85/ 覚悟

文字数 4,189文字

 ツリーハウスの小屋の中は、日中、太陽光に弱いヴァンパイアのベルのために完全に閉め切られている。エリスが先頭に立って戸を開けると、光の筋がくっきりと床に刻まれて、徐々にドアの形に切り抜かれていく。
あら、起きているじゃない、ベル
 エリスの言葉に、反射的に身体が強張った。
お久しぶりね。おチビちゃんにお弟子ちゃん
 意外なことに、ベルはおなじみの不機嫌顔ではなかった。感情の見えない、上から何か塗り固めたようにのっぺりした無表情。

これはこれは。また、

おもしろくなさそうな顔してるな、所長

 豊から見ると、ベルの印象は俺と異なるらしい。言われてみれば、俺が夜眠っている間、少なからずベルと交流する時間のある豊の方が彼女との付き合いは深いんだよな。




おもしろくないっつーか……

正直、つまらない話よね。

せっかくのソースの力を、

ゴブリンを救うために使おうなんて。

物知らずってのはほんと、罪深いものだわ

 はあ~あ。何だかんだ言って、ベルがこう深刻にため息を吐いているのはあまり見慣れない。

アタシもそろそろ、身の振り方ってものを決めないといけないかしら? 

アタシだけじゃない。ゴブリンの味方なんかして、

全ての人間、多くの魔物を敵に回す覚悟がアンタにある?

それ、俺がもう言っておいたけど

ふん。お弟子ちゃんはツメが甘いわね。

訊くだけ訊いて返事はまだもらってない。

そうでしょ? おチビのお顔に書いてあるわ

 まあね、とそっけなく呟いて、豊はあさっての方を見やる。確かに豊から同じ主旨の言葉を受け取ってはいたけれど、彼は答えを求めたのではなく、友人とし

て俺に忠告してくれただけだと解釈していた。しかし、それが許されるのはあくまで友人のよしみであって。他の誰かにでも同じ疑問を投げられたなら、俺は誠実な受け答えをしなければならない。俺がしようとしているのは、そういうことだ。




これが覚悟って言えるのかわからないけど……

俺は、自分自身で決めた道は、

たとえどんなことになっても自分で

責任を取らなきゃいけないと思ってる。

誰を敵にしても、望んだ結果にならなかったとしても、

誰のせいにもしない。こいつやゴブリン族や、

敵になった誰を恨んだりしないよ

あら、そう……それなら
 よっこいせ、とまぬけな言葉を吐き出しつつ、ベルが重たく腰を上げ立ち上がる。しかし、立ち上がってからの動きはすばやかった。
ここでアタシがアンタの首かっさばいても、文句はないってわけね
 いつのまにか、彼女の指先、爪が鋭利に長く伸びている。その爪先が喉仏に狙いを定め、つんつん、おしとやかにつついてみせる。

アタシの生まれた時代はね、

ゴブリン族が現役まっさかりの外道だった頃でね。

アイツらに救いの手を差し伸べるなんて、冗談でも吐き気がするわ

 目を細め、口の端をつり上げるようなその笑みは、悪ふざけのように美しかった。

本気で俺が許せないなら、

ベルは俺の覚悟なんか聞かずに

とっくに斬り殺してるだろ

 彼女の真意は読めなくても、これだけは確信を持っていた。ベルは、少なくとも今は、俺に危害を加えるつもりはないのだろうと。
……言うようになったじゃない
 そう吐き捨てるベルは、今度こそ俺にもわかるあからさまさで、つまらないものを見たとでも言いたそうな目を向けた。
興味が失せたわ。後は好きにして
 閉ざされた窓際、彼女の定位置で横になり、ベルは俺達に背を向けた。

 これまでのやり取りを、それこそ興味なさげに傍観していたエリス。その横で口を引き結んでいたマージャは、いつものごとくゴーグルで目を隠しているため真意のほどはさっぱり読めない。


 目は口ほどにものを言う、とはその通りだが……その目が隠されていると、むしろ身体そのものの状態は大いに参考になる。マージャは、両方の拳を握りしめ、頭のてっぺんからつま先まで凍り付いたように固まっていた。

エリスも、ベルがこんな感じでよく協力する気になったな
 こんなにも素早くベルが寝入るわけがないと思うのだが、それとも豊にとっては彼女の耳に入れるのが何でもないことなのか。

別に、エリスもライトも、ベルに従属しているわけではないもの。

所長というのは便宜上の呼び方であってね。

だからベルがどう思おうと、エリスには関わりのないことだわ

じゃあ、エリスはゴブリンの力になること、賛成してくれるのか
 深く考えずに訊ねたことを、俺は後悔する羽目になる。

かの時代と違って、今はアクアマリンに魔物の政府を置いている。

もし、解放されたゴブリン族がかつてのままに殺戮を行おうとしたならば、

迎え撃って今度こそ一族根絶やしにしてしまえばいいのよ。

それはベルもわかっているでしょうけど、

ゴブリンに振り回された時代の人間だもの。

わりきれないのでしょうね……

 ぽかん、と口を開けて、ただただ間抜け面をさらしている俺にエリスが目を留める。
どうしたの、アーチ?
 普段、察しの良い彼女らしくなく。エリスは心底、俺の態度が理解できないようだった。

