24/ 黒曜石

文字数 3,648文字

 指先で板をひっかくような、ごくごく小さな物音が耳に入り、俺は目を覚ました。寝返りを打ってうつぶせになり、顔を上げると、まさに目と鼻の先をカニが歩いていた。
おはよう、サクルド

 部屋の中に誰もいないようなので、首から下げている小瓶に宿るサクルドへ朝一の挨拶を伝える――柴木先生に寝込みを襲われた苦い経験から、眠る前にこの小瓶を外すことはしなくなった――俺が返事を期待しているわけではないからか、サクルドの返事はない。




 外へ出ると、エメラードは白い霧に覆われていた。木々の間から森をうかがおうとしても、一寸先も見えない有様だ。

おう。起きたか
ああ、オルン。おはよう
 小屋の横、昨日と同じ場所にたき火が用意されていて、オルンが火の番をしていた。

豊、じゃなくて……

ユイノのこと、見なかった?

 オルンは豊の名前を覚えていないかもしれないと思い、一応言い直すことにした。

ティアーに付き合って、食糧調達に森へ入ったよ。

それがどうかしたか?

いや、前に、ヴァンパイアは太陽の下で行動するのは辛いって聞いたから。

小屋の中にいないし、どこ行ったかなと思って

見たところ、ベル達の住処までもたないほど弱っちゃいないようだったが

 確かに、俺の血を吸っただけでも豊は大分元気になった。あの時とは状況が違うってことか。




 オルンの左隣に腰を下ろすと、皮に包まれた何かを差し出された。

こいつを受け取れ
 ちょうど両手のひらくらいの大きさのそれを受け取ると、重いような軽いような中途半端な感じだった。包みを解くと、出てきたのは貝殻のように平らで細長い、黒い石。ぱっと見で小刀の代用品なんだろうな、とわかる。握りの部分がひもで巻かれ、手首に固定出来るようになっている。

俺の小屋はライトがこしらえたもんでな。

そこに住む対価として、俺は連中に頼まれた道具は何でもすぐに作る。

そのナイフは毎回、ソースがエメラードに来たら渡す手はずになってるのさ。

エメラードに来た以上、今後は狩りをしたり肉をさばいたりするだろう

石なんかで肉が切れるものなのか?

そう侮ったもんじゃない。

特に、そいつはこの俺が仕立てたもんだ。

申し訳程度だが、魔術も織り込んであるからな

そりゃすごいな。ありがとう、オルン
 黒い石の、刃になるんだろうと思われる部分を指でそっと撫でてみる。それだけで切れるってことはないが、やはり自然に出来たとは思えない、鋭利な角度がついている。オルンが何かで研いだんだろうか。

今日は暑くなりそうだ。

ベル達のところへ着くまでにへばるんじゃないぞ

ここからどれくらい歩くんだろう

太陽がてっぺんに見える、少し前には着くだろう。

そう森の深くまで行くわけじゃないからな。

もちろん、人間の足ならって話だが

 魔物達には時間を数える習慣はないらしいと聞いて、俺も腕時計は自宅へ置いてきてしまった。正確な時刻はわからないが、朝早くに出発して、到着が昼頃というのは人間の感覚からしてはちょっとげんなりしてしまう。
ベルとその仲間って、どんな人達なんだろう……
なんだ、もうすぐにも会うっていうのに、今から気にしてるのか

名前はちょくちょく話に出るけど、

詳しい話を聞いたことがなかったなと思ってさ

そうさな……一言で言えば、魔物の中でも飛びきり変わった生き方をしてきた連中だな。


ライトは暇さえあれば人間の島へ出掛けて、わざわざ人間の仕組みの中で働いたりする。


エリスは世にも珍しい純正のエルフだ。

エルフってやつは基本的に、エルフ界にこもって地上へは出てこないものなのでな。


ベルとはそうそう出会わないから、語れるようなことは知らん

 そうだ、彼女のために作られた装備を豊が使ったってことは、ベルはヴァンパイアってことだよな。なおかつ、ベルは「所長」と呼ばれる、ティアー達のリーダーってことになっている。




 ……そうなるとますます腑に落ちないものがある。ヴァンパイアにとって人間は格好の餌のはずだ。そのヴァンパイアが人間を助けるための集団を立ち上げたりするものだろうか。






 ティアーと豊が戻ってきた。今朝は川の方で魚を、ついでに見かけた鳥を落として捕まえてきたという。魚は豊の持つ木のバケツに入っているが、鳥はその場で息の根を止めたらしく、ティアーが両手に二羽ずつぶら下げてきた。

なぁ、ティアー。

せっかくオルンに石のナイフを貰ったから、

俺にも手伝わせて欲しいんだけど

う~ん……じゃあ、魚の方、お願いするよ。

人間はその方が抵抗少ないんでしょう?

