46/ 足手まといの目覚め
文字数 3,643文字
くすくすと小さく笑いかける声が、俺の鼻先をくすぐっている。深く深く眠っていたような気がするのだけど、まぶたを上げてみると目覚めはとても軽やかだった。
狭い場所……そうだ。ここは、ツリーハウスを建てた大樹の。これまた立派で部分的には山なりに盛り上がっている根、それによって生まれた空洞をさらに掘りこんで作ったスペースだ。根と根のすき間からかろうじて射し込んだ一筋の日光が、視界をふたつに裂いている暗がりの中。かつ、小屋の中で集団で休むのと比べると、どことなく温かく包まれているかのようなこの場所。下は土に、上は木に手厚く守られて、寝心地がいいような気がする。
そう、今はこんな呑気な思考をしている場合じゃなかったんだ。
十日くらい前。月に一度の船がエメラードに着いた。船には少なくとも五、六人以上の魔物が乗り込んで、この島に上陸した。というのが浜辺に住む仲間、ドワーフのオルンからの報告だった。
エリス達が言うには、ソースを狙う魔物はエメラードに来てすぐにこちらの拠点を襲撃したりしない。何せ一世一代の博打を打ってるようなものだから、数日は下準備や様子見をするのだと。
エリスの指示ですよ。
足手まといだから寝かしつけておくように、
とのことだったので。
僭越ながらわたしの力をほんの少し使わせていただきました。
敦さまも、本当は不安に思うところもあったから、
わたしの能力が滞りなく働いたのですよ
すっかりくつろいだようなサクルドの態度に、彼女の言う通り、目の前の脅威はすっかり去ったのだろうと感じられる。
俺は魔術壁はもう問題なく扱えるし、軽めの攻撃魔術もいくつか習っている。が、いわば今回は初の実戦となるはずだったわけで。それがこわくない、緊張しないなんてことはよほどの自信家でもなければありえないだろう。
意味ありげな、返答までの間と表情に、何となくサクルドは嘘をついているような気がした。
ともかく、わざわざ起こされたのだからもう外へ出ろってことなんだろう。身を起こし、膝立ちになってもなお動きにくい空間から、何とか抜け出そうと試みる。
出口からたっぷりと入り込む、森の中の日向。その中心に、柔らかな影がティアーの後ろ姿を形作り陣取っている。
振り返って声をかける彼女の表情には、疲れが見える。
大変な時に、ひとりで眠りこけていた自分の不甲斐なさを、痛感した。
なんておどけているライトにも、他のみんなにも、ひと仕事終えたという達成感などない。
外へ出ると、その場を支配していたのは、ただただ疲労一色だった。
おそらく手首足首を縛ってあるのだろう、数えてみると六人もの魔物が地面に転がされている。
遠目だから定かではないが、よほど体力を消耗したのか座り込んでいるヴァニッシュ。その横に立つエリスは気を抜かない厳しい視線で辺りを見回している。
昼間から激しく動かされて豊もベルもしんどいだろうな。そう思い、どこか肩を落とすような姿勢で立ち尽くしている豊の方へ向かおうとしたら。
手首足首を縛った魔物達を引きずって、ベルがのんびりとした歩調で豊の前に立つ。魔物の中には地面に顔を擦っている者もいるのだが、目を覚ます様子はない。ベルの能力は相手を眠らせるのに特化しているとかで、彼らはベルが許さない限りもはや決して目覚めることはない。そして、彼らはこれからベルに残らず血をいただかれるのだから……実質、彼らが生きて動くことはもうないのだろう。
お弟子ちゃんというのは豊のことだ。ベルは何故か、他人を名前で呼ばない。ライトとエリスは付き合いが長く深いせいかその限りではないが。きっと、これから俺の背が伸びたとしてもずっとおチビと呼ばれるんだろうな。
ひとり分の血でしばらくは何もしないで暮らせるわよ。
アンタが何もしないでもコイツはアタシの中に収まるだけ。
結果は同じよ。
ま、もう渡しちゃったんだし、
無駄死にさせるかどーすっかはアンタに任せるわ。
んじゃー、おっ先ぃ
豊はうつぶせにぐったりと横たわる魔物を見下ろす。割と大柄な男の魔物だ。髪は痕跡も残らず剃ってあって、首から下は暗幕のような重苦しいローブで覆われている。こう言うのは何だが、てるてる坊主みたいで情報量の少ない感じだと思う。
たっぷりと悩んだのだろう、やがて豊は男を背負うと、ベルの向かったのとは逆の方へ歩いていった。
上はティーシャツ、下はジーンズを三着ほどで着回しているせいか、いくら洗っても追いつかないような薄汚れた有様ではある。しかし、服はまだまだ持ちそうではあるのだけど、靴の方は布が裂け底は擦り切れてしまっている。
……でも、急いでいるのなら狼に戻っても良さそうなものだけど。そういえば、しばらくティアーの狼の姿を見ていないような気がする。以前は眠る時、必ず狼に戻っていたのに、いつの間にかそれさえしなくなっていた。
だから、木々の天井の上に太陽が陣取り青空の広がる時間から小屋の中で、エリスとサクルドとの三人ぽっちでいるというのは珍しい場面だった。