⑫ 森の朝

文字数 3,812文字

 外はこもれ日で透き通るように輝いている。森の木々の分厚さは、夜に見たそれとは印象が違っていた。館の屋根を隠す目的があるらしい部分を除いては、茂る葉の天井は思いのほか軽く見えた。


 館は一般的な家屋のおよそ二軒分、といった大きさで、古ぼけているとはいえどこか高級感があった。確かティアー達の仲間が、たったひとりで建てたとか言ってたっけ。それにしても、魔物が森の中で、機械の助けもなくひとりで作り上げたとはとても思えない代物だ。


 二階はさして大きくない窓が左右合わせて十もあるのに対し、一階は壁よりガラスの面積の方が多いくらいで、中が丸見えだった。

大したもんだなぁー……ていうか、

ガラスとか、材料はどっから仕入れたんだろう?

 などと感心していると、玄関から頼りない足取りでジャックさんが出てきた。待っているのも気が引けるので、俺の方から歩み寄る。
おはようございます
おはよう、敦君。夕べはよく眠れたかい?
 ジャックさんが笑うと、顔中に優しげな皺が刻まれる。

はい。いつもだったらこんな時間には起きられないのに、

今はこれっぽっちも眠くないです

 腕時計を見ると、まだ朝の五時を少し過ぎたような時間だった。こんな時間に自然に目がさめたことはほとんどない。
はは、明かりに慣れている人間の男の子には、ちと寝るのが早すぎたようだねぇ
ジャックさんこそ、朝は随分早いんですね
なぁに、若いもんが朝早くから食糧調達に走っているのに、年寄りだからってぼやぼや寝ていられないさ。だから、火おこしは私の仕事と決めたんだよ
 火おこしの段階はとうに済ませたらしく、小さいながらも火の手があがっていた。もう手を加えなくても火の勢いが衰える様子はなさそうだ。そんなに長い時間、ここを離れていたような感覚はないのだが、たき火っていうのは意外と短時間でできるものなんだろうか。
って、それ……マッチですよね?

 膝に手を置いたジャックさんの、その手が握っているのはどう見てもマッチ箱だった。森の中に住む魔物達が、火おこしにマッチを使うというのは想像していなかった。まぁ、それを言えば館に住んでいる時点で自分のイメージなんて粉微塵になったようなものだけど。




わざわざマッチを仕入れてくるんですか

ヴァニッシュがね、勤め先のマッチをよく持ち帰ってくれるんだよ。

これがあると火おこしも楽になってねぇ

え、ヴァニッシュって働いてるんだ
 どんなところだか知らないが、昨日の印象では「饒舌」という言葉の対極にあるような感じだったから、正直にわかには信じられなかったりする。

ティアーが学校に通うには、やっぱりどうしてもお金がかかってしまうから、

ヴァニッシュはそのための学費を稼いでいるんだ。

ワー・ウルフというのはそれほど数いる種族ではないから、

ふたりは本当の兄妹のように支え合って生きてきたんだよ

本当の兄妹みたい、ですか

 俺はまだ、魔物としての――「海月涙さん」ではない「ティアー」としての彼女と接した時間が、あまりに短い。「ヴァニッシュ」なんてそれよりもっと短いし、ワー・ウルフという種族がどういった魔物なのかも知らない。


 一見のどかな風景のようでも、俺が今立っているこの森は、人間ではなく魔物の世界なんだ。そう思うと心細くて、どうしたらいいのかわからなかった。

 ティアーの姿が見えないのは、体を動かすのに不自由しているというジャックさんのために、食材を調達しに出かけているということだった。この時の俺は昨夜の出来事を引きずって胸やけがやまず、とても食事をするような気になれなかったため、彼女には自分の分の食材はいらないと断っておいた。また、ティアーは俺よりも状況を把握していたから、そもそも俺達には悠長に食事をとっている時間の余裕もないことに気が付いていたかもしれない。




 なぜかやけに楽しげに焚き火の火起こしをしているジャックさんを眺めながら、手持ち無沙汰に立っていた俺は、木立の奥、遠目にもよく目立つ人の姿を見かけた。銀髪に陽射しを受けて細かな光を散らしながら、ヴァニッシュが歩いて来る。人間の力じゃ易々とは持ち上げられないだろう大きさの岩を胸に抱いて、平然と歩いてくる。それをジャックさんの向かいに静かに置き、俺を見やる。黙りこくって、しかも向こうから話しかけてくる気配はない。なんなん
だ、と思いかけて、

ひょっとして、俺に?
……ティアーが、客としてもてなしたいと言ったから

 ……今一度、ジャックさんの持つマッチ箱を見せてもらう。何度見ても変わるはずもない、そこに書かれているのは繁華街入り口の飲み屋の名前だ。別に飲み屋に入ったことがあるわけではないので定かじゃないが、そういう店ってヴァニッシュみたいにとことん無愛想で口数の少ない男につとまるものなんだろうか。




