87/ 熟睡
文字数 3,262文字
トール……透は俺の昔の友達で、病死した後に魔術によってゴーレムとして甦った。以来こうしてエメラードで暮らしているのだが、環境の変化が良い方に影響を与えてくれたのか、彼は明らかに生前よりも快活で気安くなった。
俺をここまで連れてきた、セレナートの鳥は、トールの目の高さで周回しつつ尾羽から少しずつ消えていった。消えかかりの頭をそっと撫でるようにして、トールは心底から惜しむような顔をした。
筒のような土、というのはまさしくその通りだったらしい。トールのかけ声に合わせて――いや、トールがゴーレムの能力で土を動かしているのだから、この表現は正しくないか――細長く積まれた土が縦に割れて、中が空洞であったことを示す。
土に膝を着いた姿勢は、状況に都合良く一致していた。立ったままでは一目で視界には入らなかっただろう……土に背中を預け、膝を抱え丸くなって、見知った顔が眠っている。
そういう音がしたからね、と、得意げに付け足す。ゴーレムになってからというもの透はこればっかりだ。いわく、俺と関わりのある人間からは、俺の音の名残が聞こえるのだという。人の感情の動きさえ音として聞こえるというその力は、あまり愉快なものではないはずなのだが、透の態度に少しの嫌みもないから誰も気にしないのだった。
土にくるまれるように眠りこけているマージャの顔はこの上なく健やかだ。
憐れんだようなトールの顔に、冗談ではないことを悟る。
その指摘を受けて、振り返ってみる。あいつの寝ている場面を俺が目にしたのは、エメラードまでの航海と、昨日のツリーハウスでの就寝のみ。あいつはこれといって不審なこともなく、静かに横になっていた。しかし、寝る時も外せないゴーグルのおかげで、本当に瞼を下ろしているかなど傍目にはわからない。何より、床につく相手が「本当に眠っているか」など疑ったことがないから、マージャが眠る時どんな様子だったかなんて注目していなかった。
思い出すほどにわけのわからない奴だなと、いっそ苛立ちさえ湧いてくるがそれはさておき。これまで、あいつは俺に隠し事をして、時機を見計らってそれを明かしてきた。その秘密はまだ、全てが開かれてはいないんだろう。
俺が頭を抱えていると、その上から降ってくる苦い声。横から聞こえてくる脳天気なトールの声とは対照的で、聞き慣れた声のはずなのにそこに込められた険悪な感情があまりに彼らしくなくて別人のように思えた。
胸を張って、大きな拳で剥き出しの上半身を強く打ち鳴らす。いつもの彼らしい、懐の広い、頼りになる巨人の姿。
……だけど、それがこの場においては、取り繕った態度であることはどうしても隠せなかった。
トールと、彼をゴーレムとして作り変え甦らせたアッキーと、その妻であるローナ。また、トールより先にゴーレム化が試され、失敗して身も心も再起不能になった少女。彼ら四人の暮らす、広大に石が積み重なり広がった平原の、その真ん中にある石の小屋。
小屋の部分は、地下へと続く居住空間への入口に過ぎない。そこへ繋がる穴の傍らに、全身を包帯で包んだ人の体が転がっている。鼻を塞ぎたくなるような臭いを放つその人に、トールは
前に訪れた時にしたように、つたを下ってそこへ降りる。
つたが並び、まるで手をつなぎ中のものを囲むようになったその場所へ、トールが先導してつたをかき分け進入する。
ローナは、相変わらず歌っていた。歌詞にならないメロディ、人類最初の少女・ティネスとの早すぎる別れを唄ったレクイエムを。脳に寄生する魔物に巣くわれ、思考する力を失った彼女は、音楽を奏でるためだけに生まれた機械と何ら変わらずに延々と歌い続ける。
ふやけた笑い顔で帰宅の挨拶を述べるトール。応えるアッキーは、突然の来客である俺達にはさしたる興味を向けず、その一言だけで黙々と朝食の草を噛んでいる。
俺やライトと言葉を交わしながら、アッキーの目は自然とトールの方へと向けられる。