88/ 悪夢か安息か
文字数 3,338文字
あまりに躊躇のない、つまらなさそうな口振りでライトは答えた。それはこれまでのやりとりから、何となくは把握していた事実だが。
答える役を取られたトールが、肩をすくめてからこう続ける。
少しの感情も含まない、ぞっとするような冷たい声で、ライトが呟いた。呟く、という控えめな表現自体、豪快な彼には珍しいことだというのに。
俺のライトに対する懐疑的な心中を、もしかしたら音で察しているのかもしれない。どこか残念そうな表情のトールは、俺達の様子をちらちらと探りながら、自身とマージャを拘束していた土の縄をほどいて背負っていた彼をそっと地面に横たえた。
トールの喉からこぼれ落ちた一声には、気まずい響きがあった。
覇気もなく歌い続けるローナの口からは、いつも涎が線を引くように口端から漏れていく。その滴が、見事というか必然というか、彼女が膝枕をしているマージャの額に落ちた。
ゴーグルの中で持ち上げられたらしい瞼によって、滑らかな額にも皺が生じる。ひとしずくの涎は曲面を右側に流れ落ちていった。
意識を取り戻したら、見知らぬ女性の膝枕で休まされている。しかもその女性の顔には生気がなく、ついでに涎まで垂らされる始末。状況が把握できないらしいマージャは、せっかく目覚めただろうにしばらくはその状態のままで動かない。
やがて、そろそろと動かした右手を垂直に持ち上げる。まっすぐに自らの手の甲を見つめること数秒、何事もなかったようにすばやく身を起こした。
ローナから返事がないのは当然として、アッキーは黙って右手を上げるだけの簡単な挨拶のみ、ライトに至っては仁王立ちに険しい顔で考え事をしていて無反応だ。しかしマージャの口元にはいつも通りの笑みさえ浮かんでいる。こっちだって、いくら何でももう騙されやしないけど。
ふいをつかれたせいか、毎度おなじみの作った態度をすぐに切り替えることが出来ず、一瞬の硬直状態が見て取れた。珍しくこいつを出し抜けて、不謹慎ながら気分が良い。
いつも同じ夢なのに、夢の中にいる間は
それが夢だってわからないんだ。
逆に、人間になってからの全てが夢だったんだと、
俺はやっぱりこの苦しみから決して逃れられないんだと、
思いこんでる。天国から地獄に突き落とされるみたいでさ……
マージャの口振りからは、自虐的な気配はかけらほどもない。ただ、ひたすらに落ち込んでいる。深く深く沈み込むような悲しみだけが漂ってくる。
俺からの視線に気がついたのか、こちらに向けて微笑を返す。トールのことだ、俺の心境は音とやらでわかっているのだろう。
おまえがそれを言うのか、と。
生前の透は、死に至る病を持って生まれながら、その苦しみや絶望感を押し殺していた。さも、何でもないことのように見せていた。いつも穏やかに笑っていた。
子供だった透はわかっていなかっただろうが、彼よりも遥かに幼稚だったあの頃の俺にさえわかりきっていた。傍目に見て、それはちっともごまかせていないこと。どうしようもなく不自然だったということが。
この様子じゃあ、あの頃の自分自身を悔い改めた後なのだろう。当時の彼を知る身としては、こんなに喜ばしいことは他にない。今の、元気ではつらつとした姿もそのおかげなのだろうから。
俺達の会話を聞いていないようでいて、真っ先に反応したのはライトだった。出遅れて、俺もトールに疑問を投げる。
トールはにこにこと和やかに話しているが、後回しになっているライトが剣呑な空気をかもしだしているので、出来ればのんびりもそろそろにしておいて欲しいと思う。
そう考えた矢先、トールは表情を固く真面目なものにして、
その苦しみは、今の体で生きている限りずっと続く。
生まれ変わればおそらく、終わる。
生まれ変わって、ゴブリン以外の種族になれば、
今度こそ本当に楽になれる。
だから、ひと思いに殺してあげるのが慈悲なんだって、彼女は言ったんだ
場が、しんと静まり返った。
現時点で十分すぎるほど頭に来ていると思うが、これ以上があるというのか。そんなろくでもない俺の予想はまったく否定されるものではないらしく、トールは満足げにうんうんと頷いている。