78/ 神楽 歩

文字数 4,118文字

高泉、待て

 休み時間。意図せずシュゼットの席の横を通り過ぎた時、彼女から声をかけられた。


 シュゼットは普段、俺のことを魔物名で呼ぶが、まさか学校ではそうするわけにもいかず「高泉」と名字で呼ぶようになった。

何?
そなた、気がつくことはないか
――別に?

 一応、結論を出す前に教室内の一通りを見渡したが、いつもと変わった様子は見えない。




ならば、あれを見るがよい
 机に肩肘を立て、余った左手でシュゼットは指し示す。その方向には、窓際の自分の席からぼんやりと校庭を眺めているマージャの姿があった。
あいつはいつだってああしてるぞ

 奴の正体を知る前から、いや、覚えている限り、去年入学した始めから。あいつはああして外を眺めるのが好きだった。そういや、何度席替えをしてもいつも窓際の席だが、運がいいもんだな。




 何が不服なのだか俺にはわからないが、シュゼットはいよいよもって遠慮なく呆れ顔をさらけ出し始める。

本当にわからないか
だから、わかんないって

ならば、目を閉じて、魔力を感じてみることだ。

目に見えるものだけが真実ではない

 ……生まれてこのかたこんなこと言われた覚えはないのに、どこかありきたりな台詞であるように感じるのは何故だろう。


 ここまでコケにされても冷静に応対出来る俺はちょっと大物なんじゃないか。あえて間抜けなことを考えて、俺は芽生え始めた苛立ちをやり過ごす。言われるがままに目を閉じて……。




シュゼットの魔力が強すぎて、他を感じられないよ
 沈黙の後、彼女の発したのは。
もういい、どこへでも行くがいい

 休み時間、トイレに行くのを止められてこの結末はあんまりだと思った。





不可侵条約を締結するため、アクアマリンが要求したのは、

軍師を務めた神楽歩の処刑だった。


不思議だとは思わないか? 確かにこの戦いでは、

人間側からの攻撃で魔物に多数の死傷者が出て、

それを指揮したのは神楽歩だった。

だからと言って、人間と魔物双方にとって歴史の変わり目、

大事な局面をいち個人の処遇ひとつで決めてしまうなんて!

 なんとまあタイムリーなことに、本日の歴史の授業は三百年前の人間と魔物との戦争についてだった。俺が、その神楽歩の生まれ変わりだというのがわかったのはつい先週のことだというのに。




 今の俺なら、魔物側がどうしてそんな条件を出したのか心得ている。魔物の思想として、全体を救うための個人の犠牲をいとわない、というものがある。例えば大量殺戮を快楽のために行う者があれば、同胞であろうと構わず死刑に処す。シヴァ・ジャクリーヌのようにアクアマリンへの造反をもくろみ、私兵をたくわているようなら、実際に行動する前であっても処刑してしまう。それがアクアマリンの魔物達の法である。


 だから、人間への報復は軍全体ではなく、それを率いた神楽歩だったのだ。大勢の同胞が殺された、その報復に同じ数だけ人間を殺してしまえ、ではなくて。あくまでそれを先導した個人の罪を裁く。




 これはシュゼットに聞かされたことだが、さらに、人間に伝えられていない事情がもうひとつ。神楽歩は、当時のソース、織江心の正体を知っている人間だっ

た。魔物を遙かに超える魔力を持つソースは、人間側の旗頭となれる存在だ。神楽歩のような影響力の大きな者の口からソースのことが語られれば、ソースは人間に周知されるだろう。魔物がおそれたのはそっちだった。


 実のところ、織江心は人前でソースの圧倒的な魔力をさらけ出したが、例えばソースは転生し世代を超えて存在するというような詳細を人間に広く伝えはしなかった。そりゃあそうだろう。彼女の望みは、魔物と人間がいがみ合わず、争いのない平穏な時代を作ることだった。ソースの強大な魔力は人間にさえ畏怖されるもので、差別の対象ともなり、あるいはその力を悪用せんとする輩だって出てくるだろう。


 そんな扱いに耐えられるのは自分のような、希望の欠落した人間だけだと思っていたのが彼女だ。後世のソースのため、その真実を伏せたのは自然な流れだと思う。




神楽歩はアクアマリンで公開処刑されたが、

人間はその場を見聞きすることを許されなかった。

彼の最期の言葉は後に魔物から伝えられた。

このような形で死を迎えるのに悔いはないか、

との問いに彼はこう答えた

 神楽歩の処刑が人間に見せられなかったのは、死の間際、彼がソースについて口にする可能性を危ぶまれたからだ。ついでに、魔物側からの問いかけの内容も、改竄して人間に伝えたものであるらしい。


 実際、魔物は

貴様は軍を動かして我らが同胞を数多殺させたが、自らの手で殺めたことはないな。

来世の貴様には特別な罰が下されることだろう。

このような争いを起こし、人間の未来に貢献したところで自らに残るのは罪ばかり。

後悔はないのか?

