92/ ユイノ

文字数 3,598文字

そこまでだ
 おそらく、最強の戦闘種族たる彼女は、こんなにも圧倒的優位にあっても、唯一開けたままの背後に警戒を怠らなかっただろう。しかし、白い空から降ってきた乱入者の存在はあまりに唐突で、さしもの彼女も対応は難しかった。
ユイノか
いかにも
 たった一言に、感情というものをひとかけらほども感じさせない冷酷な響き。それだけで、目の前に降って湧いた人物が、見た目のままによく知る友人ではな
いことがわかってしまう。体は豊のものだろうが、中身は、キネ先輩の一件でその片鱗をうかがわせた、得体の知れない何者かが取って代わったに違いない。

正気か。私ごとき小物を相手に、

源泉竜より授かりし封滅の式を使おうなどと

我が器は主たるソースを守るためにある。

その危機とあらばこの力、出し惜しみするべきとは判断しない

 豊は、キリーの背中に手のひらを押しつけている。その指先が赤黒く染まったかと思うと、奇怪に伸び、うねりながらキリーの背中を突き破った。

結論は急いだ方がいい。

封滅の式に達しなくとも、

タイタンとしての矜持を失うことになるぞ

……わかった。ここは、退こう

 その脅しが決定打だったのか、キリーは宣言した。続けて、トールの首を握り潰していた手のひらを開き、マージャを狙っていた凶器の指を元の形に戻す。左右の腕を同時に下ろす、その仕草が妙におしとやかなところがなんだか滑稽に映る。




 抗う気勢をなくしたキリーを、豊は解放しない。ただし、改めて彼女に施した捕縛の魔術は俺でも知っているような初歩的なものに変えていた。豊の瞳の色と同じ、深緑の光の帯が、キリーを縛り上げる。


 キリーの背中に埋まった自らの右手を引き抜くのに、豊は彼女の肩に左手をかけて、思いっきり踏ん張りをきかせる必要があった。そうして抜いた右手だが、第二関節より先の指はキリーの中に残ったまま。




待たせたな、ライト
 突発的な上に、あまりに衝撃の大きい光景を前にして、ひょこひょこと決まり悪そうに歩いてくるライトの存在に俺達は気付いていなかった。
待ってない、待ってないぞ別に

どちらでもいい。

三百年もこれの父をやっていて、

しつけが足りないのではないか

ふん。源泉竜配下の式竜さまのくせに、

所帯じみたことを言いやがる

 他の種族を圧倒的に引き離す戦力を持つ、天下の巨人さまが思いっきりふてくされている。

帰るぞキリー。今回ばっかりは、父親のよしみだ。

二度と間抜けな考えは起こさなくなるよう、きっちり付き合ってやる

 それはまぎれもなく、彼女の父親としての態度だった。




 まるで狩りでしとめた獲物を運ぶように、腹からくの字にされてライトにかつがれ、騒動の元凶であるキリーは退場した。


 それを見計らってか、豊の中の誰かは俺達に向き直る。いや……焦点の合わないまっくらな瞳はおそらく、まっすぐ俺だけを見据えていた。




お初にお目にかかります、ソース。

アーチとしてのあなたはかつての盟友でもありましたが、

いずれにしろ、今は我が主であることに変わりはない

 正視するのがはばかられる右手を無視して、左手を滑らかに胸元へ運び、うやうやしくかしずく。




助けてくれてありがとう。

でも……悪いけど、

俺はあなたには興味がないよ。

豊を返してくれ

ま、って
 けほけほ、喉を押さえてせき込むトールが、かろうじて絞り出した一言。空いている左手の伸ばした方向から、その言葉がユイノに向けられたことは明らかだ。
ユイノの力を使う時、豊君はどうなってるの?
 無感情の面を上げて、何事もなかったように立ち上がる。

肉体の宿主たる人間が封滅の式を用いる時、我が意識は目覚める。

その時点で肉体の主導権は我が握ることになり、

元の人格は二度と目覚めない、本来なら。

気の持ちようなどとあいまいなもので、

我から意識を奪い返したのは、

この長矢豊をおいて過去になかった

 不可能とされてきた、レムレスの封印。今回は俺達を助けるために、ユイノの力の片鱗だけ使ったということだろうか。


 ユイノの返答に何を思ったのか、トールは気まずそうな感じで――ちらちらと、豊と俺の方を落ち着きなく見返しながら、続けた。

……あの、ゆうの様のこと、覚えてる? 

あの時も、今みたいに、ゆうの様の意思はなかったの?