 せっかく持ってきてくれたイス代わりなので素直に腰を下ろす。そういえば、太陽の下でヴァニッシュと会ったのはこれが初めてだっけ――なんて、光をまぶした銀髪を見て今さらのように思う。 たとえばアルミホイルのような、黒を混ぜた感じの重い銀色ではなく。ヴァニッシュの銀色は白みがかっていて、単純にきれいだと思った。


 毛が細めなので、髪の量が多い割にはうなじまでの髪型はすっきりと清潔感がある。髪とまったく同じ色をした銀色の瞳は、前髪が短いので目の表情がはっきりと見えてしまう。ただしその解釈が難しい、いつも複雑な表情をしていることに俺はすでに気がついていた。


 思わず見とれてしまい、数秒ほどぼんやり眺めていたら、不審に思われたのかヴァニッシュも俺をじっと見つめてきた。




 感情が見えにくい――と言っても、無感情に見えるわけじゃない。ただ、あいまいなだけで。今の表情で言えば、泣き出しそうにも笑い出しそうにも見えて、表情の動きが乏しいくせにそこには誰よりもたくさんの感情が詰め込まれているような気さえしてくるんだ。


 ついで、というのも何だけど。先ほどティアーが言っていた、ヴァニッシュの耳の有無も確認してみる。頬をさらさらと撫でそうなもみあげが垂れているので

わかりにくいが、確かに人間の耳が確認できる。そういえばティアーも髪型で人間の耳がないのをごまかしていたのだから、ヴァニッシュの髪型も多少なりともその対策としての伸ばし方なのかもしれない。

……ぶしつけなことを、言うようだけど
 たどたどしく、しかし真剣な面持ちで、ヴァニッシュが口を開いた。
な、何?

……君に、頼みたいことがあるんだ。

その、……少し言いにくい頼みごとなんだが

大丈夫ですよ、ヴァニッシュ。

私の知る限り、まず危険はないはずですから。

敦さま、あなたにしか叶えてあげられないお願いなんです。

聞いてあげてくださいますか?

ああ、別に大変なことじゃないんなら

何てことはないはずだよ。

ほら、ヴァニッシュ。手を出しなさい

 ジャックさんにうながされ、ヴァニッシュは遠慮がちに右手を差し出す。どう見ても握手の形にしか見えない動きだったので、俺も右手を出し、ヴァニッシュの手を握る。




 変化は極端ではなく、ゆるやかに起こった。じわじわと、胸の、心臓だろうと思われる部分が熱を帯びたような気がした。つないだ手はおろか、体の他の部分には一切の変化が感じられないのに。

どうですか、敦さま
えーと、なんか、心臓? が、熱いような……
……気分が悪いとか、ないか?
そんな悪い感じじゃないよ
 むしろ、頭の中がやけにすっきりしたような。どちらかというと心地よい方に入る感覚だと思う。
……そうか。ありがとう

 手を離すと、ヴァニッシュは嬉しそうなそうでもないような、ますます複雑そうな表情を見せた。




……銀を持って生まれた者は、生まれながらに魔力を退ける能力が授かっている

魔物は魔力を糧に生きる生物ですから、ヴァニッシュのように銀の退魔を持つ者は、他の魔物に一切触れることができません。

触れた瞬間に、生命維持に必要な魔力があっという間に失われてしまいますから

 口数の少ないヴァニッシュの説明を、サクルドが引き継ぐ。




 昨晩、ヴァンパイアにとどめをさした銀の矢のこと、ヴァニッシュが倒れた豊に触れなかったことなどを思い出した。

魔力を持たない人間が、魔物とやりあえる唯一の手段が銀の道具だと聞いたことはないかい?

確か、ヴァンパイアを題材にした小説を読んだときに、

そんなこと書いてあった気がするけど……


現実に銀の武器を持ってる時にヴァンパイアと出くわしたって、

普通の人間が勝てるとは思わないです

そうそう。その手の仕事をしてるならともかく、普通は体がついていかないねぇ

 同じ考えでいたらしく、ジャックさんは満足げに笑う。




 その手の仕事というのは、ヴァンパイアの捕獲や退治には懸賞金がかけられていて、それを生業にしている業者がいるらしいと知られている。存在だけは有名だが、だからってその業者がどこにいるかというのを知る一般人はそういない。




でも、それが俺と何の関係があるんだ?

 サクルドに話題を振って、話を戻す。


 手のひらに乗るような小さな小さな彼女の体、さらに小さなその顔が、生真面目に引き締められたのを見て、核心に触れようとしているのを察する。


 ごく当たり前に人間の世界に生まれた俺が、一夜にして魔物の世界に巻き込まれてしまったその理由が、きっと、明らかにされるのだろうと。

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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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