62/ おやすみなさい

文字数 2,181文字

 その夜、眠りにつく前に、今更ながら思い至る。俺が望まないと姿を表すことさえ出来ないというサクルドに、ヴァニッシュとの別れに居合わせてやることが出来なかったな、って。

(  ……お心遣い、痛み入ります。

けれど、わたしは敦さまの見るものを共有していますから、

お気遣いは無用ですよ。

それに、あのような場面でわたしを呼べるような冷静さ、

あなたらしくありませんもの  )

(  ……ほんと、サクルドは俺のことばっかりだな  )

(  ……それはわたしに限ったことではありません。

ティアーも、ヴァニッシュも、ユイノも……

敦さまの幸せだけが、ただひとつの救いなのですから  )






ねー、敦……起きてる?

 同じ小屋の中、すでに眠っているエリスとライトに気を使ってのことだろう。本当にかすかな、ともすれば俺の左手側で寝ているライトの、巨体に似合った騒々しいいびきにかきけされそうな、ティアーの囁き。




 仰向けで横になったまま、頭だけを彼女の方へ向ける。ティアーは左の手のひらを頬に敷く形で、体ごとこちらに向けていた。力なく放置された右腕、その手のひらが胸の前にある。

起きてるよ
眠れないんだね
そりゃあ、ね……

 かけがえのない仲間を、何もしてやれないまま、ただ見送るしかなかった。そんな夜なんだ。とても安らかに眠りにつけるような心境じゃない。




あのね、お願いがあるの。こんな時になんだけど
何?

前に言ってた、ね、ティネスの歌に詞をつけるってやつ。

あれってどうなってる?

まだ途中だけど、半分以上は終わったと思う

そっか。それならさ、

途中まででいいからあたしに聞かせてくれないかな

 いやならいいんだけど、とおまけのように呟く彼女はどこか寂しげで、第一断る理由もないようなことだ。




 いいよ、と答えると、彼女は嬉しそうに笑ってくれて、横たわったまま全身を使ってこちらにすり寄ってくる。……これは、伝える内容もさることながら、体勢までいかにも気恥ずかしい。




 幸い、この小屋は外の光を可能な限り遮蔽する作りになっている――元はといえば、ここはライトがヴァンパイアとなったベルのために用意した住
処なのだから、当然のことだ――闇に慣れた目ではおぼろながらに相手の表情も見えるが、頬の赤らみくらいなら暗闇がごまかしてくれるはずだ。




 俺は、何だかみっともない類の勇気を振り絞って、ティアーに目いっぱい近付いた。そりゃあ、エリス達を起こせないっていうこの状況で、取るべき形は内緒話くらいしかないってもんだ。




 つたないながらも懸命に集め、並べた言葉達だった。自信なんてあるはずがないけど、それを聞いたティアーは、この上なく満足そうに笑ってくれて、俺はそれだけで十分に報われた心持ちだった。




……あたし、ちょっとお散歩して来る
 ふいに立ち上がりティアーは言った。



本当はね、あたし、月を見るのは嫌いなんだ。


日が沈んで月が出ると、そろそろ眠らなきゃ――

ああ、今日も大切な一日が終わってしまうんだな、

って気持ちになるから。


それと……あたしにはただの狼だった時の気持ち、

覚えてないっていうか、残ってないんだけど……

敦が会いに来てくれて、日が暮れてお家に帰って。


月を見上げる時はいつもひとりで、

そんな時間はなんだか寂しかったような気がする

 ふぅ、と、胸につかえた何かを吐き出すような、吐息が聞こえた。

でもね、どうしてか今日は、

ゆっくり月を見るのもいいかなって気持ちなんだ

 ティアーがそっと、音を立てないよう配慮して小屋の戸を開ける。すぅっと一斉に入り込む月明かりが彼女の横顔を照らす。出て行く直前にこちらに顔を向けて、




おやすみなさい。いい夢を見てね、敦
 それは夏の日の太陽のように、輝きの強い笑みだった。そんな彼女に俺は何か言った、はずなんだけど、どういうわけかそれは無意識の言葉だったらしく、その内容が頭に残っていないのだった。

 たった今、俺の伝えた歌詞で、ティアーが歌っていた。薄い木の壁一枚隔てただけの、向こう側で。それは薄っぺらなはずなのに、いやに遠くに感じられた。まるで彼女のいるのが、もう手の届かないところであるかのように。




 自分が作ったとはいえ、こう、実際に歌われるのを耳にすると照れくさくもなる。……そう思うんだけど、ティアーの歌声はどこか、はしゃいでいるような明るさと、気落ちしているような暗さといった、相反した音色をしていて。

――生のおわりは寂しいけれど 今日まで絶えずそそいでくれた


命の 恵みに ありがとうって言わなくちゃ






 ……俺の伝えた覚えのない、それどころか聞き覚えさえない歌詞を、彼女は歌に乗せた。それきりティアーの歌声は止んでしまう。




ティアー?

 この程度のことでも文句をつけてきそうなベルは今、この小屋にいない。だからかまわないだろうと思って、俺は小屋の窓を押し上げ、全開にした。




 そこに、ティアーの姿はなかった。使い古し、くたびれた包帯。そして、彼女の傷跡を隠していたはずのその包帯の中身が、その形のまま、ツリーハウスの足場にぽつんと置かれている。その下に敷かれているのは、森の中での暮らし相応には薄汚れた、白いワンピースだった。

……ティアー

 どこか遠く、……森の奥深くだか空の彼方だか、とにかく見当もつかないような遠い場所から、獣の遠吠えが聞こえてきた。




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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

アイコン差分

アイコン差分

せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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