73/ 孤立の廊下

文字数 4,151文字

ラルヴァに乗っ取られた人間を解放するには?
 絶望的な心持ちでそう訊ねると、意外なことに、サクルドはにこやかに微笑む。

アーチさまが考えているより、たやすいことですよ。

大声で呼びかけたり、体を揺すって目を覚まさせるだけでいいのですから

はぁ? ……こんな大事になってるのに、それだけでいいのか!?
 拍子抜けのあまり、朗報であるはずの内容に疑念を抱いてしまう。

ええ。ただし、元凶であるラルヴァを滅ぼすことは叶いません。

亡霊は魔力によって干渉できる存在ではありませんので……ともかく。

この場でお姉さまからラルヴァを追い払うのは難しくないんです

……でも、お姉さまの心が弱いままでは、根本的な解決にはなりません。

彼女は卒業までこの学校に通い、ラルヴァはこの校舎内に存在し続けるのですから

ラルヴァもレムレスも、人間が無防備に寝てるところに取り憑くからな。

おまえの姉さん、授業中とか休み時間とか、ほとんど寝て過ごしてるんだろ?

 なんでおまえがそこまで知ってるんだと思うが、そういやマージャ――市野学は、自他ともに認める、この学校の情報通だったな。奴が魔物だと判明した以上、そういう俗っぽいというか人間味のある要素はすっかり印象から外れてしまった。




つまり、どういうことだと思う?

 わざとらしくにやつきながら、マージャは俺に答えを促す。ムカつくことこの上ないが、今は腹立たせている場合ではないので忘れてやる。




 最も安全な方法を取るなら、簡単なことだ。学校を辞めてしまえばいい。この学校にいて、そして――親友だった涙さんを失ってから、アネキの心はずたぼろだった。元来打たれ弱いところはあったといえ、俺のせいで惨たらしい体験をさせてしまった負い目が消えることはない。


 しかし……その方法が最善だとは、流石に俺も認めない。




ここで一発カツを入れて、アネキにラルヴァごとき気合いで追っ払えるようになってもらうしかないな

そうですね。ティアーだって、

ここにいることが出来たらそうしたでしょう。

何といっても、親友なのですから

 そう、ティアーは、海月涙を名乗っている時からそういう性格だった。何かにつけて学校をさぼろうとしたり、泣き言を吐いたりするアネキを叱咤激励して、
最後には明るく笑い飛ばして元気付けてくれた。俺の方にも、朝食をぞんざいにした時など苦言を呈してくることは少なくなかった。


 有り体に言えば、小言を言われているようなものだけど、嫌な気持ちになどなるはずがない。心から、俺達のことを考えてしてくれているのだと、わかりきっていたからだ。




 アネキのためだけじゃなく、ティアーがしてきてくれたことに報いるためにも。ここで安易に逃げ出させるようなことはしたくなかった。




きょうだいってよくわかんねーなー。

おまえ、本当は姉さんのこと嫌いなくせに、

こういう時はちゃんと助けるんだな

考え方が合わない以上、特に好きってことにはならないけど、それだけだよ。

おまえだったら見捨てるか? そういうの

さーね。俺は嫌いな奴はいないし、

自分の考え方にこだわりなんかないから

そーいう気持ちになったことないんだよな

 どこまで本気かわからないが、何となく、いつも以上に嘘くさい台詞だなと思う。

さて、お姉さんの方は弟さんに任せるとして、

俺はラルヴァの方を引き受けるぜ

 唐突に、マージャが進行方向を変える。二手に分かれよう、ということだと思うが、俺にはその必要性がわからない。
ラルヴァは倒せないんだろ?

試してみる価値はあるだろ。

おふたりさんがアーチに気を取られてる間に、

俺はラルヴァの後ろに回るからな。

そんじゃ、よろしくー

 別に急ぐ風でもなく、廊下に点々と倒れる生徒達をスキップで避けながらマージャは姿を消した。




 三年生の教室のある、四階に足を踏み入れた。他の階と違って、ここには倒れている生徒の姿は見あたらない。それは、受験を控えている三年生
は、五時限目までしか授業がないから。六時限目終了後の下校時間後に起こった異変なんだから、ほとんどの三年生は難を逃れたはずだ。

何やってんだよ。アネキが憎んでいるのは、

同じ学年の生徒じゃないのか?

 自分のクラスの廊下側窓を開けて、そのさんに腰掛けていたアネキを見つけると、俺はさっそくそう確認した。言葉をかけてもこちらを見ようとしない。

別に誰だっていいのよ。

あたしは、この学校で笑って過ごせる奴なんか、みんな嫌いだもの

そんなこと言ったって、みんな普通にしているだけで、誰も悪くなんかない。わかってるだろ?

だって不公平じゃない。

どうしてあたしだけ、こんな苦しい思いをしなけりゃならないの? 

なんで、あたしだけがその「普通」になれないのよ

 音を立てず床に足を着け、すくと立ち上がったアネキの顔を目の当たりにする。口調には誰にというわけでなく責めるような響きがあるが、その表情は裏腹に、ただただ悲痛なばかりだった。

あんたなんかには絶対わからないわ。あたしの気持ちなんて。

結局、いつだってあんたにはいい仲間がいるじゃない。

……涙だって、あんたを守って死んだんでしょ!?

