50/ 彼女が決めたこと

文字数 3,888文字

 ……水源が。そしてその岸辺に並んで腰を下している、ティアーとセレナートの後ろ姿が見えてきた。背後まで近付いたところで俺はふたりに呼びかける。そんなに大きな声を出したつもりはないのだが、ティアーを驚かせてしまったようで、彼女の肩がびくりと震え上がる。




……どうしたの、敦。

もしかして、迎えに来てくれたのかな?

 何事もなかったように立ち上がったティアーの反応は、ごく普通だ。でも、一瞬だけ、正体不明の違和感を覚えたような……。




ティアー……

いいの、セレナート。

もう決めたんだから。

セレナートが心配することないって

 水に足をつけたままのセレナートの、見上げる瞳は心細げで、見返すティアーの瞳は優しげだった。




 水源を離れる前に、ティアーは調達してきたという靴を俺に渡してくれた。

これ、木靴だよな。

こんなの作ってくれる知り合いがいるんだ

そういう仕事のお付き合いをしているからね。

ただの木靴じゃないよ。

たーっぷり魔力を含んだ木を貰って、

底に魔術式を刻んであるの。

たぶん、はいたら足が軽くなったみたいに感じると思うよ

跳躍力の補助をする魔術式ですね。

敦さまの式を刻んだわけではないので効果に限りがありますけれど

 両手のひらに木靴をのせていると、そこにサクルドが降り立って、靴底にあるという魔術式を確認した。


 このまま魔術の勉強を続ければ、俺もいつかはこういった魔術式を読めるように、描けるようになるかもしれない。そんな風になれるまで、一体どれくらいの時間が必要になるんだろう……。




 セレナートに別れを告げ帰路につくと、いつの間にかサクルドは姿を隠していた。ティアーと合流したから俺の身の危険もなくなったし、何よりこれからするであろう話のために配慮してくれたのかもしれない。




ねえ、もしかしてその靴、歩きにくい? 

それともあんなことがあって、疲れちゃったとか?

 緊張とタイミングを見計らうとので、俺は口をつぐんでしまっていた。そんな態度を心配してか、ティアーがおずおずとそんなことを訊いてくる。




 あんなこと、っていうのは襲撃のことだろう。そんなこともあったな、なんてどこか遠く思い返す。俺自身は何も出来なかったし、その直後があまりにも平和なものだから、すっかり印象が薄れてしまっていた。




 こんなことじゃ、いけないのに……狼のティアーと再会した夜、誓ったじゃないか。ティアー達に負担をかけないように、いつかは自分の力で戦えるようになるんだ、って。そうならないと、とても同じ場所に並んで立っているとは言えないって……。




 はたと、自分が想いを告げることを先延ばしにした理由に思い当たる。涙さんは、誰よりも輝いて見えた。ティアーは、いつでも俺を守ってくれていた。俺は、そんな彼女に見合う自分なのか、確信がなかったんだ。せめて彼女の負担にならないだけの力を身につけてからでなければ、一方的に負担をかけるだけになってしまうんじゃないかって……。

敦? おーい、敦君やーい

 返事がないばかりか足も止めてしまった俺に、数歩先を歩いていたティアーが歩み寄る。


 うつむきがちだった目線をまっすぐ前に向けると、ティアーと真正面から向き合うことになった。一体俺はどんな顔をしてしまっているのか、彼女が少々たじろぐ気配があった。




あのさ、ティアー……
――なぁに?
 俺が真剣だというのを察してくれたのか、ティアーはわざわざ背筋を伸ばし姿勢を正す動きを見せた。
俺、ティアーのことが好きだ

 緊張の極みの中、それでもその重い言葉は、震えることなく声に出せたと思う。




 その後のティアーの反応は、正直、目を背けたくなるような……俺の心には痛すぎるものだった。


 彼女は、何の気なしに首をかしげ、こう言った。

あたしもあなたのこと、大好きだよ。

ヴァニッシュもユイノもエリスもライトもベルも、

みんなみーんな好きだよ。

でも、それがどうかしたの?






 今日はとても天気が良い。ツリーハウス前の広場から覗ける空は、皮肉なくらいに青く澄み渡っていた。今日という日、この場所で流された血と命を思うと、一点の曇りもない美しい空はまるで嫌味のように思える。




 俺はツリーハウスの扉の前に立ちどまり、うじうじと空を眺めて時間稼ぎをした。先ほどエリスと交わしたやりとり、その後のティアーとの結末。エリスと顔を合わせるのが憂鬱だった。




 あえてティアーのことを考えないように、と言い聞かせる中で、ふいに思い出された。去年の夏休みの最中、涙さんとアネキに付き合うと約束した、花火大会の夜。出かける直前に、俺は同じ団地に住む中学生の女の子に呼び出された。




