84/ 前途多難
文字数 3,266文字
エメラードへの二度目の航海は、今年の春先、かの島への初めての航海と比べれば大いに気楽になった。俺がソースとして力を使うようになって数ヶ月は経過しているし、おまけに今回はレッド・フェニックスが護衛についている。ここを襲撃しようなどという命知らずな魔物は稀少なはず。
かといって、見張りも立てずにみんなで仲良く就寝、などと出来るはずもない。最大に警戒するべきである、アクアマリンに船が着いている時は全員で起きていて、それ以外はおよそ六時間交代、ふたり一組に別れて一組は眠り、もう一組は起きていて警戒にあたる。
戦力を分散させるため、俺と豊、シュゼットとマージャがペアになると決めた。見張りのうち一人は廊下に出て扉の前で、もうひとりは個室内の窓から外の警戒にあたる。シュゼット達はどうしたか知らないが、俺と豊の間では、俺が室内、豊が廊下の担当という取り決めになった。これは豊が主張したのだが、結局狙われているのはソースである俺だけなので、眠っているとはいえ他にふたり、常に一緒にいられる室内の方が安全だろうからって。
およそ二日の航海で、話し相手もいないのは正直言って退屈だ。……まあ、自分だけの時間が過ごせるのも今後は限られてくるかもしれないし、ある意味ではゆっくり出来る絶好の機会かもしれない。なんて考えていた、その時だった。
がば、と、衣擦れと布団を押し退ける音が、やけに大げさに耳に障った。その方向を見ると、マージャが身を起こしただけだとわかってひとまずは落ち着く。しかし、安心、というわけにはいかなかった。マージャの様子がおかしかったから。
満月の魔力にあてられた翌日、俺には及びもつかない苦痛にさいなまれていた時にさえ、軽い調子で話そうとつとめていたマージャ。今はその片鱗さえうかがえない、余裕のなさを隠せない様子で、布団をかぶった。
……こいつ、まだ何か隠していやがるな。そんな気配がひしひしと感じられる。
まぁ、いいや。俺に対してはともかく、ベルやエリスに隠し事が通じるとは思えないし。
四百年前のソースによってかけられたまじないから――泥のような肉体に拷問のような苦痛を受け続け、死んでも解放されることなく同じ体に転生する――
マージャと、ゴブリン族を解放する。そうすると決めて、俺達はエメラードへ帰ることにした。とりあえず、博識かつ冷静なエリスの意見が欲しいし、時期的に当時のソースについて知っていそうなライトからも話を聞きたいところだ。だけど……。
フェナサイトの各地にライトが建てた館には、エメラードのベル達が拠点にしているツリーハウスに伝言を送ることが出来る、魔術式が刻まれている。それを使って、マージャのこと、エメラードへ帰ることなどこちらの事情を伝えた。後日、返ってきたメッセージは。
エメラードへ戻るのは構わない。
マージャとやらに関して協力する保証はしない
実はこの前夜、魔術式を使おうとした際に、豊からもこんな忠告を受けた。
ゴブリン族がソースのまじないで滅んだことで、
人間にとっては最悪の殺戮の時代に一応の区切りがついた。
魔物にとっても、同胞とも思えない外道がいなくなったって喜ばれるようなことだったんだ。
もしもゴブリン族のまじないが解けたとしたって、
復活したゴブリン族が善良な性格に変わってて
おまえに感謝するとは限らないぞ。
むしろあの頃の性格のまま復活して、
四百年以上前に連中が当たり前に行ってきた殺戮を
今の世に持ち込むかもしれない。
おまえのやろうとしてるのは、
知られたら全ての人間と魔物を敵に回しかねないことなんだ
豊の言うこいつ、とは。最終的には歩くのもままならない状態になって今はシュゼットに背負われている、マージャのことだ。そのマージャはひらひらと手を振り申し訳程度の謝罪を述べる。
本名のはずがないわ。
マージャというのは、
ゴブリン族の最後の族長、
女王マージャの名前だもの。
彼女は四百年前、ソースが施したゴブリン族へのまじな
いの生き柱とされた。
まじないの効果自体からは逃れられたものの、死ぬことも眠ることも叶わず、
孤島ユークレースの洞窟に張り付けにされて今も生き続けている。
あなたがマージャを名乗るのは、
自分がゴブリン族であることを名乗るだけでわからせるためね。
その名を聞いて、ゴブリン族を思い出さない魔物はいない、
と、そう思ったのでしょう。
残念ながら、五百年以上エメラードにあって他の魔物との
交流もない魔物には、ゴブリン族が滅んだことを知らない者もあるでしょうけど
ベル達との関わりの長いオルンが、アクアマリンやフェナサイトのことを何も知らないとは考えにくい。それに、今にして思えばオルンは、豊が魔物の中で特別な意味を持つユイノの名を告げた時も取り立てて反応はしなかった。他人の事情ってものをいちいち気にしない性格なんだろうな。
エリスの口調、態度には、例の魔術式からのメッセージから予感していた冷たさは今のところ感じない。
マージャは、エリスの言葉に思うところでもあったのか、シュゼットの背中で珍しく真剣に考え込むような顔を見せていた。
とりあえず、ユイノ。
この陽気の中、ご苦労だったわね。
これからマージャの身体について、直接確かめたいことがあるの。
アーチ、あなたにも話があるから、同行してもらえるわね。
そういうことで、皆で小屋へ上がりましょう
てきぱきと指示を飛ばすエリスの姿に、ああ、エメラードに帰ってきたんだなぁと感慨深い心境になる。そして、俺もつっこみたいところを豊が先に指摘してくれた――俺も豊も、ベルの安眠を妨害するなんて寿命を縮めかねない行動に、なすがまま同意するわけにはいかないからな。