 このように問いかけた。



 語っているシュゼットが妙に詳しすぎるので――以前も思ったことだが、ほとんどエメラードを離れたことのない彼女にしては、アクアマリンの内情に通じす
ぎている――どうしてかと訊ねてみた。これはアクアマリンにいる彼女の片割れ、ブルー・フェニックス=フォボスからの情報だという。


 また、神楽歩に罰が下るかということも何の根拠もない出任せだ。いや、正しくは、問いかけた魔物による希望的観測に過ぎない。断罪竜による神罰の対象は「同胞殺し」に限られていた。

「たとえ次の私に罰が下されようと、

その次の私は幸せな時代に生まれるだろう。

我が家族、共に戦った同胞達、

これから生まれる子供達にとっても同じ事。 

その為に我が生涯を捧げたことに悔いなどあるはずがない」


……くぅ~っ、かっこいいねぇ、しびれるねぇ! 

それでもって、彼は自分の亡骸を家族と同じ墓に

入れて欲しいってことだけを最後に望んだのだそうだ

 どうでもいいけどこの教師、自己陶酔が激しすぎるな。




 歴史の次の六時限目はホームルームだったが、その題材は進路指導だった。まぁ、高校二年の二学期だからなぁ。


 配布されたプリントに卒業後の志望進路を第三希望まで記入し、教卓に用意された箱へ提出する。担任は別室で、進路について悩みを抱えた一部の生徒と個人
面談をしている。実を言うと、俺もその、進路に悩みを抱えた生徒に当てはまるかもしれない。担任に相談するつもりはこれっぽっちもないが。




 自分が特殊な存在――魔物にも恐れられる無限の魔力を持った、源泉竜ソース=アイラの力を受け継ぐ者――であると判明するより以前から、俺には明確な希望進路はなかった。そもそも、趣味と呼べるようなものは特になく、例えば友人とつるんだり適当にテレビや音楽を流したりして、余分な時間を浪費するだけの日々だった。


 何か特別に打ち込んでいるものでもあれば、わずかばかりでも進路への足がかりになったかもしれない。例えば。




 俺の前の席の近藤は、子供が好きだから保育士を目指すというし、教卓の前の席に座る高橋は子供の頃からピアノをやっていて、有名な音楽学校に合格するために一年生の内から受験対策などをしてきたという。物心ついた頃から列車の運転士になりたいという夢を抱いてきたという、隣の席の丸山は、卒業したらすぐに鉄道会社に就職すると心に決めているそうだ。


 俺には彼らのように、「夢」と呼べるものが何もない。せいぜい、両親が進学した方がいいと言っていたので、どこか適当に進学でもしておこう。漠然と、そんなことを考えていた。何の具体性もない、こんなの「進路について考えていた」内に入らないだろう。




 まして、今の人間の島は平和そのものだ。織江心のようにソースとして必要とされることも、神楽歩のように指導者として求められることもないだろう。荒れた時代に生まれた彼らは、その生涯を後世の平和の為に捧げることで道を歩んできた。もちろん、俺に彼らほどの志があるとは思わないが……。


 自分以外の何かのために歩んでいける、そんな時代が恋しかった。そんな時代に生きた人々が切望してやまなかった安息の時代に生まれた俺が、こんな風に思うなんてそれこそ罰当たりだ。しかし、きっとこの時代の人間にはこんな馬鹿らしいことを考えている奴だって数え切れないくらいいるんじゃないかと思う……。




 考えれば考えるほど、泥沼に沈んでいくようだった。支離滅裂な思考を立て直せないまま、結局俺はホームルームの時間内に進路希望を完成させることが出来なかった。

おはよーっす……あれ?
 適当な朝の挨拶を投げつつ教室に入ると、毎朝お決まりのように真っ先に挨拶を返してくる奴の姿がない。
おう、はよー。……ん、どうかしたか? 高泉

 入り口にぼけっと突っ立っている俺に、後から入ってきたクラスメイトの鈴木が気付いて怪訝な顔を向ける。




今日、市野は休みかな
 教室に入ったらまず目に付く、窓際後ろから四番目のマージャの席が空いている。普通、自分の席にいないくらいでイコール欠席とは思わないが、あいつは例外だ。朝は、通学する生徒が行き交う校庭を眺めて人間観察をしているんだとかで、自分の席から窓の外を眺めているんだから。

何だ、忘れたのか? 

市野は目の検査で月に一度、

必ず休むじゃないか

必ずじゃないよ。市野君、四月は

検査が週末に当たったからって休まなかったもん

 教室から出ようとしたところで俺達の会話に遭遇した、同じくクラスメイトの佐藤さんから補足が入る。そういや彼女、四月はマージャの前の席だったかな。
目の検査か……そうだったよな

 口ではそう言いつつ、俺は少しも納得していなかった。


 マージャの目は見たものを瞬時に石化させる、魔術の目だ。人間の視覚障害者のそれとは違う。そもそもあのゴーグルが視覚障害に因るものだということ自体が偽りだったはず。どこで、何の検査があっていうんだ。


 背後から、遅れて教室に着いたシュゼットが――涙さんじゃあるまいし、転入してきたばかりの彼女と登校を共にしたら何を言われるかわかったもんじゃない。だから意図的に距離を置いて歩いている――それ見たことか、と言わんばかりの冷ややかな眼差しを向けてきた。

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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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