所用で里帰りしていた豊が森の館へ帰ってきた時には、少々どころではなく疲れた顔をしていた。そんな彼に事の次第を伝えるのは気が引けたので、翌日に引き延ばそうかとも思ったのだけど。俺の顔色から豊は何か進展があったのではと見抜いてしまった。おそらく、俺が豊が疲れた顔をしているなと思ったのと同じように、豊にそう思わせるような顔を俺もしているのかもしれない。
おまえのことだから、どーせそういう方向に落ち着くんだろうってわかりきってたけどな
こんな豊の台詞を、以前にも聞いたことがあるような気がする。俺ってそんなに、行動パターンが読みやすいものなのかね。
で、何があってそーいう安請け合いをしちゃったのかねー
安請け合いじゃねーよ。
約束したからには途中で投げ出したりしないって
あいつと約束した、ってのは、自分の進路を決めたってことだろ?
それを、元から深いつき合いがあったわけでもない
いちクラスメイトのために捧げちまうっていうのが、
安請け合いなんだよ。
で、そう思わせるだけの何があったっていうんだ
そうきっぱり正論を言われるとぐうの音も出ないってもんだ。
マージャ。念のため言っておくけど、
今、ここで嘘をついたりごまかしたり、
いつもみたいに適当な物言いはするなよ
そこまで空気を読まない奴じゃないと知ってはいるが、一応釘は刺しておくことにした。
俺の言葉に耳を傾けるマージャは、赤い血溜まりとなったうつろな目で俺を見上げると、一度だけ頷いた。その反動で血溜まりが決壊し、両目から赤い筋を垂れ流す。
奴の、今の状態と関わりのあることだと察しはつく。しかし、本人の口から改めて聞かされることが大事だと俺も思う。他ならぬ、マージャ自身の先程の主張と、完全に同意だった。
何事か語り始めたと同時、また苦痛の波がきたのだろう、マージャが頭を抱えてうずくまる。そんな姿を見て、ふと、心変わりをした。
ぽりぽり。頭をかいて呟くと、何か勘違いしたのかマージャは即座に面を上げる。すがるような目で見上げてくる様子は、ある意味、俺の期待通りというか予想通りというか。
ひとつだけわかってることがある。
おまえの使命――いや、願いを叶えるのに、
ソースの力が必要なんだな?
おっと、そんなつもりじゃないのに陰険な言い方になっちまったかな。マージャが首をかしげるばかりか、シュゼットまで怪訝な眼差しを向けてくる。
しかし、俺は至って真剣だった。傍目にそれはわかるのだろう、ふたり共、横槍を入れようとはしない。
ソースの力を当てにするなら、
『助けて』って言ってみせろ。
俺の力が必要なんだって、言ってくれよ
きっと意表をつけるだろうとは思ったが、俺の言葉はよほど意外だったのか、マージャは目を見開く。シュゼットは唖然とし、流れるように呆れ顔へと表情を変える。
そなた、本当にそれだけで自身の生きる道を決めるつもりか
ああ、確かに、客観的に見たら「ただそれだけ」なんだろうけど。それでも俺はまごうことなく本気だった。
四百五十年も続く強固なまじないを解き放つのは、並大抵のことではないだろう。この一生をかけて、それでも達成できないかもしれない。
家族でも、親友でも、まして恋しい相手でもない。ただのクラスメイトで、これまでの人生で出会ってきた友達のひとりに過ぎず、特別でも何でもない存在。だけど、俺は。
相手が誰かなんて関係ない。
目の前で苦しんでる人がいて、
ソースの力でどうにか出来るかもしれないって時に、
見捨てることなんか出来ない。
きっと、俺みたいなのがソースに生まれた意味はそういうことなんだ
それが、ソースとして生まれたことに対する、俺なりの答えだった。
だけど、ただひとつだけ欲しいものがある。それは、相手の明確な意思表示。助けて欲しいんだろうな、と推測は出来るとしても、一方的な善意の押し付けは自己満足の偽善だ。ソースとしての俺の力が、確かに必要だと言って欲しい。
改めて、問う。ここで、素直に「助けて」も言えないような奴なら、俺も自分の人生をかけてやる義理なんかない。また、そういう俺の気持ちにマージャが引け目を感じるかもしれない。
俺は、すでに意思表示をした。決めるのはマージャだ。
俺は、この苦しみを終わらせたい……
憎いゴブリン族のために動いてくれる奴なんて、どこにもいない……
孤島にいる同胞は、そのために努力さえ出来ない……
だから、俺がやるしかない。
……俺が、こうして人の形で生きている間に、
一族を石の呪いから解放する……
それが、俺の使命だ
言いながら、少しずつ、亀の歩くような遅さでマージャは右腕を持ち上げようとする。まるで灼熱の夏空の下、太陽の光をさえぎるように右の手のひらを天井に向けて掲げる。
おそれと、不安と、罪悪感に打ちのめされたような感情を滲ませて、それでいて震えのないしっかりとした一言だった。
どんな苦しみを受けたって、決して償いきれないことをしたって、わかってる……
どんなに虫のいいことを言ってるかってことも、だけど、俺は……
大昔に虐殺をした身で、救いを求めるのは間違ってる。マージャはそう言いたいんだろうけど。
だって俺は、おまえの一族が過去にしたことなんて、何も覚えてないんだから。
生まれ変わったら、前世のことは忘れてしまう。
それがこの世界の理なんだろう?
理は、神竜達が定めた世界のルール。罪は、来世で罰を受けることで償いとする。転生しても浄化出来ない罪や他者を犯す心は、存在そのものを抹消する。魂と肉体が分かれて転生するので、現世において前世の記憶に縛られることはない。
これらの決まりから、マージャの一族は隔離されている。絶対的であるべきはずの、世界に対しての例外。こんなのを放置しているなんて、ありがた~い神様にとっても本意じゃないはずだ。なんて、都合のいい解釈をしてみたりして。
俺は、マージャが天井に向けて掲げていた手を取った。そういえば、今のこいつに視力があるのかも怪しいところだ。こちらの表情をうかがえない相手に対し、言葉以外の感情を伝えたいのなら、こうして触れるのが手っとり早いだろう。
この力を、おまえとその使命に捧げよう。口にするには少々恥ずかしいものがある決意を、その手を強く強く握ることで伝えた。
よりにもよって、非道の限りを尽くしたゴブリン族のために生涯を捧げるなんて、
お人好しって領域を飛び越して馬鹿としか言いようがないだろ
友達のひいき目を持ってしても擁護のしようがない、俺の選択はそれほどまでに愚かしい。自覚がある以上、何を言われたって堪えやしないが。
おまえについてくに決まってるだろ。
俺も、先に死んだ仲間との約束を律儀に全うしたり、
お人好しを見捨てられないくらいには馬鹿だからな
言われてみれば。豊が俺に言ったことは、考えようによっては豊にも当てはまるかもしれないな。
次の船までには日があるだろ?
ひとつだけ、やり残したことがあるんだ。
そうだ、豊も行くか?