 女の子は俺に恋人として付き合って欲しい、と告白してきた。俺は彼女のことを知らなかったが、彼女は初めて俺の姿を見かけた時から俺に興味を引かれたのだという。いわゆる一目ぼれだ。


 当時の俺は、たぶん涙さんに対する想いを決定的には自覚していなかったのだが、かといって一目ぼれというものに対しても懐疑的だった。見ず知らずの女の子といきなり付き合うなんて出来ない、と、彼女の気持ちを断った。




 出来るだけ、非道な言い方にならないように気をつけたつもりだった。それでも、精一杯の想いを拒絶されて傷つかない人間なんていない。今になって、俺はそのことを痛感していた。


 ……自分が振られたからって急に理解した気になるなんて、俺も大概、身勝手な野郎だよな。なんて自虐をしてみたら少しだけスッキリした気がして……ようやく、俺は小屋の戸に手をかける。




 エリスはこちらを見ていなかった。棒立ちになって窓の外を眺めているようだ。いつも凛とした気高さのある彼女は、ただ立っているだけでも気が抜けない。手足の先までピンと伸ばし、

エルフという種族はね、同じ母神竜から生まれたウンディーネの影でしかない。

私情に流されず、ただ黙々と使命を果たさなければならないウンディーネのために、

彼女達を惑わす要因となる欲望を切り捨てさせた。

その残骸に人格の芽生えたのが、エルフの始まりなの

 語りだす、その口調は独り言めいていたが、おそらく俺に語り聞かせているのだろう。入ってきた戸を閉めて、その扉に体重を預けて聞き入る。




エルフ界にいるエルフが何をしているかというと、

ひたすらにこの世界を監視して、

自分の伴侶とする相手を物色しているのよ。

そうして選んだ男をエルフ界に連れ込み、

たった一度の性交の果てに子を生み落として死ぬ。

今、この世界が続く限り、エルフは延々とそれを繰り返す。

エルフ界という徹底的に匿われたゆりかごの中で、

生まれてから死ぬ瞬間まで色欲と快楽しか持たない。

そんな生き物なのよ

 心を得たセレナートと違って、本来のウンディーネは心を持たない。水源を守るという使命を果たすためだけに存在する。その目的のため、最も邪魔な感情が快楽なのだろう。誰だって、自分が気持ち良くなれることを優先したくて当たり前なんだから。

エリスは、そんなくだらない生き物として生まれたことに納得出来なかった。


こんな連中と同じじゃない、って証明したかった。


だから外の世界へ出ることを夢見てきた。


その夢を叶えるために百年を費やし、祈りを捧げ、外で生きるための魔術道具を作り上げた……




けれど、ヴァニッシュの姿を一目見た時、エリスは知ってしまった。


一目、見た、だけでね。


彼の内面など何も知らないその瞬間に、


心の中心を突き抜ける動揺が走り抜けた。


現実を突き付けられたのよ。


エリスは、散々見下してきた同胞と、やはり同じ生き物でしかなかったということを……。




それを認めるのは、自分の心の芯をへし折るようで、苦しかった。


そればかりか、この想いは決して彼へ届かないと気がついた時、エリスはどこを見たらいいのかわからなかった。


彼のこと、直視出来なかったわ。


こんなにも苦しいのなら、いっそ誇りも何もかも投げ捨てて、

エルフ界へ逃げ帰ってしまおうかとさえ思った。

しなかったけれど。


それをしてしまったら、エリスの生きた全ての時間で信じてきたものを否定してしまうから。




エルフ界の同胞を見下げる気持ちも消えたわ。

彼女達に言わせれば、エリスはつまらないプライドにとらわれて素直に快楽に身を置
けない、哀れな女。

今なら、そんな言い草にも納得出来る。

心というものは決して純潔でなどありえない。

清らかな気持ちと汚れた気持ちはいつだって内包され
て、どんな苦しみも尊いものだわ

 長い長い独白を、俺は口を挟まず吟味するように聞いていた。エリスもそれを望んでいるのだろうと、そう思うから、言葉に出さず頭を働かせていた。




想いを寄せる相手と、心を通わせ合える関係というのは、きっとこの上なく幸せなのでしょうね。

ただし、それが叶わないのが不幸ではない。

報われない想いを悲観して、自分、あるいは相手をおとしめるのがみじめなのよ。

「私達」の場合、叶わないのは相手の生まれ持った種としての性質であって、

決して否定してはいけないものだから

 エリスは最後まで背を向けていて、どんな表情で語っているのかわからない。でも、こんな話を喜んでしているわけがないってことだけはわかる。


 エリスは常に自分のことを名前で呼称して、話す。それは自分の生まれ、親である母神竜を誇るための種族としての総意だ。それに背いてまで、「私達」と強調してくれたのは、たぶん……。




わかってる……

ふられたくらいで落ち込んでたら、

ティアーに心配かける。

沈むのはほどほどにするよ。

ティアーの悲しむ顔は見たくないしな

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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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