45/ 魔物達の使命

文字数 4,294文字

 ……それにしても、暇だ。




 これまで空いた時間があればエリスかライトの指導を受けていたのだから、こう何もすることがない一日というのは随分久しぶりだと思える。




 横穴の出口から足をぶら下げるように腰かけ、豊と世間話して時間を浪費する。眼下には洞窟内いっぱいに、魔物達の宴会の様子が広がっている。


 滝の方へつながる通路に、ティアーと、彼女より頭ひとつ分くらい小柄な少年の姿が見えた。少年の背中からは二対の、白い、大きな腕が生えている。形状からして、腕っていうよりたぶん、あれは骨だ。彼の背丈より大きな骨。エリスがエルフの体の内側に隠し持っている骨を思い出すけど、あれと似た仕組みだったりするのだろうか。




 その、骨の腕が、二本揃って手招きするジェスチャーを見せる。

ちょっと、行ってくる
知り合いか?
これを作った魔術師だよ

 豊が今も身に付けている、ヴァンパイアの保護着である黒と赤のローブをしめす。そのまま飛び降りると、どういう調整をしているのか、少年の目前にぴったり降り立つ。


 背中に今日の食材を背負っているらしいティアーは、手を振りながらこちらを目指して駆けてきた。





あの、シュゼット……

お願いがあるの

何だ

ヴァニッシュが川岸に座って見張りをしているんだけど、

さすがに嵐がきたらあんな場所にいると危ないよ。


ベルのところに帰っていい、

って言ったんだけど動こうともしないの。


だから今夜、ヴァニッシュも

ここにいさせてもらえないかな……

 ヴァニッシュがティアーの言うことを聞かないなんて珍しいな。ティアーに限ったことではないが、ヴァニッシュは基本的には従順で、仲間の言うことに逆らったりはしないのに。

下の連中は煙たがるだろうから、置くとしたらやはりここか。

私は別に構わないが、そもそもこのムシュフシュが

ヴァニッシュをここへ入れるのを拒むのだ

お願い、ムシュフシュ!
 自身の顔の前に両手を合わせ、ティアーは必死になって頼み込む。ムシュフシュは無言で、じっとティアーを見つめる。喋っているのを見たことがないし、獣らしく口をきけないのかもしれない。ティアーが狼の姿なら会話もできるのだろうか。
 ムシュフシュは、感情の見えない淡泊な表情をしているが、その瞳から力を抜かない。隙がなく、目を合わせているとプレッシャーを感じさせる。

条件として、狼ではなく人のかたちで来い、と。

私も一度は顔を見たいと思っていたところだ。

迎えに出よう。敦、そなたもだ

あたしは?

せっかくの肉を腐らせるつもりか? 

下の連中に火を借りて準備しておけばいい

えー……シュゼットの火でやってくれた方が美味しくなるのになー

ティアー……私を便利な道具と同一視されるのは、

友として寂しく思うのだが

そっか、ごめんね。

そんなつもりじゃないよっ

 ……シュゼットはずっと毅然とした態度だったが、今のやりとりは少しだけ、見た目相応に女の子っぽかった気がする。
敦、背に乗れ
は?
そなた、単身でここを下りられないだろうが
 言いながら、シュゼットは屈んで両腕を背中に回す。つまりおぶさる形になるってことか?
 自分より小柄な女の子におんぶされるのかー、なんて思ったのは一瞬のこと。そういった羞恥心は、魔物達と暮らす中で明らかに薄れてきた。はっきり言って俺は仲間内じゃあうんと足手まといなんだから、細かいことをいちいち気に病んでる場合じゃないんだ。

 助走もつけずに足のバネだけでかなりの跳躍が可能なのは、魔物の特権だ。加えて、横穴から跳び出たシュゼットの背につかまっていると、長い浮遊感があった。ライトにかつがれて長距離の移動した時にはこうではなかったし、エリスと飛び降りてから着地するまでの一瞬の感覚ともまた違う。シュゼットは確かに、宙を浮いて自由に動けるようだった。

 入った時と同じような、自動ドアの要領で滝が小さく裂けて出口が現れる。シュゼットはここで待つつもりだと言い、俺に外へ出るようあごでしめす仕草をする。

 滝から表へ出ると、雨こそまだないものの空は灰色に薄暗く、しけった風が木々をざわざわと蠢かせ始めている。右手側の川岸、小石の敷き詰まった地面に腹を着けた狼のヴァニッシュが毛並みを風になぶられている。その背中には、彼の衣服が結ばれて固定したままだ。
 俺達の接近がわかっていたのだろう。ヴァニッシュの視線はあらかじめ、まっすぐ俺をとらえていた。
 俺は滝の轟音に負けないよう名前を叫びつつ、ヴァニッシュをめざして等間隔の岩の足場を跳んでいった。

ヴァニッシュも滝の中に入っていいって、シュゼットが。

あ、彼女のこと知ってるか? 