 感情のうかがえない顔が、トールを見つめる。たっぷり数秒は間があって、もしかして、真剣に考え言葉を選んで答えようとしているのだろうかと思った。

黒の骨竜を封じた際、肉体を動かしたのは我だ。

しかし、かの竜に封滅の式を使うと決めたのは、

他ならぬ彼女自身だ。……これで、満足か?

 トールが黙って頷くのを見届けると、ユイノはゆっくり目を閉じる。次の瞬間にはもう、豊の眉間に深く皺が刻まれ、苦痛に顔が歪み、体が震えだした。そのまま、先ほど跪いたのとよく似た姿勢で、しかし岩の地面に膝を着く。




あんの野郎、人の体だと思って好き勝手しやがってっ……
 震源が、右の手首を指が食い込むほどにおさえつけている左手にあることに気がつくと、自然と状況を察することが出来る。
痛むのか?

ああ……ユイノの力を使った時だけは、

俺はヴァンパイアじゃなくなるから

 ヴァンパイアには痛覚がない。豊にとって普段は良いことばかりじゃないあの体質が、肝心な時は機能しないなんて……。

――こういうことになってなけりゃあ、

一発ぶん殴ってるところだぜ。マージャ

 痛みに耐えながら、豊は、マージャを見上げる顔に嫌悪を表した。
みんな……ごめん。こんな目に遭わせちまって……

……正直、いまさらすぎんだよ。

おまえに面倒かけられるくらい。

それを迷惑だと思うんなら、

俺は今頃ここにいやしない

 こいつに付き合うと決めたのは、他ならぬ俺自身だ。そのせいで騒動に巻き込まれたからって、マージャを恨むのは筋違いというものだろう。

それより、これでいよいよ最後か? 

おまえの隠してた事情は

……キリーの言ってたのと実際は、ちょっと違うけどな

 これまでとは明らかに違う、本当に、しつこいくらいに重ねた無数の仮面、全てはぎとった。素っ裸にされた心細さ、いたたまれなさをひしひしと感じるその態度から、俺は、今度こそこいつの全てが明らかになったのだと実感した。




信じてもらえるかわかんないけどさ。

俺、ゴブリン族に生まれて、

例のまじないを受けるまでに、

人を殺したことはないんだ。


あのソースみたいな混血でもなく、純血のゴブリンなのに、

同胞達のように殺戮を快楽と思う衝動がなかった。


今と同じで、いつか……俺も生粋のゴブリンのように、

殺すのが楽しく
なったらどうしようってことばかり考えてた。

それは今の自分が、ゴブリンの本性に食われてなくなっちまうってことだから。




あの地獄から解放されて人間の体に生まれ変わった時、

本当に、わかったような気がした。

たったひとりの人間として生きてる体が、

どんなに大切なのかって。 

それを自分のたのしみのためだけに、

踏みにじるように当たり前に殺してまわる……

そんな風になっちまうんなら、やっぱり、

俺は生きてるべきじゃないだろう?

それは……
そういうことなら

 反論しようとしたけれど、同時に何やら言い募った豊に気を取られて口を閉じる。計り知れない痛みに耐えながら足の力だけでどうにか立ち上がった豊の顔は蒼白だった。




もしおまえが、くだらないゴブリンなんかに成り下がった日には、

俺がおまえを殺してやるよ。どうせ俺は転生しないんだし

 その言葉には、疑いようもなく、本心の気遣いめいた感情が込められていて。俺は開いた口が塞がらなかった。


 それに対する、マージャの答えは。

――そうだな。そうしてもらうのが一番かもな
 普段、相性の悪い豊とマージャのやり取りとは思えない。これまた明確な感謝を込めて、はにかむように呟いたマージャに、
だぁーもう、おまえらいい加減にしろぉ!
 ついに俺は怒髪点を超えてしまい、感情のままに金切り声をあげていた。

何だってそう、考えることがいちいち後ろ向きなんだよ! 

どう転ぶかわからない先のことでうだうだ悩みやがって、

そんなことに使ってる時間があるなら、 

自分の望みを果たすことを考えろよ! 

おまえの一番の望みは、殺されることじゃないだろ? 

殺されたくないし殺したくない、だから、

ゴブリン族の呪縛から
解放されたいんじゃないのかよ!?

いや、そうなんだけどさ
 何か言い訳じみたことを口走りそうなマージャを無視して、俺は続ける。

いいか、この現人源泉竜ソース=アーチが、この力にかけて望みを果たしてやる。

おまえらの思い通りにはさせないからな!

 怒りの勢いに任せて、友人に、見当違いの宣戦布告をしてしまう。もうどうにでもなれ。
なんか……ソース=アーチって語感が微妙だね

 あまりに空気を読まないトールの発言に、知り合ってからこっち、本気でこいつを小突いてやりたいと思ったのはこれが初めてだった。




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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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