⑥ 夜道(前)

文字数 2,886文字

 どうしてここに、涙さんがいるんだろう。そもそも、誰かが歩いてくる気配さえ、これっぽっちも感じなかったのに。


 もちろん別れが惜しくなかったわけじゃないが、この状況下にあって誰の顔を最も見たくなかったかといえば、それは彼女だったっていうのに……。

その味気ない腐肉の匂いは……

ワ―・ウルフか。

獣に戻る余裕もなかったのか?

人間だからって、あなたのような外道に遅れはとらないわ

 怖れのない声で、涙さんは毅然と、見るからにやばそうなヴァンパイアを相手に言い放つ。いつものように軽く跳ねるみたいに歩くことはなく、力強い足取りで進み出て、背中に俺をかばうような位置を選ぶ。


 いつもの彼女と、あまりにも違う。まるで別の何かであるかのよう――危うくそんな風に思いかけたが、その華奢な背中はどこか頼りなげで、普段の涙さんと変わりない。

よくも豊を殺したわね
 涙さんがヴァンパイアにぶつける声は、怒りとも憎しみとも哀れみともつかない、とらえどころのない響きだった。

ヴァンパイアが人間を糧にするのは肉体を存続させるため。

それを理解していない同胞がいるとはな

糧になんかしてないじゃない。

食べるためじゃないんなら、

人間に手をかけるのはただの人殺しよ

随分と潔癖なものだ。と、いうことは……

おまえはエメラード側なのか

答えるつもりはないから、好きなように考えなよ。

どちらにしても、ここであなたを始末しなきゃならないのは変わりないし




涙さん……戦う、のか?

 涙さんとヴァンパイア、揃って臨戦態勢になってから問いかけるには間抜けすぎる質問かもしれない。


 涙さんは戦えるのか? 何者なんだ? ヴァンパイアがワ―・ウルフだ魔物だと言っているのは、涙さんのことなのか?




 涙さんは道を挟む左右の森をざっと見回す。それでも前方の相手に注意をはらうことを忘れず、ヴァンパイアも黙ってその行動をうかがっている。

敦君、左手にひときわ幹の太い木があるの、わかる? 

あそこに体を隠して、ことが済むまで絶対に出てきちゃダメだよ

 確かに、高さこそ他より抜きんでているということはないが、やたらとがっしりとした幹の木が一本。俺はあまり大柄ではないから、両肩よりさらに余裕のありそうな、たくましい木だ。


 背中を向けたまま、彼女は相手に聞かせない声色で呟いた。

……敦のことお願いね、サクルド

 俺は木の幹に背をつけて数秒、心を無にして沈黙していた。――何やってるんだろう、涙さんが、人間を一息で殺せる魔物を相手にしようとしているっていうのに。たとえ涙さんが何者だとしても、こんな風にひとりで戦わせるなんて最低だ……そんな想いで、俺はぐちゃぐちゃに潰れてしまいそうだった。


 しかし、場の動き出す様子がなかったので、ついにほんの少し身を乗り出して、涙さんの無事な姿を確認した。


 宣戦布告を交わしたものの、両者は揃って、動こうとしない。




 先にしびれを切らしたのは、ヴァンパイアだった。ゆっくりと両手を腰の高さに上げて、何もない手のひらを広げたまま、何かを投げるような動作をする。何かあるのか何もないのか、俺にはさっぱりわからないが、ともかく涙さんは何かをよけるような動作で、左に二度、跳躍した。あまり広い道ではないため、森に体を突っ込む形になる。




 その時、俺の頭上の木の葉が不可視の衝撃を受けてはじけ、ぱらぱらと俺に降り注ぐ。


 二つ目の衝撃は、涙さんの近くの木の幹に当たり、その肌をえぐれさせていた。その様子を見届けたところで、涙さんは特攻をしかけた。




 森を通って一気に距離を詰めた涙さんは、左手をヴァンパイアへ袈裟がけに振りおろす。ヴァンパイアはわずかに後退し、涙さんの手は届かなかった。ヴァンパイアのまとうマントの首元の結び目だけを切断して、黒い布が宙に遊ぶ――今も思い出す、彼女の手の爪はいたって普通の女の子のそれだったはずなのに――倒れている豊の身体の上に、ふわりと舞い降りた。




 よけることができた割には、何が不服なのか、ヴァンパイアは忌まわしげに舌打ちをする。涙さんはといえば、豊の身体を踏まないように気をつかったのか、一瞬バランスを崩した。それでも、ヴァンパイアが動く前に再び、奴に飛びかかっていく。




 涙さんは両手で交互に切りかかる。ヴァンパイアはそのスピードについていくだけでやっとのようだが、確実に涙さんの腕をはじく。相手は涙さんと比べてもなお小柄なので、涙さんも懐に入ることができず、お互いに一進一退という感じだ。


 ようやく涙さんの一撃が奴に届き、右頬に三本の赤い線が斜めに刻まれた。お返しとばかりに、ヴァンパイアの腕がひときわ強く命中し、涙さんはかなりの距離をはじき飛ばされた。

涙さん!

 こらえきず、叫ぶ。涙さんは無事だった。ヴァンパイアとの距離を開けられはしたが、しっかりと両足で着地する。ふりだしに戻り、両者は黙して対峙する。




 この時、俺ははじめてヴァンパイアの背中を見た。俺の前で奴に立ちはだかった涙さんと同じように、その背後は無防備だった。当然だ、俺が立ち向かうなんて夢にも思わないだろうから。


 ……ひょっとして、この立ち位置は、一度限りのチャンスなんじゃないか?


 第一――涙さんが俺よりよっぽど強いってことはわかっているけど、だからって――好きな女の子を強大な魔物と戦わせて、指をくわえて見ているだけなんて。




分不相応なことを考えないでくださいね

 光のない世界が、前触れなく、発生源もわからず控えめな光に包まれる。晴れやかな日のこもれびの中にいるような、淡く緑をはらんだ不思議な光だ――こんな事態でなければ、それなりに感動できたのかもしれないが。


 よく見たら、光の源は俺の上着の下からだった。そこにあるものといえば、涙さんのくれた小瓶のお守り――


 紐を引いて服の下から出すと、出てきたのは小瓶だけではなく。光を放っているのも小瓶の中の水だけではなかった。




 そいつは不格好に小瓶に抱きついているので、小瓶ごと手のひらの上に乗せてやる。


 自分の目の高さまで持ち上げてじっと見つめると、手のひらの上の小さな小さな女の子は、どこか照れくさそうに見える笑顔で。


 髪の毛は足首に届きそうな長さで、持て余しているのかところどころ紐のようなもので結わえている。髪も瞳も衣服も、夜の中でも色あせない鮮やかすぎる新緑の色だ。




君は……

わたしはサクルドです、敦さま。

今後ともよろしくお願いします

 小さな頭を下げると、大げさな動きで長い髪が揺れる。どうでもいいけど、いきなり敦さまなんて呼ばれるのはちょっとくすぐったい。

それはそうと、敦さま? 

あちらのヴァンパイアはそう強大な相手ではありませんけど、

今のあなたでは足手まといにしかなりませんよ?

だけど……彼女だけを戦わせるなんて

大丈夫。あなたなら、これからすぐにあの子を追い抜きます。

だから、今はわたし達を信じてください。

いつか必ず強くなって――そうしたら、きっとティアーをお守りください

 そう言って、サクルドは涙さんの方を指さした。




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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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