フェニックスの

 すみやかに、狼の首が頷く。これから人間の姿になるよう指示するのだから効率がいいだろうと、俺は彼に確かめるより先に狼の背中の服をほどきにかかる。

ただし、人間の姿でいるように、ってさ。

だからこれ着て、中に入ろうぜ

 次に頷くまでに、ヴァニッシュは若干の間を持った。俺が思わず首をかしげそうになったまさにその時までもったいぶって、ヴァニッシュは俺の手にある自分の服を口にくわえる。そうして背中を向けると、人間の姿に変わった。

 最初に変わるのは、背中。毛並みが溶け込みなじみながら、人間の肌色が現れる。その流れは両手足につながり、最後に狼の頭が人間のそれに変化する。四つんばいの体勢で、数秒前までそこにいた狼が消え去り、人間の姿が現れる。
 ヴァニッシュに関しては、必要があれば俺の前でも人間から狼、狼から人間へと変わる場面を何度もさらけ出している。けれど、俺はティアーのその場面を見たことがない。別に見たいわけじゃなし、いいんだけどな。

 着替え終えたヴァニッシュは立ち上がると、無言で俺を見下ろしてくる。何か言いたそうな気もするし、そうでもないようにも見える。どことなく、心細いようにも何かを覚悟したようにも見える顔を……要するに、いつものヴァニッシュらしい、相反してよくわからない表情だった。
そういや俺、ヴァニッシュに聞きたいことがあったんだ
 我ながら唐突だが、このままじゃ埒があかないので、俺から話を振ることにした。

……何を

ヴァニッシュって、人間の島での名前、なんだったのかなって。

……さっき、ティアーの名前の理由、教えてもらったから

……もしかして、気に病んだか。

海月涙の名前について

いやさ。こういうことになるんなら、

もっと真剣に考えた方が良かったかなって

……狼は、物を持たない。

それでも持ち続けられるのは記憶だけだ。


ティアーにとって、敦といた日々は何物にも換えられない大切な宝物だった。

名前だって同じだ。


だから、その名前が人間の社会にあってネガティブな意味を持つとしたって、

ティアーにはどうでもいいことなんだ

 確かに、彼女は「よくからかわれる」と愚痴をこぼしはしたものの、海月涙という名前に不満を持ったことはない。大切な人に貰った名前だから、と、かつて話してくれた。その時の俺は当然、その名前は両親がつけたものだと思っていたんだけど。

……俺の、人間の島での名前は、

海月 望(みつき のぞむ)」だ。

勤め先には面白がる人もいた

望って、自分で考えたのか?

……いや。エリスが考えてくれた。

彼女は俺のことを、よく知っているから

 ヴァニッシュのことを理解していたら、発想として「望」って名前が浮かぶってことか?

……俺は、ただひとつの目的のために生きている。

他には何も望んでいない

それって……
 風の勢いが、空の暗雲が、濃密さを増していく。嵐が刻一刻と深まっていく。

……ティアーの生涯が、幸せなものであること。

そのために、彼女と君が安らかに過ごせるよう守りたい。

そのためだけに俺は生きている

それじゃあ、自分のことはどうだっていいっていうのか?

……俺にその資格はない。

かつて、かけがえのない者に傷を負わせてしまった。

そうして手放してしまった大切なものを、

ティアーは取り戻させてくれた。

だから俺の全ては、彼女の幸いのために捧げると決めた

少しでもいいからさ、自分の幸せについて考えてみたことないの?
……必要ないのに、考える意味があるのか

だって、いくら相手の幸せを願ったって、

それがどんなものか知らなかったら

どうしたらいいかわからないだろ?

 俺の意見に応えるように考え込むヴァニッシュは、やがて困ったように、しかしかすかに思い出し笑いのような表情を見せる。きっと、何かいいことでも思い出したんだろうか。

……人間の島では、誰かに触れられても気にしなくてよかった。

人間も大なり小なり魔力を持っているが、

それが失われても死ぬことはない。

勤め先には常に元気な先輩がいて、

よくひじでつつかれたり背中を叩かれたりもした

 いるいる、そういう気さくな人。

……そういうやりとりが出来るのは、

多分、俺は嬉しかったんだと思う。

人間の中でなら、俺は誰かとの触れ合いを拒まなくてもいい。

それはきっと幸せなことなんだと思った。

それでも、俺はやっぱり自分を許すことは出来なかった

 それきり、ヴァニッシュが話す気配は感じられなかった。仕方がないので、彼をうながして滝の内へ戻ることにする。

 ヴァニッシュは、自分にとっての幸せの可能性を、すでに見出していた。それでも、過去の自分の罪を捨て去れないから。やはりティアーの幸せに尽くす道を選んだのだ。
 まったくもって、不器用なまでに誠実な彼らしい選択だ。それが果たして正しいことなのか、俺にはわからなかった。

 滝の裏で待っていたシュゼットは、腕を組み壁に背中の重みを預けて、どういうわけか渋い顔をしていた。

そなた……魔物は人間よりも

よほど自由で気安い生き物だと考えているだろう

まあ……どちらかといえば、そうだろう?
 森の中でその日暮らしをしている魔物達。社会の仕組みに流されるまま生きている人間。どちらが自由かと言われると、そりゃあ魔物の方じゃないかって思うけど。

違うな。魔物は人間以上に、この世界、

自然の仕組みや使命に縛られて生きている。


元より魔物は、ただ単純に「生きるために」作られた人間とは違う。

人間を生かすために生み出されたのだ。


ウンディーネも、ヴァニッシュもユイノもベルも……

そして、私も。使命に縛られて生きるしかない

みんなの、使命……
 深く追求したいような気もしたけれど――そう呟くシュゼットの表情はひどく辛そうで、見ていて痛ましい。ヴァニッシュに頼めば、きっと血反吐を吐くような思いをしてでも全てを話してくれるだろう。そんな光景がありありと想像出来て、とてもじゃないがちっぽけな好奇心などかすんでしまうのだった。
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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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