サクルドの光を頼りに、俺達は森の中を進む。涙さんやヴァニッシュの足取りは慣れたものだったが、もちろん俺は足元がおぼつかない。あまり険しい森ではなくっても――少なくとも、たくましい木の根が地面に凹凸を形成しているということもなく、地面は平らだ――人間に都合よく舗装されていない土の地面 が、こうも歩きにくいものだとは思ってもみなかった。
おまけに今は、自分より体格のある、気絶した男を背負っている。楽だと思っていたわけではないが、気の遠くなる重みが全身にかかっていた。
何より気掛かりなのは、豊の身体が汗もかかずに熱を持っていることだ。汗をかくというのは、体内に必要以上の熱をこもらせないために、熱を外へ放出した結果だから。汗だくの身体をおぶって歩くのはいい気分はしないだろうが、心労を考えたらその方がよっぽど楽だったろう。
さっき、豊はダムピールだって言ってたよな。
それって、今の豊の状態に関係あるのかな
足を切断されたのに、何事もなかったかのように両足が健在だったこと。認めたくはないが、どうやら今の豊は普通の人間じゃないと考えるしかない。
前を歩くヴァニッシュが、俺達に背中を向けたまま語る。涙さんは、万が一、俺が豊を落としてしまっても対処できるようにと言って後ろからついてきている。
それって……ヴァンパイアと結婚する人間がいるってことか?
物好きだな
……ヴァンパイアは食事以外に、
本能に突き動かされて人間を襲うことがある。
種の存続のために。豊もそうして生まれた
言わなくてもわかりそうなことを、ヴァニッシュはきっぱりと口にした。そんな個人的なことを第三者が話していいのだろうか。
…… ダムピールは人間だが、その血にヴァンパイアを殺せる抗体を持つ。魔物はお互いの魔力を察知して相手の接近を知ることができるが、ダムピールには魔力がないから近寄ってもその存在は知れない。むしろ、血を吸おうと近寄ったら返り討ちにできるというのがダムピールの最大の強みだ
ふーん……自分の勝手で産み出した子孫が、
絶対で最大の天敵になるなんて、いい様だな
……ただし、ダムピールは死後、ヴァンパイアとして再生する。
そうなったら、もう人間には戻れない
うん……豊はこうなること、望んでいなかったんだけどね
ダムピールが人間として死ぬためには、ヴァンパイアを葬る時と同じように、儀式を踏まえなければなりません。
死期を悟ると、ダムピールのほとんどは、自ら仲間に儀式を託して死んでいくんです
俺を助けようとして命を投げ出し、豊はヴァンパイアになってしまった。あのまま死んでしまうよりはずっと良い――と思うのは、きっと、俺自身の都合の良い理屈だ。豊の心中を思うと、俺は目を覚ました豊に、まず何と言ったら良いのか――謝るのも違う気がするし、慰めるなんてもってのほかだ――わからなく なってしまう。
……敦が責任を感じることはないんだ。
豊は、いつかはこんな日が来るかもしれないとわかっていて、君の側にいた
豊と俺が友達になったのは、たまたま同じクラスになったからで、そこに豊の意思が介入しているなんて疑うはずもない。
あなたは、わたし達にとっても、人間達にとっても特別な、尊いお方ですから
尊いお方、なんて言われても何だかしっくりこない……魔物の思想なんて知らないが、人間は誰もが平等に生まれてくるものだろう。特別な誰か、なんていうのが、努力も何もなく生まれた時から決まっているなんて、不平等なだけだから。
ぽつりと、聞こえるか聞こえないかは運次第というような声で、涙さんが呟いた。幸い風もなく、俺はその言葉を聞き逃さずに済んだ。
豊のことなら、あたしのせいだよ。
本当はね、あたし達はこの島にやって来た時、
すぐにでも敦君に事実を教えなくちゃいけなかったの。
今までずっとそうしてきたんだから。
敦君は誰かにつけ狙われることになる、
だけど自分で自分を守れる力を最初から持ってるんだ
生まれてこのかた、自分に得体の知れない未知の力が宿っているなんて気が付かなかったが、涙さん達の元にはその力を解放できる何かがあるってことだろうか。
だけど、あたしは……
敦君が今の生活に満足してるなら、
あたし達の世界に無理やり引っ張ってくるなんて出来ないって思った。
あたし達が陰でうんと頑張ればこの生活を守れるって、
今のままの敦君の側にいたいって思った。
そう、思い込もうとしてた……
だから豊を、こんな形で死なせることになっちゃったんだよ
思わず、足が止まる。後ろで、涙さんも立ち止まる。それらの気配を感じ取って、ヴァニッシュもサクルドも止まる。だがこちらを振り返ることはしない。
俺だけが振り返り、涙さんと向き合った。彼女の肩がぴくりと反応する。
サクルドの光がなければ、夜の闇にかき消されてしまっていただろう。彼女は、涙をこぼしてはいないものの、確かに涙ぐんでいた。
涙を流しているのなら、それをぬぐってあげたい。けれどそれはなく、そもそも今は、まさに手も足も出ない状況だ。
彼女らは、俺には特別な力があるというけれど……今夜の俺はどうしようもなく無力だった。自分をかばった友人をみすみす殺され、目の前で大切な人が心を傷めているのに、こうして二の足を踏んでいるなんて。
――過ぎたことを気にしたってしょうがない。
豊だってきっとそう言うよ。
あいつはそんな情けない奴じゃないから。
俺だってそうさ。
本当のことを隠されていたかなんて関係ない。
だって、涙さんは俺のことを思いやってそうしてくれたんじゃないか
せめて心からの気持ちをそのままに、言葉にして伝えた。俺は、自分のために力を尽くしてくれた人達を無碍にはしたくなかったし、一年たらずの付き合いとはいえ豊の考えそうなこともわかっているつもりだ。
これからは涙さんにそんな顔させないように、俺も努力するから
まだ浮かない顔をしている涙さんに、誓う。おそらく生半可なことじゃないんだろうけど、サクルドだって言ってくれたんだ。俺になら、きっとできるって。
強くなりたい。心も体も。せめて、後悔せずに済むように。怖れにとらわれず、自分の生まれ持った現実に立ち向かうことのできるように。
……うん、あたしも。
もう泣き事言ったりしないで頑張るから
そう続いた言葉は、何故だか配慮して声をおさえたようだった。俺の耳に届かないように、ということだと思うのだが、そうはならなくて。俺は彼女のその行動を、どう受け止めればいいのか図りかねていた。