52/ 与えられた名前

文字数 3,833文字

 シュゼット、俺、エリスと続いて小屋に入ると、あぐらをかき、うろんな目つきでこちらを眺めている豊に迎えられた。この時間は豊も眠っているはずなんだけど。
何しに来たんだよ、シュゼット

そう邪険にするものではない。

私がそなたにうとまれるようなことをしたか?

してないけど、なんっかこの前会った時から、

妙な空気を感じるんだよな。あんたから

そうかい。ヴァンパイアの感覚も曇ったものだ

 しれっと流しながら、シュゼットは適当に腰を下ろす。一応気を使っているのだろうか、豊からやや距離を取った、窓の近くを選んだ。




 魔物が魔力を回復するためには太陽光の恵みを受けるのが一般的だが、ヴァンパイアを含め少数派は月光の加護により魔力を補給する。その理由は、太陽光の魔力が月光のそれより遥かに強すぎて、かえって肉体に負担をかけてしまうからだという。


 しかし、月光の魔力には太陽のそれとは異なったある特質がある。何でも、神竜の一体である月光竜ムーン=セレネーには未来視があったとかで、その加護を強く受ける夜の魔物には危険を察知する能力が一般よりも優れて備わるのだという。




 もちろん、月光竜のように未来そのものを完璧に見られえうわけじゃない。虫の知らせ程度の予知。ベルがそういったことをしてみせたのは一度や二度ではなかった。

五百年に渡ってヴァンパイアとして生きてきた彼女と豊ではまだその能力にかなりの開きがあるけれど、豊のいう「いやな空気」とやらは軽視していいものではな
いだろう。


 ……そう思いながらも、俺個人としてはシュゼットに対して妙な印象は少しも感じていないので、判断に困るところだった。




けれど、本当に今日はやましい用事はないのよ? 

そろそろ敦にも魔物名が必要だと思って、

シュゼットにはその協力を頼んだだけだもの

俺の? ……そういや初めて会った時、

オルンがそんなこと言ってたっけ

 あれからもう、ひと月半経ってしまったので、すっかり忘れていた。
でも、随分経ったからどうして魔物名が必要なのかは忘れちゃったよ

魔物名はね、魂の式を解析し、

本人の魔力に程よく刺激を与える式を組み合わせたもの。

いわば個人に特有の呪文と同意ね。

けれど、魂の式を視認するのは夢幻竜の能力で、

彼の死後は夢幻竜を補佐をする夢魔達の特権となった。

だから今回のように新たに魔物名を命名するにあたっては、

夢魔の協力を仰ぐ必要があるのよ

シュゼットは不死鳥だろ? 

夢魔じゃないじゃん

私の左眼は、ゆえあって夢魔より移植されたものだ。

あまり愉快な経緯ではないが

 シュゼットはあからさまに機嫌悪く、そう吐き捨てる。そうさせるだけの経緯があったってことだろうか。

夢魔に借りを作ると返す手間もあるから、

シュゼットには以前から協力してもらってきたの。

今回も同じ

 一連の話を聞いていて、不意にティアーのことを思い出した。彼女は俺が深く考えずにつけた名前を大切にしてくれているが……。
ティアーにも本当の魔物名があるのかな

さぁ。それに関してはティアーが、

かたくなになって口を閉ざしているものだから

え、なんでまた

敦にもらった名前があるから、

古い名前なんていらないんだと

 その台詞の最中に大きくあくびをして、眠気の限界が来たらしい豊がこてんと倒れた。壁の方を見て、俺達に背を向ける形だ。まぁ、豊は寝相が悪いから、眠る前に気を使った態勢だってその内意味をなさなくなるだろうが。
エリス。私も早いこと済ませて帰りたいのだが

シュゼットも、もう少し外へ出た方がいいんじゃない? 

食事の時しか外へ出てこないなんて健康的とは言えないわね

用もないのにうろつくか
 投げやりに反論するシュゼットに、エリスは肩をすくめる。

わかった、早く済ませましょう。

敦、あなたの楽な姿勢でいいから座っていて。

余計な動きはしないように

 そう指示されたので、俺は膝を立てていた足をあぐらをかく姿勢へ変えた。その間にエリスは、彼女がいつも右足に巻いている皮をほどく。皮は広げると、ポニーテールを縛っている白いバンダナを広げたのと同じ正方形になった。


 シュゼットはよつんばいになって、俺ににじりよってくる。その距離があんまり近すぎて思わずたじろぐが、
動くなと言っただろうが
 と、シュゼットに釘を刺される。


 最終的に、シュゼットはその鼻が触れるんじゃないかという至近距離から、一心に俺の胸の真ん中を睨み据えている。

エリス、準備はいいか
ええ。始めて頂戴
始めるぞ

 そう宣言すると、シュゼットは右目だけを閉ざし、呪文と思われる言葉を呟き始めた。その呪文を聞き取るエリスは、皮に人差し指で魔術式を描いていく。




 ――全ての作業が終わるまでには、俺が想像していたよりも遥かに長い時間が費やされていた。考えてみれば、人ひとりの魂の式がそんな単純構造をしているわけもなく。その解析のために模写をするとなればそれだけの時間がかかるのも道理。動くな、と前もって注意されたのも頷ける。




