⑲ 仲間がいれば

文字数 3,196文字

ふたりとも、準備はいい?

 向かい合う俺と豊の間に、ティアーが中腰で控えている。豊に限ってないとは思うが、やはりヴァンパイアの最初の食事――というのも違和感はあるけど――には危険が伴うとかで、こんな風に第三者が必要になるらしい。




 俺はハンカチをくわえたまま、頷く。ティアーが言うには、魔物同士だったら多少かみつかれるくらいでは蚊に刺されるようなもので、こんな風に細工をしたり予行したりしない。当然と言えば当然だが、人間は血管に達するまでかみつかれる経験は少ないので、慣れるまでは舌を噛まないように布を噛ませておくのだという。




 豊は俺の手を取ってくれはしたものの、まだ迷いがあるのか頷くことはせず、

敦、本当にいいのか?

 等と不安そうに訊ねてくる。むしろ、決意がにぶりそうなので出来れば早めにやって欲しいくらいだ。ハンカチが唾液を吸って、喉も乾いてきそうだし。ということを目で訴えてみる。




 おそるおそるという感じで、豊が口を開き、俺の腕を口に付ける。上と下の唇で挟んだまま、しばらく動く様子がなかった。心の準備ってことだろうか。


 その隙に、俺もティアーに受けた説明を振り返る。仲間がヴァンパイアに血を分ける時は、たいてい腕を渡す。別に切り落とすってわけではなく、人間が注射で採血をするのと同じように手っ取り早いからだ。注射針と比べるとヴァンパイアの牙の太さは段違いだから、痛みと傷口が完全に塞がるまでの過程は比較にならないだろうけど。


 しかし、報道されたヴァンパイア被害者のほとんどは首筋に牙の歯形があった。首は相手の血を一滴残さずいただこうという意思の下に狙われる部分なのだそうで。前からか後からか知らないが、ヴァンパイアに抱きつかれ首をかじられながら一生を終えるのは余りにも報われない。想像するだけでぞっとする。




 ついでに、ヴァンパイアに血を吸われたらヴァンパイアになって、かつ決して逆らうことのできない配下にされてしまうという噂が人間社会にはあるのだが、

その真偽を確かめてみた。結論は、それは本当だが手間と労力の割に見返りはない、というかあまり有益な行為ではないのでよほどの物好きでないとやらないということだった。


 血を吸ったヴァンパイアを親元、吸われてヴァンパイアとなった元人間を子とたとえてみる。子を作るには、血を吸いながら相手に自分の魔力を送り、術式を施す必要がある。


 子はヴァンパイアになったからと言って、いくら吸っても自給はできない。親元は、子が生体活動をする上で必要とする魔力及び生命力を奪われ続ける。結果、いくら血を吸っても体力回復が追いつかない。常に空腹で、よっぽど頑張らない限りは理性を保てなくなってしまう――




 なんて考え事をしていたせいか、豊の動きに対する心の準備が間に合わなかったようだ。あるいは、予測はできたとはいえ肉体的苦痛に対して無反応でいるというのが未経験では無理だったのか。


 牙が肉に食い込む感触に、思わず身体が震えた。ほんの一瞬の俺の反応に、豊はすぐに反応した。




 すぐに俺とティアーから離れて、豊は部屋の中央にまで後ずさっていた。俺はとりあえず、しまった、と思う。そして、力になりたいなんて言っておいて完遂出来なかった自分に失望する。


 気まずい空気が流れたのも、ほんのひとときだけだった。顔をうつむかせ、声を震わせながら、豊は……




こんなことしてまで、生きていなきゃなんないのか……

 呟いた。涙声だった。


 俺は呆然として、口からハンカチを落としてしまった。

だめよ
 ティアーが立ち上がり、豊の前まで歩み寄る。
死ぬなんてあたしが許さない。認めない
 なら死ねばいい、なんてティアーが言うとはそれこそ思いもしないが、それにしたって想像以上に断固とした、厳しい語調だった。

自殺するっていうなら、本人の決断に任せるしかない。

他人が口を挟む資格なんてない。

だけど、ヴァンパイアは自分で死ねないんだもの。

死にたいっていうんなら、どうするつもりなの

そーだな……ことの元凶にでも、責任とってもらおうか
 顔を上げ、ティアーに向けた表情は。目は今にもこぼれ落ちそうな涙で潤っているが、そこには喜びも悲しみも、何の感情も見えなかった。うつろというか、今にも豊の感情そのものが、消えてなくなってしまいそうな。

うそつき、わかってるくせに。

もう、そんな時間の余裕はない。

とっくに理性を失いはじめてるって、わかるんでしょう?

