63/ 【閑話休題】

文字数 2,682文字

 地の脈動を後にした静けさ。山のふもとを広々と占拠したごみ溜めのただ中で、ひとりの子供が泣いていた。




 獣ごときの命を惜しんで、自分の人間としての未来、生涯を捧げるというのか。そう訊ねると、子供は答えた。

だ、だって、ティアーはなんにも悪いこと、してないんだっ。

なの、にっ、こんな風に死んじゃうなんておかしいよ……

 そこから先はしゃくりあげて言葉にならなかったが、大方の予想はつく。せいぜい、不公平だ、とか、不平等だ、とか――そんな、世の中の圧倒的な理、不条理を認めたくない、まったく年相応の子供じみた理想を述べたいところなのだろう。


 そして、その子供じみた理想をまんまと利用し、彼を手に入れたわたしはなんと意地汚い存在だろう……そう、思った。











おい、おまえ人間だろう。

そんなところで何してる?

 エメラードの大森林、その中で何の変哲もないありふれた大樹のひとつに、人間の少女が逆さで磔になっていた。両手首、同じく足首が変形した枝に絡めとられている。




 黒の衣装は太陽光、あるいは月光による魔力を少しでも多く吸収するための、魔術を嗜む者に定番のアイテムである。少女も例に漏れず、それも人間にしては非常に稀と言える魔力量が感じられた。

ちょっとドジしちゃってさ、

この辺を縄張りにしてるヘビに捕まっちゃったみたい。

ねえ、よかったら助けてくれないかな

 困ったように笑いつつ、軽い口調で彼女は続ける。
助けてくれたら、あなたの話を聞いてあげるよ
 魔物と交渉する際には、条件提示による取引をするのは常識だ。無条件で誰かを助けようなんて奇特な魔物は多くない。

……そんなつまらない条件、聞いたこともない。

しかし、なぜそう思った?

ここから見ててさ、何だかあなた、

悩みのありそうな顔して歩いてたから

 結局、ティアーは彼女の誘いに乗った。

ふう、ありがとう。本当に助かったよ。

彼女の留守中にあなたが来てくれなかったら、

この後どうなってたことやら

 蛇の仕掛ける罠は取り込まれた本人には手も足も出ないものの、第三者さえいればいともたやすくほどけてしまうのが難点だ。
おまえ、何しにこんなところへ来たんだ?

あたし、カリンっていうの。

ちょっと探したいものがあってこっそり出てきたんだ。

だから次の船で帰るんだけど……あなたは?

ティアーだ
へえ。ティアー、ね
 ティアーは、魔物の世界では「涙」を意味する言葉。人間である彼女にとっては名前と言われると引っかかりを覚えるが、彼女は野暮を口にせず踏みとどまる。
それで、何を悩んでいるの?

会いたい人間がいるんだ。

けど、会っていいものかわからない。

いや、会うべきでないって、ティアーは本当はわかっているんだ

よくわからないや。

会いたいなら会えばいいのに、

どうしてだめだなんて思うのよ

 藁にもすがる思いなのだろう――実際、魔物の仲間にはこのように、「人間くさい」と称される感情は理解されず、相談など出来ない――ティアーは、出会ったばかりのカリンに彼とのことをあらいざらい打ち明ける。

敦はティアーのことを忘れて立ち直った。

ワー・ウルフは人間と同じには生きられない。

どうせすぐ死ぬティアーが今になって敦と関わりを持ったところで、

また敦に悲しい思いをさせるだけじゃないか

 そう。獣ふぜいの救命を願って、自分の生涯を捧げてしまった彼にとって、ティアーの予想は的を射たものだった。


 相談を受けて考えていたカリンは、妙案でも思いついたのか、晴れやかな表情で手を打った。

だったら、チャンスは今しかないわね! 

敦君と同じ学校に入ればいいのよ

が、がっこう? なんだそれは

言うなれば、人間の島で子供が所属することを義務づけられてる施設のことね。

学校にいられるのは子供の内だけ。

そして、そこから出る時にお別れっていうのは

至って自然な通過儀礼なの。

卒業と同時に敦君ときっぱりお別れすれば、

それまでは何の気兼ねもなく彼と一緒にいられるよ

そ、そうなのか……確かに名案だな、それはっ

でしょでしょ~? 

あ、実行するつもりならその前に、

その話し方は何とかした方がいいわね

は? なんのために

だってティアー、敦君のことが好きなんでしょ? 

好きになってほしいでしょ? 

人間の男の子は、そういう野性的な話し方は良く思わないよ。

自分のこと名前で言うのもマイナスかも

だけど、この名前は敦がくれた大切なものなんだ

自分でそう思うのは勝手だけど、それを表明しなくたっていいの。

ティアーなんて名前、私は魔物ですって言ってるようなものだよ

 相手や状況によって裏表を使い分けることは、魔物の社会でも良しとされている。しかしエメラードの森の中で暮らす分には使い分けなどせずとも生きていける。元より獣であるティアーにとって、理解が難しいのは当たり前のことだ。

む~、むずかしいもんだな。

それなら、とりあえずカリンの真似でもしてみようか

そうねー、それがいいよ。

そうだ、あたしが帰るまでこっちの目的に付き合ってくれたら、

あたしもティアーにいろいろ教えてあげる

 その条件をティアーは喜んで受け入れ、カリンと過ごしたわずかな日々の中でふたりは親友同然の仲になるのだった。





ティアー。敦達、出発したぞ

 わざわざ報告をしなくても、遠ざかる魔力によってティアーはそれを察していた。ユイノもそのことは承知で、ティアーの様子をうかがいに来るための口実に過ぎない。


 ライトに連れられて彼が出かけた夜は、満月だった。本来、アンデッド種にとって満月による魔力供給は恵みであるが、今のティアーにとってはその真逆の効果をもたらしていた。

なあ、ティアー。

本当に、敦に言わなくていいのかよ。

おまえが黙っていたって、このままヴァニッシュが死ねば

ワー・ウルフの寿命のことはあいつにわかっちまうんだぞ

 ティアーは、すぐにはユイノの問いかけに答えられなかった。唇をかみしめ、気休めに過ぎないとわかっていてもなお、残りわずかの命が染み出していく傷口を無事な左腕で抱き。嘆き、不安、悔しさ、そして未練。苦痛と共に、様々な負の感情で全身を震わせながらようやく、




あたし、ずっとずっと嘘をついてきたんだ。

敦に嫌われたくなくて、普通の人間の女の子の振りをして……

だから、自分の本当の気持ちもわからなくなっちゃった。

もう、どうしたらいいのかわからないよ……

 悲しみよりも根深い、自己嫌悪にさいなまれ、ティアーは涙を流すことさえ出来ない。うつろな目を自らの胸元に落とし、わたし――いや。敦さまに分け与えられた小瓶を、一心に見つめ続けた。

「TEAR 第一部」総文字数=223086文字

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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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