⑳ 君だけが知らない

文字数 3,076文字

 出航しても、俺には特に異常はなかった。ヴァニッシュの言っていた個人差とやらは、幸いにも当てはまらなかったようだ。


 就寝準備にトイレへ行くと、船員らしい男が吐いていた。これが個人差なのだろうか。船に合わない体質なら、なんで船乗りになんかなってしまったのだろう。




お加減はいかがですか?
 トイレから出たところで、サクルドが姿を見せる。今や、彼女が自分の都合で現れることはないというのはわかっている。俺が、サクルドに聞かせてもらいたいことがあると察して出てきてくれたのだろう。
腕はちょっとずきずきするなってくらいだけど、めまいがあるかな……

軽い貧血だと思います。

エメラードに着くまでは辛抱なさってくださいね

 まだ寝るような時間でもなく、船内の通路は明るい。サクルドの輝きも目立たない。


 甲板へ上がると、夜の闇の下、サクルドの真昼のような緑の光はより強く感じられた。しかし、巨大な輸送船の上にあっては微々たるものであることに変わりはなく、サクルドの姿はいつもよりさらにちっぽけに見えた。

お疲れさま。どうだった?
 乗客の立ち入れる範囲は限られているため、甲板の中央に立ちつくし、周囲を警戒していたヴァニッシュに声をかける。
……これだけ陸地から離れれば、もう安心していいと思う

 船室の窓から見た時は、港町の様相がはっきりとうかがえたものだが、人間の島フェナサイトはすでに、暗い海の上の小さな影と化していた。




 なんだか、ひどくあっけないものだなと思う。大多数の人間にとって、生涯、離れることなく過ごす島。ほんの少し前まで、俺もそんな風に一生を終えると信じて疑わなかったのに。

ヴァニッシュ、後はわたしにまかせて、あなたはティアー達と先に休んでください。

明日は、この航路における正念場となりますから

……わかった
 もう安心と言いつつ、どことなく心残りがあるような顔をしながら、ヴァニッシュは去った。

今のところ、ヴァニッシュの触れることのできる存在は、ティアーと敦さまだけなんですよ。

先日、ヴァニッシュを敦さまに触れさせたのはそれを試すためだったんです。

銀はソースの魔力を奪いはしますが、奪われた分の魔力は絶えず補給される。

だからソースである敦さまに触れたところで、彼の銀はあなたに害を及ぼすことはない

 さすが、俺のことなら何でもわかるというサクルドらしく、余計な前ふりもなくさくっと気になっていた部分を話しにかかる。

同胞に触れられないだけならまだしも、銀の力は魔物達にとって煙たがられるものなんです。

肉体的にも精神的にも、ヴァニッシュは同胞と触れ合うことはできない。

彼もまだ若いですから、孤独を甘受するほどには達観しきれません。

だからヴァニッシュにとって、ティアーとあなたはとりわけ、貴重な存在なのですよ

でも、ティアーだって魔物だろう? 

魔力を奪われないのか?

銀を持つからといって、同族との接触にまで影響を及ぼすとなると子孫を残すことさえできませんから。

仕組みはわかっていませんけれど、そのあたりはうま
くできているみたいですね。

そしてワ―・ウルフは割と稀少な種族ですから、彼らの生涯において、他のワ―・ウルフとの接触がある可能性は限りなく低い。

だからティアーとヴァニッシュはお互いを、かけがえのない肉親のように思い合っているんです。

血縁はなくてもね

 個人的な事情は本人に確かめるべし、というのは俺のポリシーだったけど、今日、その考えに軌道修正を施した。


 ヴァニッシュの言う通り、豊は正面から問い詰めても、必ずしも真実を語ってくれない。仲間の助けが必要な局面だと自覚していても、何故だか限界まで口をつぐんでしまう。


 ティアーの言う通り、ヴァニッシュは求められたら拒絶しない。本当は話したくないことでも、訊ねられれば打ち明けてくれるだろう。自分の言葉で傷を深くしながらにでも。


 だから、時には第三者を通して当たり障りのない程度に事情を聞くことだって、間違ってはいないはずだ。何も、当人の傷に触れるような深部にまで触れる必要はないんだから。


 そして、今の俺にとって最も疑問をぶつけやすいのはサクルドだった。正直、理屈では納得していても他人のことは訊きにくいのが現実だ。そんな内容を、口にしなくても理解してくれる彼女は頼れる存在だった。

そう言っていただけると光栄です。

……けれど、ひとつ付け加えてもよろしいでしょうか

何が?

第三者を通さないと見えないのは、何より自分自身――

つまり、敦さま自身のことでもあるのですよ。

現に、たった今、誤解されています。


豊は最初の目的こそ別件でしたが、三人はあなたを守るために集いました。

彼らの絆には、最初っからあなたも含まれているのですよ。


ソースは守るべき対象ではありますけれど、それだけでは豊も、ティアーもヴァニッシュも命をかけたりしません。

あなたと直に接し、その人柄にひかれたから、あなたを守りたいと感じた。

それは、まず間違いないでしょう

そうは言っても、あいつらとそういう、高尚なやりとりをした覚えがないんだけど
 豊とはごく普通のクラスメイトで、ティアーはアネキの友達で、ヴァニッシュなんてこの春に知り合ったばかりじゃないか。

人柄というものは、何も特別な言葉やイベントでしか知りえないものではないのですよ。

何気ない毎日の中で、にじみ出るような感性だってあります。

敦さまはまさにそういった方です。

言葉でアピールすることは稀ですが、純粋な気持ちを自分の中にたくさん抱えていて、それを行動に反映できる。

あなたのことをきちんと見ていればその思いは伝わってくるのですよ

そう過大評価されるとかえって疑わしくなるんだけど……
残念ですけれど、これは決して美徳としてだけ語っているのではありませんよ
 そう評するサクルドの表情は、これまた複雑でなんとも形容のしがたいものだった。

歴代のソースに共通する、ある共通点が、敦さまにも見受けられます。

たとえるなら、ある小さなキズが敦さまに影を落とし、現在の性格へ影響しているんです

共通点?

それは……今のわたしからお話することは、できません。

これはわたしの個人的な感情によるものですから、機会があれば他の誰かにうかがってください。

……申し訳、ありません

 思えばサクルドとは、俺が質問して彼女が答える、そんな会話ばかりだった。まるで先生と生徒のように。しかし、先生だって感情のない機械じゃないんだから、感情に左右されることなんていくらでもある。
ありがとう。今までたくさんのことを教えてくれたんだから、これくらいで気に病むなよ

 こう感謝を伝えても、サクルドの表情は晴れないままで。こんな調子の時にしつこく話を続けるのも悪い気がして、俺達も部屋に戻って眠ることにした。




 部屋の電灯は落とされていた。サクルドを連れて部屋に入ると、ちょうどいい感じに部屋が明るく照らされる。おかげで、寝ているみんなの身体を踏みつけて起こしてしまう、なんてならずに済みそうだ。


 寝る時は必ず狼に戻るティアーは、たいてい誰かの身体の上で眠る。今日は狼のヴァニッシュの背中にあごをのせていた。ヴァニッシュの方は俺達が戻るのを待っていたのか、ぱっちりと開かれた銀色の瞳と視線が合う。
俺も寝るよ。おやすみ

 そう小さく声をかけると、その目が閉じた。




 布団で眠る豊の寝顔は、これ以上ないというくらいに安らかだった。その表情を見るだけで、ほんの一瞬、目頭に熱を感じた。明日、目が覚めれば、きっと元気な豊に会える。そう信じられる気がした。




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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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