だから、俺が俺でいられる内に、

消えてなくなったらいいって思うんだよ。

そんなに間違ってるか? 

俺がいなくなって誰か困るのか?

困るっていうか……俺は豊が死ぬのは嫌だ、けど

 思わず口をついて出たが、俺やティアー達が豊を惜しんだところで、それが何になるっていうんだろう。死んで欲しくないからどうか生きていてくれ、なんて、一方的で勝手な言葉でしかないんじゃないか。




もしここにいたのがヴァニッシュだったら、豊の願いを叶えたかもしれない。

ヴァニッシュはあたし達みんなのために、自分の手を汚すこと、

今さらためらったりしないもの。要するにそういうことなんでしょう?

……ああ。ここにいたのがヴァニッシュだったら、俺はあいつに泣きついたかもしれない

だからだめなの。あたしはもう、

ヴァニッシュに必要以上に手を汚させるようなことはさせない。

もちろん、あたしや敦だってそう

 きっぱりと、拒絶の宣言。ぽっかりとうつろな豊の目に、ほんの少し、力が戻ったように見えた。

だれもかれも、ヴァニッシュが銀の力で簡単に同胞殺しをしてるって勘違いして。

どんな時だって、ヴァニッシュは銀で誰かを傷付けた時は、その分いっつも心を痛めてるっていうのに

 ――もしかしたら、ヴァニッシュにとって銀の力っていうのは、俺の思っているよりよほど重荷なのかもしれない。

 豊がヴァンパイアになり、弱って倒れてし

まった時のことだってそうだ。


 何も知らなかった俺は、仲間が倒れてるのに放っておくなんて冷たい奴だくらいに思ってしまったけど、今ならわかる。

 彼の性格からして、倒れている仲間に手を差し伸べることさえできないのは辛かったはずだ。




……悪い。泣きごとでも、

そんなこと考えるべきじゃなかった……

 自分だって辛いだろうに、豊は今度は謝罪の意で深く頭を下げた。

あたしこそ。こうなったのはあたしのせいでもあるのにね。

でも、ヴァンパイアになってしまっても豊には豊のままでいて欲しいと思うんだよ。

……魔物だってさ、適当に折り合いつけて生きていけばそう捨てたもんじゃないよ

 あえて呑気な風に言いながら、ようやくティアーは笑顔を見せる。それを受けて、小さく小さく、豊も笑った。

 そんな光景に、俺はひとり、いたたまれない思いでいた。
 自分が苦しくても、あっさりと仲間を思いやる気持ちを取り戻せる。厳しい言葉だって、本当に相手を大切に思うから出てくるものだ。
 ……もっと前からわかりきっていたことではあるけれど、改めて、ティアー達の絆の深さを見せつけられたような気がした。
 俺ときたら、豊の役に立ちたいんだと声を上げるだけで、いざ牙が突き立ったらあっけなく痛みにひるんでしまっていた。腕を確認してみると、淡く色が変わる程度に歯形がついているだけだった。
俺も、ごめん。今度は平気だから
 説得力はないかもしれないが、今度こそ、覚悟を固めたつもりだ。さっさとハンカチをくわえて、強引に豊へ腕を差し出す。

 痛覚それ自体はどうすることもできず、豊が血を吸っている間、俺は痛みに耐えて小刻みに身体を震わせていた。
 歯を食い縛るついでにきつく目を閉じ、俺は豊を見ないようにした。ティアーも気を遣ったのだろう、しばらくすると部屋を出た。
 唾液でも血が溢れたのでもないだろう、冷たい何かが、時折俺の腕に落ちてきた。
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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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