91/ 石平原の戦い
文字数 3,859文字
通常、タイタンの巨体に体当たりしたところでびくともしない。ライトから体術の指導を受けてきた俺には、並みの人間が体術ではタイタンに手も足も出ないことを知っていた。まるで地面に吸い尽くように足の踏ん張りが強いのだ。
しかし、元よりタイタンに対抗するため開発された魔術道具であったゴーレムにとっては、また別の話だった。トールが両肩を順繰りにねじ込むよう、キリーの腹に叩き込むむと、彼女は一歩、二歩と後退する。
だが、いかんせんキリーとトールには体格差がある。キリー自身、全盛期のタイタンと比べれば十分すぎるほどに人間らしいサイズに縮んでいるとはいえ、
トールはそれ以上に人間的な身長だから、まともに取り組んで攻撃出来るのは首から下が精一杯だ。頭を攻撃しようと腕を伸ばせば、トールの腹部はがら空きになる。その隙を見逃してもらえるはずもない。
しかしながら、タイタンを本気で無効化しようと思ったら、首をへし折るか切り落とすくらいしないと不可能なのだから救いがない。分厚くひきしまった筋肉
は頑強で、多少のダメージでは蚊に刺された程にしか感じないらしい。しかも魔物の回復力、それもタイタンとなればそのダメージもまばたきの後にはなかったことになる。
要するに、こうしたトールの攻撃も、キリーにはややうっとおしいお子様のお遊びに付き合っているようなものだ。思いっきりしかめられた表情がそれをありありと裏付けている。
当然、こちらとしてもこのまま遊んでいるつもりはない。ある程度の距離、キリーを動かしたところでトールはひと跳び、退却する。単身になったキリーに、俺は密かに編んでいた火の魔術を放った。
直撃までに火の接近に気付いたキリーは、肩を軸に左半身を回すように、肘を突き出す。彼女に向かった火の中心が肘に触れると、火はあっけなく八方に散らばって消えた。全力とは言わないが、そこそこのダメージを与えるつもりで放ったそれがあっけなくかわされてしまった。意気消沈している場合じゃない。こうなることも想定して立てていた策に、トールはすでに動いているんだ。
俺に対応したキリーは、トールに右半身をさらしている。さすがにタイタン族らしく無防備とはいえず、再び接近したトールの突撃をからくもかわす。立て続けに、先程のやりあい以上の渾身の力を込めたトールの第二撃はキリーに命中し、キリーは大きくバランスを崩した。
そのタイミングを狙ったつもりで、俺は先程と同じ火の魔術を、威力を上げて放出した。しかし、所詮俺には実戦が足りなかった。狙ったつもりで微妙にタイ
ミングを外したのだろう、キリーが両手の平で岩の地面に着地して、体勢を立て直す暇を与えてしまった。猛然とした勢いで前に起きあがったキリーに、俺の火は虚しく岩の上で散った。
キリーの姿を追う余裕もなく、前方に飛び出した勢いのままに、キリーの手がトールの首を捕まえていた。
タイタンでさえそうであるように、多くの生き物にとって首は急所だ。そこをやられればひとたまりもない。しかし、ゴーレムの構造上、首をつかまえられて
もトールはまだ大丈夫だ。問題は、女性らしく細い、しかし筋肉はしっかりとついているキリーの右腕が、彼女より小柄なトールの体を軽々と持ち上げて地面から足を離されてしまったことだ。宙で足をばたつかせながら、首にからみついたキリーの指をはずそうとトールが躍起になっている。だが、絶望的にびくともしない
のが傍目にもわかった。
基本的に、トールが接近してキリーに隙を作り、俺が魔術でダメージを与える作戦だった。こうなってしまえば、俺も前に出るしかない。
俺は、ズボンのポケットに常時忍ばせている石ナイフを取り出した。初めてエメラードに来た時、船の着く浜に住むドワーフのオルンに与えられたものだ。本来、攻撃に使えるような代物ではないが、せっかく火の魔術式を刻んであるのだからと俺は攻撃に応用することにした。オルンからは、「そんなつまらんも
のをいつまでも使って、物持ちのいい奴だ」と呆れられたけどな。
岩の敷き詰められた地面なんかになじんでいるはずもない俺だが、履いている木靴にあらかじめ魔術式を仕込んでおいたおかげで、まともに歩くことは出来る。
全力で前に駆け出しながら、俺は頭の中で魔術式を描く。どこでもいい、この石ナイフをキリーの体に突き刺せば、彼女の肉の内で火が広がる。
苦しげに、しかし精一杯吐き出したらしいトールの叫びに、キリーの前で思わず足が止まる。片腕でトールを拘束しながら、彼女に隙はなかったのだ。空いている左手が俺に向かって突き出されていた。あのまま進んでいたら、俺も捕まっていただろう。
なさけなく後退しながら、俺は組み立てていた魔術式の一部を変化させつつ、石ナイフを横に凪いだ。軌道が描いた曲線を形作るように炎が具現化し、キリーを襲う。こればかりは予想していなかったのか、受け流されることなくキリーの左の手を炎が切り裂く。細い切り傷は血を流すと同時に赤黒く火傷になった。
だが……それまでだった。ここから、状況の変化はない。トールは拘束され、俺はキリーの目前で動けない。
悔しいが、キリーの言う通りだった。ゴーレムのトールと、ソースである俺ならば、単純な戦力としてはタイタンとやり合えるだろう。ただ、積み重ねてきた経験が、キリーと俺達では及びもつかなかった。それだけ。
当たり前といえば当たり前過ぎる結論に、ちくしょう、と呟く声にさえならなかった。しかしうつむいてみすみすキリーから目を離すわけにもいかず、三人共に膠着状態に陥った、その時。
キリーの左手の指先が鋭利に変化し、人差し指をくいくいと動かしてトールを招き寄せる。しっかりとした足取りで歩み、それに応えようとするマージャ。
元より、ゴブリン族にかけられたまじないは、
あのソースの死と共に消え去るものだった。
あの者が人間と共に魔物と対抗する道を選んだために、
当時のユイノに封印される結果となった。
かの者の命を代価にしたあのまじない、「封滅の式」と共にな
いつだって、苦しむ体と本心を隠してきたマージャが、繕うことなく本当の気持ちに突き動かされている。こんな姿は、今までも、これからも、そうそうお目にかかれるもんじゃないと思う。それだけ、こいつはいつだって、自分の痛みをこらえて明るく振る舞ってきたんだから。
トールに先を越されてしまったが、言われてみればその通りだ。こいつなりにあれこれ考えているってのはわかるが、一生かかってもこいつを助ける決意をした上でここにいる俺に対して、こんなに失礼なことはないだろう。
言いたいことはたくさんある。しかし、キリーはそんな時を与えてはくれない。さしたる感動も感慨もなく、彼女はマージャを仕留めようと、ゆっくり腕を持ち上げた。