82/ ぼーちゃん
文字数 2,703文字
最寄りの駅から見える位置に、この繁華街の入口はある。そして、最前にあるこの店は駅に来るたび目に入るので覚えがあった。黄色い下地を黒い縁で囲み、墨で書いた「焼き鳥居酒屋おかむら」という印字をした看板がかかっている。
ライトがフェナサイト各地の森に建築した、魔物が住む館には、どこも管理人がいる。何らかの理由で人間の島にいたい魔物からライトに頼んでくることもあれば、逆にライトから頼んで契約し、魔物にいてもらうこともある。
彼が建築をするのは趣味と、魔物からの需要があるという実益もかねてのことだが、建物というのは建ててそのままにしていいわけじゃない。住民自ら本格的なメンテナンスをしなければ、とまではいかないが、日常的な掃除をしてくれるような誰かにいてもらわないとあっと言う間に傷んでしまう。
ダムピールのジャックさんは自分が死んでヴァンパイアになるのを想像して、若い頃から人間社会から距離を置くことにした。森の館の管理人を自ら希望した。 五十年という長きに渡って森の住人であった彼は、つい数ヶ月前に亡くなった。人間として死ぬため、実母であるベルに介錯を頼んで。
先日、彼の遺品を整理していた俺は、見覚えのある物を見つけた。朝の火起こしを自分の仕事として誇っていたジャックさんが使っていた、マッチの箱だ。そのマッチは繁華街入り口にある酒場のもので、同じく今は亡きヴァニッシュがそこで働いていて、ジャックさんのために持ち帰っていたものだ。
俺は、涙さん――ティアーの死について、彼女の親友であったアネキにきちんと伝えた。言わずもがな、アネキとラルヴァとの騒動の後、そうすることに決めた。アネキとティアーの別れの時の誤解や、魔物としての彼女のこと。アネキとじっくり話し合うことが、自然のままに死んでいったティアーへの何よりの供養だと思った。
ヴァニッシュにも、同じような弔いは出来ないだろうか。そう考えた矢先にこのマッチを見つけて、思い出した。
勤め先に、いつも元気な先輩がいて、よくひじでつつかれたり背中を叩かれたりした。そういうやりとりが出来るのが、多分、嬉しかったんだと思う。
ヴァニッシュからただ一度聞かされた――実際は、俺の方から無理に聞き出しただけだが――彼の、俺達以外の仲間の話。それも、おそらくはフェナサイトで出会った人間の友人。
ヴァニッシュにも、その死を伝えておくべき人がいるんだ。それも、過去の自分の過ちを許せず、自分以外の誰かの幸せに尽くすことを心に決めたヴァニッシュに、自分自身の幸せというものを意識させた人達。
思い出した以上、やり残してこの島を去るわけにはいかなかった。
やけに冷めた目をした小学生くらいの子供に、声をかけられた――少しの癖もないさらさらの髪が頬を撫でている。髪型も長すぎず短すぎず、実に清潔な感じだ――今日は土曜日で学校はないから、この時間に帰ってくるってことは友達か誰かと遊んでたんだろうか。着ているシャツもジーンズもサイズが大きすぎてぶかぶかで、うっすらと土に汚れている。
自分の家がやってる居酒屋の前に高校生が猫を乗せて突っ立っているんだから不審にも思うだろう。そして、声をかけた、と。
すっと、少年が両手を差し出す。
彼がどこにいてくれるのかわからないのでどうしようかと思った矢先、豊が自ら、俺の肩からひと跳びして少年の腕の中におさまった。こうなると、俺は素直に礼を言うべきだろうと思い、
からからと音の立つガラス戸を横に滑らせて、店内に入る。左手側にカウンター、その内側に焼き鳥の機械、右手側にテーブルひとつに椅子四つが縦に三セット並んでいる。おかげで通路になるスペースが圧迫されて狭苦しい。白熱電球のオレンジの光が全体を染めて、暖かな雰囲気の滲む店内。カウンターの上の戸棚から、メニューとその値段を書いた札が並んでぶら下がっている。
有り体に言えば、オーソドックスで突出したところは何もない、ありふれた居酒屋風だった――当然、この手の店に未成年の俺に馴染みはない。テレビ番組から与えられた印象に過ぎないのだが。