45/ 魔物達の使命
文字数 4,294文字
……それにしても、暇だ。
これまで空いた時間があればエリスかライトの指導を受けていたのだから、こう何もすることがない一日というのは随分久しぶりだと思える。
横穴の出口から足をぶら下げるように腰かけ、豊と世間話して時間を浪費する。眼下には洞窟内いっぱいに、魔物達の宴会の様子が広がっている。
滝の方へつながる通路に、ティアーと、彼女より頭ひとつ分くらい小柄な少年の姿が見えた。少年の背中からは二対の、白い、大きな腕が生えている。形状からして、腕っていうよりたぶん、あれは骨だ。彼の背丈より大きな骨。エリスがエルフの体の内側に隠し持っている骨を思い出すけど、あれと似た仕組みだったりするのだろうか。
その、骨の腕が、二本揃って手招きするジェスチャーを見せる。
豊が今も身に付けている、ヴァンパイアの保護着である黒と赤のローブをしめす。そのまま飛び降りると、どういう調整をしているのか、少年の目前にぴったり降り立つ。
背中に今日の食材を背負っているらしいティアーは、手を振りながらこちらを目指して駆けてきた。
ヴァニッシュが川岸に座って見張りをしているんだけど、
さすがに嵐がきたらあんな場所にいると危ないよ。
ベルのところに帰っていい、
って言ったんだけど動こうともしないの。
だから今夜、ヴァニッシュも
ここにいさせてもらえないかな……
ムシュフシュは、感情の見えない淡泊な表情をしているが、その瞳から力を抜かない。隙がなく、目を合わせているとプレッシャーを感じさせる。
自分より小柄な女の子におんぶされるのかー、なんて思ったのは一瞬のこと。そういった羞恥心は、魔物達と暮らす中で明らかに薄れてきた。はっきり言って俺は仲間内じゃあうんと足手まといなんだから、細かいことをいちいち気に病んでる場合じゃないんだ。
助走もつけずに足のバネだけでかなりの跳躍が可能なのは、魔物の特権だ。加えて、横穴から跳び出たシュゼットの背につかまっていると、長い浮遊感があった。ライトにかつがれて長距離の移動した時にはこうではなかったし、エリスと飛び降りてから着地するまでの一瞬の感覚ともまた違う。シュゼットは確かに、宙を浮いて自由に動けるようだった。
入った時と同じような、自動ドアの要領で滝が小さく裂けて出口が現れる。シュゼットはここで待つつもりだと言い、俺に外へ出るようあごでしめす仕草をする。
滝から表へ出ると、雨こそまだないものの空は灰色に薄暗く、しけった風が木々をざわざわと蠢かせ始めている。右手側の川岸、小石の敷き詰まった地面に腹を着けた狼のヴァニッシュが毛並みを風になぶられている。その背中には、彼の衣服が結ばれて固定したままだ。
俺達の接近がわかっていたのだろう。ヴァニッシュの視線はあらかじめ、まっすぐ俺をとらえていた。
俺は滝の轟音に負けないよう名前を叫びつつ、ヴァニッシュをめざして等間隔の岩の足場を跳んでいった。
最初に変わるのは、背中。毛並みが溶け込みなじみながら、人間の肌色が現れる。その流れは両手足につながり、最後に狼の頭が人間のそれに変化する。四つんばいの体勢で、数秒前までそこにいた狼が消え去り、人間の姿が現れる。
ヴァニッシュに関しては、必要があれば俺の前でも人間から狼、狼から人間へと変わる場面を何度もさらけ出している。けれど、俺はティアーのその場面を見たことがない。別に見たいわけじゃなし、いいんだけどな。
着替え終えたヴァニッシュは立ち上がると、無言で俺を見下ろしてくる。何か言いたそうな気もするし、そうでもないようにも見える。どことなく、心細いようにも何かを覚悟したようにも見える顔を……要するに、いつものヴァニッシュらしい、相反してよくわからない表情だった。
……狼は、物を持たない。
それでも持ち続けられるのは記憶だけだ。
ティアーにとって、敦といた日々は何物にも換えられない大切な宝物だった。
名前だって同じだ。
だから、その名前が人間の社会にあってネガティブな意味を持つとしたって、
ティアーにはどうでもいいことなんだ
……人間の島では、誰かに触れられても気にしなくてよかった。
人間も大なり小なり魔力を持っているが、
それが失われても死ぬことはない。
勤め先には常に元気な先輩がいて、
よくひじでつつかれたり背中を叩かれたりもした
……そういうやりとりが出来るのは、
多分、俺は嬉しかったんだと思う。
人間の中でなら、俺は誰かとの触れ合いを拒まなくてもいい。
それはきっと幸せなことなんだと思った。
それでも、俺はやっぱり自分を許すことは出来なかった
ヴァニッシュは、自分にとっての幸せの可能性を、すでに見出していた。それでも、過去の自分の罪を捨て去れないから。やはりティアーの幸せに尽くす道を選んだのだ。
まったくもって、不器用なまでに誠実な彼らしい選択だ。それが果たして正しいことなのか、俺にはわからなかった。
滝の裏で待っていたシュゼットは、腕を組み壁に背中の重みを預けて、どういうわけか渋い顔をしていた。
違うな。魔物は人間以上に、この世界、
自然の仕組みや使命に縛られて生きている。
元より魔物は、ただ単純に「生きるために」作られた人間とは違う。
人間を生かすために生み出されたのだ。
ウンディーネも、ヴァニッシュもユイノもベルも……
そして、私も。使命に縛られて生きるしかない