88/ 悪夢か安息か

文字数 3,338文字

――それで、キリーってのは何者なんだ? 

あの場所で何が起こったんだよ

キリーはおいらの末の娘さ

 あまりに躊躇のない、つまらなさそうな口振りでライトは答えた。それはこれまでのやりとりから、何となくは把握していた事実だが。


 答える役を取られたトールが、肩をすくめてからこう続ける。




彼の逃げた道から推測すると、

どうやら水源に向かう途中でキリーに襲われたみたいだね。

騒動を察したセレナートが、

アーチのところまで鳥で知らせたんだよ、きっと

あいつを襲って何がしたかったんだよ
殺したかったんだろう

 少しの感情も含まない、ぞっとするような冷たい声で、ライトが呟いた。呟く、という控えめな表現自体、豪快な彼には珍しいことだというのに。


 俺のライトに対する懐疑的な心中を、もしかしたら音で察しているのかもしれない。どこか残念そうな表情のトールは、俺達の様子をちらちらと探りながら、自身とマージャを拘束していた土の縄をほどいて背負っていた彼をそっと地面に横たえた。

 トールの喉からこぼれ落ちた一声には、気まずい響きがあった。


 覇気もなく歌い続けるローナの口からは、いつも涎が線を引くように口端から漏れていく。その滴が、見事というか必然というか、彼女が膝枕をしているマージャの額に落ちた。

ん……?

 ゴーグルの中で持ち上げられたらしい瞼によって、滑らかな額にも皺が生じる。ひとしずくの涎は曲面を右側に流れ落ちていった。




 意識を取り戻したら、見知らぬ女性の膝枕で休まされている。しかもその女性の顔には生気がなく、ついでに涎まで垂らされる始末。状況が把握できないらしいマージャは、せっかく目覚めただろうにしばらくはその状態のままで動かない。


 やがて、そろそろと動かした右手を垂直に持ち上げる。まっすぐに自らの手の甲を見つめること数秒、何事もなかったようにすばやく身を起こした。

やほー。アーチ。えーと、ライト! 

あと知らない人達こんちわー。

で、ここはどこだ?

 ローナから返事がないのは当然として、アッキーは黙って右手を上げるだけの簡単な挨拶のみ、ライトに至っては仁王立ちに険しい顔で考え事をしていて無反応だ。しかしマージャの口元にはいつも通りの笑みさえ浮かんでいる。こっちだって、いくら何でももう騙されやしないけど。




マージャ、夜に寝てないんだって?

 ふいをつかれたせいか、毎度おなじみの作った態度をすぐに切り替えることが出来ず、一瞬の硬直状態が見て取れた。珍しくこいつを出し抜けて、不謹慎ながら気分が良い。




な、なんのことやら存じませんなぁ

とぼけたって駄目だってーの。

こっちにはそういう能力持ちがいるんだから

 あごをしゃくってトールの方をしめしてやる。にこにこと無駄に楽しそうなトールは、マージャに一礼してから、

はじめまして。僕、トール。

よろしくね、マナ

マナ?

あれ、そんな名前じゃなかったっけ? 

変だな、そういう音がするんだけど

 俺はさっきからこいつのことをマージャと呼んでいるし、それをトールも耳にしている。わざとやったのか、それとも真実の音が聞こえ続けているせいで覚え違いをしたのか。

そーいうわけだ。

で、どうするよ? 

マナ君

 そうかまをかけてやると、あっちゃー、などと呟きながらマージャは右手で頭をかく。いよいよ観念したように、切り出した。
……眠ったら、夢を見るんだ
――そりゃあ、そうだろ?
 人間なら、就寝中に夢を見るのは普通のことだ。頻度とか、夢の内容を覚えているかなどは個人差があるだろうけど。
 こちらの反応は特に気にかかることもなかったらしい。マージャは、見るからに神妙な様子で続ける。

俺の場合、寝付こうとすると必ず、同じ夢を見る。

孤島ユークレースにいた頃の夢だ

 その言葉だけで、事の悲惨さが一発でわかってしまった。まじないによって解放されない苦痛を負ったゴブリン族が隔離されている、孤島ユークレース。そこにいた頃といえば、泥のような体で死んだ方がマシと思うような苦痛に苛まれながら、延々と生死を繰り返す。

