 苦しめ 苦しめ 苦しめ 苦しめ……
音のない世界に、どこからともなく声が響いてくる。いや、声ではなく、頭の中に直接届けられている言葉だ。
マージャが、聞き覚えのないらしい声に首を傾げている。一方、俺の方はといえば、その声の主が何者なのか痛いほどよくわかっていた。
校舎内の想像以上の惨事を目の当たりにして、暗澹とした心境で俺は進んだ。前方を行くマージャは平然と、口笛など吹きつつ歩いている。
のんびりと呟くマージャに、この事態で流石に動揺を抑えられなかった俺に呼応して現れたサクルドが答える。
残暑の空がほのかに明かりを落とし始めた時間、窓から射し込む日光だけでまだまだ事足りる中。その中でなお、煌々と白い光を放っている蛍光灯の下で、生徒達が倒れ伏している。それが今、この学校内の全てだった。こうして歩いている廊下でも、廊下側の大きな窓から覗ける教室内も、同じ有様だった。
上履きに履き替えるとはいえ決して綺麗ではないだろう床に、うつ伏せで顔面をつける男子生徒に、長い髪を乱して横たわる女生徒。だが不思議なことに、
顔を確認できる体勢で倒れる生徒達は皆、一様に穏やかな表情を見せていた。まるで、何のことはない、自室のベッドで安らかな眠りの中で朝を待っているかのように。
苦しめ、苦しめ、苦しめ、苦しめ、苦しめ……
俺には今も聞こえてくる呪詛の声など、眠っている生徒達にはまるきり届いていないかのように思える。……それは、虚しい響きだった。
ご心配には及びませんよ、敦さま。
実のところ、この手の対応はわたしの得意分野です。
敦さまに害が及ぶなどありえません。
もっとも、ラルヴァに付け入れられるのはよほど心の弱い人間か、
運悪く気持ちの落ち込んだタイミングでラルヴァに目を付けられた人間、
くらいのものですけれど
イライラをあからさまに促すと、わかったよー、とまた適当にあしらってくれる。いくらなんでも身内の無事がかかってるんだ、笑い事じゃ済まされない。
……最悪の想像が、現実のものとして突きつけられた。先程から頭に直接響くような呪詛の言葉は、まぎれもなくアネキの声だった。たとえラルヴァが関わっているとしても、アネキ自身の意思による行動でもあるんじゃないかというのは、十分に予想出来ることだった。
苦しめ、という一言を延々と繰り返す。その哀れで惨めな彼女の思惑も、俺には何となくわかっていた。