 ――そうだ、アネキには涙さんが死んだと一方的に告げただけ。何故、彼女が死んだのかまで伝えることをしなかった。やさぐれた気持ちで、無意識に、アネキに当てつけをしてしまった自分の過ちに気付いて、俺はこっそり胸を痛めた。今は俺がいちいち傷ついているようなゆとりはないから、ひとまずはほどほどにしておくけど。

あたしには、あたしのために死んでくれるような人、誰もいない。友達すらいない、何もない! 

涙みたいに、自分が死んでもいいと思えるくらいに好きな人なんていないし、そんな風に強く生きられないのよ!

違うんだ……アネキ、涙さんは自然に、命が尽きたんだ
……ああ? 適当なこと言わないで
嘘でも何でもない、事実だ。寿命だったんだよ
 一般の人間は、魔物の生態など知らない。あるのはただ、人間より途方もなく強く恐ろしいというイメージだけだ。種族によっては人間よりもずっと寿命が短いなんて、すぐには信じられない気持ちはわかる。俺だって最初はそうだったんだから。

だけど、涙さんはそれを最後まで打ち明けてくれなかった。

俺だって、本当はもう彼女の命が長くないことを知ってて、

それでも見ない振り知らない振りを続けて……

涙さんは、俺やアネキが思っていたような、

強いばかりのひとじゃなかったんだ

 しっかり者で、たくましくて、叱るべき場面ではきちんと叱ってくれる思いやりがあって。アネキにとっては救世主のような、俺にとっては理想の女の人で。

それらはもちろん彼女の一面ではあったけど、海月涙という人間の、あるいはティアーという魔物の全てではなかった。彼女が俺達に見せられず、また俺達が気付いてあげられなかった弱さが、確かに彼女にはあったはずなんだ。

「本当に強い人間なんてどこにもいない。

アネキの目からはいつも笑って、楽しくしているように見えるとしても、

みんなどっかで悩んだり悲しんだりしているんだ。

こんな風にひとまとめにしてアネキの痛みをぶつけたところで、

何の意味もないんだよ

……言いたいことはそれだけ?
 暗い声でそう呟くアネキは、ほんの少し身構えるようにして俺を睨みつける。

意味なんかいらないし、他人の苦しみなんて知ったことじゃないわ。

あたしはただ最後に、この一生で抱き続けた苦痛に報いたいだけ。


あんたは特別に、きょうだいのよしみで見逃してあげる。

だからとっとと消えなさいよ

 そう宣告した瞬間、アネキの様子が一気に緊張感を増したように思える。彼女だって、俺の持つ、ソースの力が桁外れの代物であると知っている。本気で相対することになれば、おそらく勝ち目はないとわかっているのだろう。




口を慎みなさい

 音のない廊下に、静かな、しかし確かな怒りを秘めた一言が響く。俺でもアネキでもないその声の持ち主は、




たとえ敦さまの肉親であろうと、

亡霊ごときがわが主の力を侮辱するなど許しません

 すっと俺の眼前に移動し、こちらには四枚の透明な羽の生えた背中を見せる、小さな小さなサクルドだ。


 彼女と正面から向き合っているアネキは、なにやら頼りない息を漏らしながら、すっかり脅えたように後ずさりする。




あ、あ……敦、なんなのよ、その小さいのは……っ
何、って言われても

 はたと、アネキからの思いがけない指摘に、俺も思い当たる点があった。そういえば、サクルドは何の種族なんだっけ? これまでに出会い親交のあった魔物は、俺が魔物の世界に通じていないのを気遣ってか、自分の種を自己紹介のように語ってくれることも多かった。しかし、思いだそうとしてもサクルドの種族はわからないし、俺の記憶が確かならば彼女から、また仲間からも聞かされた覚えはない。


 姿を消していても俺の側にいて、俺の心中も完全に見通して。そんなサクルドは一体、何者なんだろうか。

(  ――敦さま、今です!  )

 ぴしゃり、頭の中に響く。そうだ、たぶんサクルドはアネキの足止めに何かをしていたんだろう。それが、先程言っていた「得意分野」の為せる技だろうと想像出来る。


 ……その直前まで、この非常時に俺は余計なことを考えていたような気がするが、その内容をもう思い出せなかった。




 元から大した距離はなかった。一息に二、三歩ほど前へ出ると、俺はアネキの両肩を掴む。


 あ、と間の抜けた吐息を漏らすアネキは、俺がそのままでいると次第に瞳へ涙を盛り上がらせていく。

こんな時に、身内くらいしか助けに来てくれる人間がいないっていうのがどんなにみじめな気持ちか……やっぱり、あんたにはわからないわよ

ぜいたく言うなよ、馬鹿アネキ。

誰も来ないよりずぅっとましだろ? 

それに……

 ラルヴァに憑かれた人間を解放するのは、簡単。アネキはこうして動いているが、実際には眠っていて、ラルヴァを仲介して体を動かすことで奴の力を使っている。その代償に、ラルヴァに生気を奪われているのだ。


 つまりアネキを起こしてしまえばラルヴァとの繋がりはすぐに絶たれる。……しかし、俺はこのアネキが揺すったり叩いたり騒いだりするくらいでは到底目を覚まさないことを知っていた。

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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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