これで、終了ね。

ふたりとも、お疲れ様

 エリスの言葉と同時に、俺は力尽きて後ろへ倒れこんだ。シュゼットはというと数時間もよつんばいでいたというのにけろりとしたもので、すんなりと立ち上がると、

まったく、これしきのことでダウンするとは、

人間の肉体とは不便なものだな

 エリスとシュゼットは、完成した俺の式を挟んで協議している。模写をしたからはい終了、というわけではなく、俺に最適な魔物名を見つけ出すためにここからの熟考が必要になる。長ければ数日とかかるこの作業に、エリスはこれかから取り掛かってくれるという。まさかそんなに手間がかかるんだと思っていなかっ
たので、俺はエリスと、とりあえず今日手伝ってくれたシュゼットへ感謝を述べて、ツリーハウスを後にした。




 思いっきり体を動かした後のそれとは正反対の、気持ち悪い体の疲れを引きずって、下の広場へとやって来た。そこにはライトと、昼食の材料を持ち帰ってきたらしいティアーと。

おう、お疲れさーん
お疲れー、どうだったー?
意外と疲れたよ……あれ、ヴァニッシュ?

 肉を焼く火の傍らで、こっくりこっくり、居眠り寸前の体の揺らし方をしているヴァニッシュ。俺の呼びかけにびくりと大げさに体をひきつらせる――完璧に、授業中に寝ていて教師に起こされた時のそれだ――その姿はいつもと見慣れないものだった。




その、耳としっぽ、どうしたんだ
……
 銀色の毛並みをした大きな耳としっぽが、人間の姿をしたヴァニッシュに現れている。指摘すると、ヴァニッシュは照れたようにうつむいてしまう。
あっははー、油断してたろーヴァニッシュ!

 その笑い声と同じ豪快さで、ライトがヴァニッシュの頭を数回叩くと、これまたヴァニッシュが珍しい表情を見せる。んー、と呻いて目を瞑り、眉をのたうたせている。たぶん、本気で痛かったんだろう。




そうだ、ライト。ちょっといいかな
お? なんだい、敦

実は、かなーり前からライトに教えてもらいたいことがあったんだ。

いつでもいいから少し時間を作ってくれないか?

 ベルがいると、特訓以外でライトを俺に拘束するのは何故か気が引ける。別にライトとベルは特別好き合ってるとかではなく、単に昔なじみの仲間というだけなのだが。自分でもそのわけはわからない。




いつでも? おいらの都合でいいんかい?

ああ、もちろん。

頼んでるのはこっちなんだし

そーだなー、……じゃあ次の満月まで待ってもらおうか。

せっかくだから晩酌にでも付き合ってくれや

じゃあそれで。

つっても俺は酒を飲むわけじゃないけど……

何だよ、エメラードじゃあ人間の決まりなんか関係ないだろー?
 人間の島では成人こそ十八歳だが、喫煙と飲酒は二十歳まで法律で禁止されている。とはいえ、高校生ともなれば隠れてやってる連中も少なくない。

法律とか関係なくて。

父さんがさ、昔、言ってたんだよ。

俺の二十歳の誕生日にふたりきりで飲んで語るのが、

父さんの昔っからの夢なんだってさ

へぇー、そいつはうまいこと言ったもんだなぁ、おまえの親父は
 ライトの言う通り。今にして思えば、俺が隠れて悪さをしないように、父は先手を売ったんじゃないかと想像も出来る。「父さん、自分の子に男の子が生まれたら、二十歳の誕生日にサシで飲むのが子供の頃からの夢だったんだー」なんて言われて、その夢をあえてぶち壊しにするようなことをおいそれと出来るだろうか。少なくとも俺には無理だった。
うわぁ、おじさん、そんな素敵なこと言ったんだぁ
 ティアーは父と面識がある。その父がそう言った場面を想像して、目を輝かせている。
それじゃあ、お酒の代わりにあたしが敦の分のお夜食を探してくるよ
う~ん……手間かけさせてごめんな
いいのいいの、あたしだっておじさんにはお世話になったんだもの

父さんも母さんも、ティアーにとても感謝してるんだ。

俺達が家を出た夜にそう言ってた

 俺ひとりだったら、いくら必要だからと言ってもエメラードになんて簡単には行かせられない。でも、気心の知れた彼女が側にいてくれるっていうなら、きっと心強いんだろう。両親はそう言って俺を送り出してくれた。

そっかぁ……おじさんもおばさんも、

何だかもうとっても懐かしいや。

元気にしてるかな

 思いがけず懐かしい話題になって、俺もティアーもしみじみとしてしまう。……ここだけの話、彼女に告白して撃沈したばかりのわが身には、思い出話は優しいだけではなかったけれど。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

アイコン差分

アイコン差分

せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色