あなた、ヴァンパイアのくせに夜目が利かないのね。
その目はただの飾りなんだ。ハンターにでもえぐられちゃった?
おまけにとんだ方向オンチ。
あれっきり術を使わないのも、どうせ燃料切れなんでしょう
その声だけで、涙さんの勝ち誇った表情が浮かぶような、あからさまな声色だった。
そういえば、俺を一撃で仕留めるつもりだったはずなのに、例の衝撃波は膝より少し上といった高さだった。そりゃあ、人間ならあんな風に足を切り落とされたら出血で長くはもたないだろうけど、確実に仕留めるっていうのとはちょっと違う。
目を失ったのは生前のことさ。お嬢さんこそ、
先走った油断はプラスにならないのではないかねぇ
涙さんが色々と突っ込んだ中で、回答があったのは義眼のことだけだった。まぁ、自分の弱みをべらべら話す義理はないし、ハンターに目をやられたって部分をどうしても否定しておきたいという意地を感じた。
意地の悪い挑発に舌うちすると、ヴァンパイアはなぜかすり足で後退していく。涙さんから目を離さないまま、その背中が俺達に近づいてくる。
地面のこすれる音の止まったのは、豊の傍らだった。警戒を崩さないまま、慎重に腰をおろし、先ほど落としたマントに手を伸ばす。
その刹那、強い風もないのにまたもマントが宙を舞った。
ヴァンパイアが事態を察するより、豊の手が奴の顎をしっかりとつかみ、高く掲げる方が早かった。
豊の両の足は何事もなかったかのように、しっかりと地面を踏みしめている。右の膝から下は素足になっているが。俺は喜びよりも驚きが先立ってしまい、慌てて後ろを確認する。落とされた豊の右足は、そこにあった。偽物ということもなさそうだ。
小柄なヴァンパイアは地上から遠く離されて、地面を求めて無駄に両足を振って暴れる。
思ったより再生が早かったね。
たったあれっぽっちの時間稼ぎでなんとかなっちゃった
表情の険しさは相変わらずだが、声はほんの少しだけくつろいで、涙さんが豊の側へ寄る。
よしっ。いるんだろー、ヴァニッシュ!
矢を一本分けてくれー
もがくヴァンパイアの頭が一度だけ大きくのけぞり、と思ったら途端にうなだれる。数秒後、その姿は爪先から順を追って塵となり、夜闇に溶け込んでいった。
最後に、ヴァンパイアの頭に突き立ったと思われる銀色の矢が音もなく地面に落ちて、俺は奴との戦いが完全に決着したことを知った。
矢を拾いに進み出てきたのは、銀色の髪と瞳の背が高い男だ。線の細い割には柔らかそうな肌の輪郭で、銀の瞳には高貴さより幼い表情が強く見える、何だかアンバランスな青年。
まさか、とは思ったが、俺は闇から姿を現したのが先日会ったヴァニッシュとは別の存在だったことに密かに安心した。ただでさえ非日常的な事態を立て続けに見せられているんだから、そろそろ奇怪な話はごめんだ。
……ロージーを手にかけなかった豊が、
今さらこんなところで手を汚すことはない
謎の復活を遂げて元気に振る舞っていた豊が、ふいに深刻な顔をして黙りこんだ。俺の動き出すチャンスは、この時だけだった。何せ俺だけが把握していない事情で、物事がさくさく進んでしまったのだから。
どうしたらよいのかわからないので手のひらの上のサクルドと小瓶をそのままに、豊に歩み寄る。と、目前で豊が尻餅をついた。
う~ん、さすがにまだ全快ってわけにゃあいかないみたいだ
ごめんね豊……あたしがもっと早く気づいてたら、
殺されずに済んだかもしれないのに
いや……相手がヴァンパイアなら、落ち度は俺にあるだろ。
あーあ、何のためのダムピールなんだか
あ……やっぱり人間てヴァンパイアくらいしか知らないんだねー
苦笑する涙さんの表情に、ようやくいつもの彼女っぽさが窺えそうな、淡い希望を垣間見る。しかしその言葉、それ自体には日常を否定するキーワードが含まれていて、俺の混乱した意識をますます苛む。
……とりあえず、話は後だ。
豊の容体をジャックにみせないと
……こいつも使わせてもらうか
かがんで豊の容態を確認しながら、ヴァニッシュは地面に落ちたままだった、今は亡きヴァンパイアのまとっていたマントを手に取り、豊に羽織らせる。
心底嫌そうな顔をしてぼやく豊、それをたしなめる涙さん。じっくりと観察した上で、豊は強がっているだけだと断言するヴァニッシュ。その空気は何だかとてもなじんでいるというか、あうんの呼吸を感じる。
豊は勢いこんで立ち上がるものの、次の瞬間にはもう力を失ってくずおれる。とっさに、涙さんがその体を支える。
でも、できないことないし。
この中じゃあ、あたしがやるのが一番楽なはずだもの
涙さんがそう主張する根拠はいまひとつわからない。ヴァニッシュは細めに見えるが体力がないということはなさそうだし、それに――
今となっては、体力面で彼女に勝ってる自信はかけらもないんだけど、俺も男だ。好きな女の子に体を張らせるのは見ていて心苦しさがある。
無理しなくっていいんだよ、敦君?
あたし、これくらいならなんてことないんだから
いいえ、ティアー。
ここは敦さまにおまかせしましょう
俺の手のひらから音もなく舞い上がり、サクルドは小さな手で涙さんの額を撫でる。
男の人には、少しくらい無理をさせた方がいい場面もあるんですよ。
ねぇ、敦さま?
なんて、当人を差し置いて話を進めていたわけだが、豊はいつの間にか意識を失って地面に倒れていた。返事がないことにさっさと気付くべきだった。
険しい顔で呟くヴァニッシュだが、彼はどうにも口ばかりで自ら動く様子がない。口には出さなかったが、それが何だか気に触った。