⑪ 夜明けの現実
文字数 2,914文字
目が覚めると、室内は薄く白んでいた。目ぼけ眼で腕時計を確認すると、まだ午前五時になる前。
分厚い木々に覆われていても、森の中に光は届くものなのかなー……なんてぼんやりと思う。そのかたわら、ベッドの横から衣ずれのような音がする。
何の気なしに、首をそちらへ傾ける。元気に左右へ振れる、ふさふさの黒いしっぽ……人間の身体にそんなものが生えていたらどうやって下着をはくんだろう……その答えは、布面積の小さいローライズを選べばいいということだったようで。その、両サイドを紐で結んで固定するタイプのそれを、彼女は右側の紐を結んでいるところだった。
夢現にたるんでいた意識が、一気に現実へと引きずり出される。この光景は、好奇心に従って漫然と眺めていていい代物ではない。
などと頭では考えつつ、結局はティアーが腕を上げて上半身に下着を着替えるところまで目が離せなかった――それにしても妙な形状をしたシャツで、後ろを裂いてあり背中が丸見えになっている。
この上なく機嫌良く振り返ったティアーの表情は、俺の様子を見て不安げな表情に転じてしまう。ああ、申し訳ないというより、よこしまな自分が憎い。
俺の顔を覗きこもうと接近してくるティアーの顔。そこでようやく目についたのが、頭の両側面に生える大きな獣耳だ。……インパクトの強い箇所に釘付けになって、見過ごしていた。
ヴァンパイアに襲われ、森の奥に建つ魔物の館にかくまわれて過ごした夜。
朝になれば、きっと昨日までとまったく違った世界を見る羽目になるだろう。漠然と、そう理解していたけれど。
別れた後に殺されたっていう非常事態に楽しく遊んでたなんて俺だって呆れる。まして、家族に一晩連絡もしなかったなんて言語道断だろう。
立ったまま俺達の話を聞いている若い刑事が合点がいったという感じに頷き、平野さんの隣に座り、向かいのティアーをうさんくさそうに投げやりに見る高橋さんがささやく。
今日、学校は臨時休校となった。うちの高校は十年以上はヴァンパイア被害がなかったし、生徒がその犠牲になったのだから呑気に授業などやっていられないだろう。
昨夜、ヴァンパイアに切断された豊の右足は現場に放置してあった。それは夜の内に発見され、鑑定結果で豊のものだと公にされた。マスコミは朝からその報道一色だったそうだ。
そんな状況にあって、昨日は朝から豊と行動を共にしていた俺が行方知らずときたもんだから、俺はヴァンパイアの住処にでも持っていかれて、お食事にでもなってるんじゃないかと思われていたらしい。そんな騒ぎになっていることも知らず、彼女の……「海月涙の家ということにさせてもらっている、住宅街にあるジャックさんの実家」で何事もなく休んでいたことになっている俺への、世間の風当たりは実に冷たかった。本当のことなど言えるはずもなく、そういうことにしただけなんだけど。騒動を知らないふりをしていただけで、ティアーは恋人でもないし。
今はこうして、少年課で三人の刑事を相手に事情聴取を受けている。とは言っても、取調室で厳重に、なんてことはなく。今回の事件の捜査本部となっている部屋の片隅で、和やかに会話しているだけ。
それというのも、俺もティアーも一切疑われていないからこその扱いだ。豊の足は骨の断面がきれいに――というのも何だか嫌な表現だけど――見えるくらい
に切断されていた。いくら包丁を使ってもおいそれと骨ごと肉を切れないように、とてもじゃないけど人間業ではありえない。物理的な事故か魔物の仕業と考えるのが普通だ。そして今回の場合、現場に事故の痕跡は塵ほども存在しなかった。
もうおじいさんと言ってさしつかえないくらいの貫禄のある平野さんが、極めて冷静に呟く。まだ名前を教えてもらっていない若い刑事の方は、心底豊に同情しているらしい。
俺は豊が生きていることを知っている。けれど、豊の切断された足がこの世に残っているということを聞かされた時は何ともやるせない気持ちになった。
ヴァンパイアになってしまった豊の、唯一残された人間だった証は、豊の死んだ証として世間に認知された。人間でなくなってしまったとはいえ、豊はまだ生きているのに。人間の社会的には完全に死んでしまったことになる。
それに、俺は豊が家に帰らなくなっていたなんて話も初めて知ったんだ。それもテレビの報道という形で。クラスメイトにとっても、豊の死、それ自体と共に青天の霹靂の事実だったはずだ。
学校の友人同士の何気ないやり取りの中では、家族に対する愚痴もよくある。そんな中で、思い返してみれば確かに豊は家族のことをほとんど語らなかった。
高校生にもなって必要以上に詮索する奴もあまりいないことだし……しいていえばうちのクラスの市野学はけっこうしつこいけれど、学校内のゴシップを面白がっているだけで家庭のことまで突っ込んできたりはしなかった。
考えながら、今朝のジャックさん達との話が思い出された。