いつも同じ夢なのに、夢の中にいる間は

それが夢だってわからないんだ。

逆に、人間になってからの全てが夢だったんだと、

俺はやっぱりこの苦しみから決して逃れられないんだと、

思いこんでる。天国から地獄に突き落とされるみたいでさ……

 マージャの口振りからは、自虐的な気配はかけらほどもない。ただ、ひたすらに落ち込んでいる。深く深く沈み込むような悲しみだけが漂ってくる。




だから、眠るのが怖かったのか?
そうさ。ったく、なっさけない話だろ
そんなことないよ
 落ち着き払った、平坦な調子でトールは言う。

それがつらくないっていうんなら、

その方がよっぽど説得力がないって、

僕は思うなぁ

 俺からの視線に気がついたのか、こちらに向けて微笑を返す。トールのことだ、俺の心境は音とやらでわかっているのだろう。




 おまえがそれを言うのか、と。


 生前の透は、死に至る病を持って生まれながら、その苦しみや絶望感を押し殺していた。さも、何でもないことのように見せていた。いつも穏やかに笑っていた。


 子供だった透はわかっていなかっただろうが、彼よりも遥かに幼稚だったあの頃の俺にさえわかりきっていた。傍目に見て、それはちっともごまかせていないこと。どうしようもなく不自然だったということが。


 この様子じゃあ、あの頃の自分自身を悔い改めた後なのだろう。当時の彼を知る身としては、こんなに喜ばしいことは他にない。今の、元気ではつらつとした姿もそのおかげなのだろうから。

だから、キリーは君を殺そうとしたんだよね?
そいつはどういうこった

 俺達の会話を聞いていないようでいて、真っ先に反応したのはライトだった。出遅れて、俺もトールに疑問を投げる。




トール、キリーと話したのか?
うん。とりあえず、逃げてた彼を確保して土の中で眠らせた後にね

う~……悪い、その辺、

あんまり覚えてないや。

助けてくれたんだな

 こういう時、いつもの軽さはどこへやら、妙に生真面目なマージャだった。

いいよいいよ。たぶん、

僕が無理に眠らせたせいで

そうなっちゃったんだろうから

 トールはにこにこと和やかに話しているが、後回しになっているライトが剣呑な空気をかもしだしているので、出来ればのんびりもそろそろにしておいて欲しいと思う。


 そう考えた矢先、トールは表情を固く真面目なものにして、

その苦しみは、今の体で生きている限りずっと続く。

生まれ変わればおそらく、終わる。

生まれ変わって、ゴブリン以外の種族になれば、

今度こそ本当に楽になれる。




だから、ひと思いに殺してあげるのが慈悲なんだって、彼女は言ったんだ

 場が、しんと静まり返った。




はぁ~? 何だそりゃ
 そんな馬鹿な話があるか、と言おうとして、嫌な既視感を覚えて言葉を切った。トールはどこか懐かしそうに苦笑して、
君ならそう言うんじゃないかな、って思った

当ったり前だろ? 

俺達が何のためにわざわざ

エメラードまで帰ってきたかも知らないで、

勝手なこと言いやがって

 死んで生まれ変われば楽になれるなんて考える奴が、今も苦痛に耐えて、忌まわしい種族として同胞に疎まれながらも生きているわけがないだろうに。

第一、マージャがどんだけ苦しんでようが、

見も知らないキリーって奴には関係ないだろ。

何がどうなってそんな発想をして、

あまつさえ殺してやろうなんて考えたんだ

それは……アーチが自分で訊いて確かめるといいよ。

きっと、今以上に「許せない」って思うだろうから

 思いがけないトールの提案に、俺もマージャも一瞬、理解が遅れる。俺より先に復帰したマージャは、おずおずと気の引けた調子で進言する。
直接、って?

だって、このまま放っておいたら、

マージャはおちおちエメラードで暮らせないよ。

話し合うのか戦うのかわからないけど、

とりあえずキリーと話を付けないと、

何も解決しないじゃない

そんで、そこで俺が彼女の事情を知ったら、

確実に許せないって思うってのか

 現時点で十分すぎるほど頭に来ていると思うが、これ以上があるというのか。そんなろくでもない俺の予想はまったく否定されるものではないらしく、トールは満足げにうんうんと頷いている。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

アイコン差分

アイコン差分

せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色