ほれみろ。何もベルばっかりが

ああいう心臓に悪いことを言うわけじゃないんだぞ

そだな
 いや、むしろベルってやっぱり元は人間だったんだな。そんな風に、彼女に人間味を感じたのはこれが初めてだったかもしれない。
では、さっそく始めましょうか
 何を? と、俺と豊とマージャの疑問の声が重なった。

例のまじないから解放されたゴブリン族の肉体には、

特徴があると伝え聞いたことがあるの。

それを確かめるための視診よ。

そういうわけだからマージャ、服を脱いで頂戴

……てことは、必要なのはこっちだよな?
 マージャの今日の出で立ちは、ゆったりサイズのデニムのつなぎ――サロペットジーンズとかいうんだっけ、こういうの――だが、その胸元のボタンをふたつ 外し、すとんとジーンズが下に落ちる。トランクスをはいた素足が、実にあっけなく現れる。つなぎの下には長袖のワイシャツを着ているため、さながら登校前に制服を着替えている最中のような、実にエメラードになじまない有様である。
何やってんだよ、マージャ

理解が早くて助かるわね。

どういうわけか、まじないの解けたゴブリンの肉体は

本来の姿には戻らない。基本は人間で、

竜族とは別の意味での無性別とされているわ

 人間とも魔物とも違って、竜にはオスもメスもない。あるいは、オスでもありメスでもある。


 エリスの言った視診という響きと、マージャのいち早い行動から嫌な予感を感じ取った俺は、ここは本人達にまかせておくことにして豊と一緒に小屋を出た。


 暮れかかりの太陽が、大森林を赤く染め始めた頃合いだった。
ぅおおーい、アーチぃ~!
 どかどかと、盛大に音と砂埃をまき散らして駆けてくる巨大な影。どこか既視感を覚えるが、のんびり懐かしんでいる場合ではない。
 案の定、でっかい熊の死体を担いだライトが、空いている方の肩でタックルを仕掛けてきた。相手にダメージを与えない程度に加減した、拡散の魔術壁でライトを受け止める。ばちっと音を立てて散った小さな火種を、ライトは満足げに握りしめた。
おう、やるようになったじゃないの!

その図体にぶつかられちゃたまらないからさ。

つーか、来客を迎える時は熊料理って決めてるのか?

 俺が初めてエメラードに来て、ベル、ライト、エリスと対面した夜も、彼が振る舞ったのは熊の肉だった。
おうよ。なんたってこいつぁ巨人族のとっておきだからなぁ!
 得意げに解説が続く。なんでもこの熊はタイタンの集落に暮らしている熊で、名をハンドベアーというらしい。遙か昔、巨人族が人間五人分ほどの背丈を誇った当時は、この熊を手のひらの上で飼い慣らしていたという。
 それにしても、夕食の狩りにしては帰ってくるのが遅いとは思っていたけど。タイタンの集落まで出かけていたとなれば納得だ。
んで、あちらさんが噂のマージャかね?
ん? ああ……
 ライトが突きつけた太い人差し指をたどった先には、ツリーハウスの足場に腰を下ろし、所在なく宙に足を投げ出したマージャがいる。
ふうん……今日はそっとしといた方がいいのかね、疲れてるようだから
 遠目に見ただけでマージャの様子に気がついて、さらに気遣う方向に考えられるあたり、ライトも魔物にしては人が良いというべきか。

明日から、俺の時と同じで水源と火起こし担当になったし、

ゆっくりさせといてやれるのも今日だけだからね。

ライトがそれでいいっていうならそうしてやってくれよ

 今日の様子を見た限りでは、マージャはあの頃の俺以上に体力面に不足がみられる。しかも、無制限に魔術を放てる俺は火起こしもマッチ以上の気安さだったけど、マージャはそうもいかない。先人の築いた文明の利器に頼らないと、火起こしっていうのはしんどくて厄介なものだ。

もう聞いてるか? おまえさん、

明日から昼夜分の狩りに出てもらうってこと

ああ。慣れるまでは

俺とマージャの分だけでいいっていう

 自分の身は自分で守れる。一応、俺もそういう風に仲間内で認められるようになった。ということは、みんなと同じ仕事をひとりで任されるということでもある。そうは言っても一人前にはまだまだほど遠く、経験の足りない俺だ。狩りひとつとっても数えたくないほどの難題を抱えている。

 俺は食材にふさわしい獲物がこの島のどの辺りにいるのかまでは知らない。それを完全に見定められるようになるまでは、俺と常に行動を共にすることが出来る、小さなサクルドに指示をしてもらうしかない。
 さらに言えば、現状の俺には魔物ほどの腕力はない。人数分の肉を確保しても、それを仲間の待つツリーハウスまで運ぶのは骨と思われた。
 狩りに使う道具として弓矢の指導を受けてはいるが、実践に使用出来るかといえばそれはまだまだと言える。こんな有様でどう狩りをするかというと、それは全て、魔術を使って何とかしろ、というのがエリスからの助言だった。俺の場合、狩りは貴重な実戦の場でもある。訓練以外で魔術を使い、魔力の加減を身につけるのに、日常生活に必要な狩りは手頃な機会ではある。

 以上、様々な不足を鑑みて、俺に全員分の食糧確保を任せるのは荷が重い。ついでに、ベルの心情としてマージャを彼らの暮らしの中で養うのは気分の良いものではない。元より俺が引き受けた厄介だ、責任を持って面倒を見るように、ということで妥協点を見出したのだった。
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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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