まあ……そうかも
 言われてみれば、おかしな話だけどな。魚だろうが鳥だろうが、生身の生物であることには変わりないんだから。ただ、魚だと人間の肉の触感とはかけ離れたものだから、小動物と比べると若干抵抗は少ないというのは間違いない。

あたしは鳥をさばいてるから、

豊、教えてあげてくれる?

あいよ。まず俺がさばいて見せるから、それ、貸してくれ

 オルンに貰った石ナイフを、豊に渡す。ほとんどの魔物はティアーやヴァニッシュがしているみたいに、手で生き物をさばくらしい。だけど普段通りにしても俺への見本にはならないから、豊がナイフを使うのもこれきりだろう。




 うろこを落とした魚を腹からさばき、内臓を取り出す。バケツに入っていた八匹全ての作業を終えると、次は砂浜へ出向いてさばいた魚を洗った。


 頻繁に母親の手伝いをする生活をしていたら魚をさばく機会もあったかもしれないが、俺は自分で食事の用意をする時はチャーハンみたいな単純な料理だったり、出来合いのものに頼っていた。だから魚をさばくことさえ、これが初体験だった。




 朝食後、狙い済ましていたんじゃないかと疑いたくなるような絶好のタイミングで、狼のヴァニッシュが迎えに来た。




 彼女は言った。手をつないで行こう、と。


 俺は何の違和感もなく、その手を取った。少し前までなら照れたり下心だったりで激しく心を動かされたはずなんだけど。いつの間にか、彼女の傍にいるのが自然なことと思うようになっている。


 今はまだ、何の技術も身につけていない俺だから、彼女の、みんなの背中を追っているようなものだ。少しでも早くみんなに追いつけるように、今日から頑張らないと。そんな気持ちで、森の中へと足を踏み出した。




 森は緩やかに、その深みを増していく。地面が下がっているわけでもないのに、自分が沈んでいくかのように感じられた。


 木々の高みが、自分が気にかけない間に増していたからだ。海辺から見える範囲では、木の背丈は人間の島でもありふれた程度だったのに、今はてっぺんも見えない。


 本物の森の中というのは、こうも薄暗いものなのか。分厚い葉に覆われて、光があまり届いてこない。この緑の天井の上に集落があって何人も暮らしている、と言われても信じてしまいそうなくらいだ。


 そんな天井にも、時折隙間がある。こもれ日というより、柱のように光が降り注ぐ。そんなスポットを狙ってか、その光の中ではたいてい、異形の獣が身体を休めている。日光で魔力を回復する魔物にとって、こういう場所は貴重なんだろう。




 年中、夏に近い気候というエメラード。木々のおかげで直射日光に悩まされることはないけれど、とにかく蒸し暑い。全身から噴くように汗が垂れ、実際はそうではない地面までぬかるんでいるかのような錯覚をする。


 地面の高低差はあまりないが、張り出した木の根が地面に与える凹凸は、身体にかなりの負担をかける。またぐというレベルに留まらず、全身を使って乗り越えなければならないこともある。その逆で、半円を描くように盛り上がった根の下を苦もなしにくぐれることもあった。




 先導するヴァニッシュ、手をつないで歩くティアー、肩に乗るサクルド、後ろを守っている豊。サクルドはともかく、他の三人が足を乱すことはない。だから、気が抜けたらすぐにも泣き事を吐いてしまいそうな自分を必死で律する。


 エメラードにはソースを狙っている連中がいくらでもいる、というのはやはり事実なんだ。俺はついていくだけで精一杯だけど、みんなは明らかに張り詰めた
緊張感をまとわせている。長い道中でも、会話らしいものはほとんどなく、殺気に近い気配まで漂わせて周囲を警戒している。


 聞くまでもなく俺のためなんだろうけど、途中、何度か挟んだ休憩の時間も静かに過ごしていた――ぎゃあぎゃあと騒がしい感じの鳥の声さえ、遥か彼方から申し訳程度に響いてくるだけ。俺の方は息が上がって、とても話すどころじゃない。




 これまでの道のりと比べたらずいぶんと潤沢に光が射してるな、と感じる場所に出た。


 その瞬間、つないだ手から、前方のヴァニッシュの気配からこわばりが消え、ほっとした空気が流れた。サクルドは笑顔を残して消えてしまう。


 着いたよ、というティアーの宣言に、力が抜けそうな体をなんとか支えた。腰を抜かしたところで誰も責めないと思うけど、なんとなく格好つけていたかったんだ。

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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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