44/ シュゼット
文字数 4,038文字
広く天井の高い洞窟のような空間に出ると、ある意味今日までの生涯で一、二を争う恐怖の光景がそこにあった。
洞窟内には、おおよそ人に近い姿をした魔物達が数えきれない人数詰め寄せていた。親しい同士なのか数人単位で集まって、薬草を噛んだり木の器に注いだ液体で乾杯をしている。要するにそれは宴会のような風景で、魔物達は見ていてうらやましくなるくらいに楽しげでくつろぎきっていた。
ここは昔っから、災害の時の避難場所なんだよ。
エメラードの森をしっちゃかめっちゃかにしちゃった竜巻があった時も、
ここは安全だったって伝わってる。
だからこの辺の魔物は嵐になるとここに避難するんだけど、
せっかく集まってるんだからっていっつも馬鹿騒ぎしてるの
ティアーの言葉を遮るようなタイミングで、誰かが声を張り上げた。上の方から聞こえたその声に、洞窟内の魔物達は一斉に同じ方向を見上げる。俺も彼らの目線の流れに釣られる。
この洞窟広場にはところどころ、横穴が空いている。その中のひとつに、女の子が立っていた。
黒く長い髪を右耳の下で束ねている。上半身はゆったりとした布でくるみ、下は大きな鳥の赤と黒の羽根を幾重に重ねるようにした、独特のスカート状になっている。人間の島ではまずお目にかかれない奇抜ないでたちではあるが、それ以外は特に何もなく人間そのものといった容貌をしている。
外見としては俺や豊と同年代の少女と代わりない。細身ではあってもしっかりと引き締まった筋肉の感触が見られるティアーと違い、少女の全身の輪郭はひたすらに華奢だった。
それぞれ両傍に立つティアーと豊の表情を確認する。ふたり共、俺の力を信じてくれているのが伝わった。
俺とティアーと豊以外はみんな腰を下ろしたり横になったりしているので、自分の目の高さからおよそ一メートルの高さがあれば事足りる。そう判断して頭の中で魔術式をたどると、俺自身を囲んでいたエメラルドの光が広がった。ドーム状に拡大した光に包まれて、魔物達が歓声を上げる。
イメージするのは、初めて魔術を放った時のこと。今も腰に下げている、オルンがくれた石ナイフに刻まれた火種を魔力の制御も何も知らずぶっ放したあの時のように、無心に魔力を解放しよう。
フェニックスは胸の高さに人差し指を掲げ、左から右へ流す動作をした。ぽとり、線香花火の火種が落ちるようなしずくが出たと思った瞬間にはもう燃え上がっていた。洞窟の天井が見えなくなるような視界いっぱいの炎の波が押し寄せたかと思えば、やはり燃え盛った状態の花火をバケツの水につけた時のように、魔術壁に触れたとたんにあっけなく散った。一瞬の静寂の後、魔物達の大喝采によって俺は緊張が溶けた。
先ほどの獣、ムシュフシュがこちらへ歩み寄ると、尖ったしっぽの先で自分の背中をしめしている。乗れ、ってことだろうか。そう思ってそいつの背中にまたがると、ひと跳びでフェニックスのいる横穴に到達した。肩に乗るサクルドがさりげなく、ちゃんとつかまった方がいいですよと知らせてくれなかったら、振り落とされていたかもしれない。
遥か下から、ティアーが抗議の声を上げている。
ムシュフシュの背中から降りると、横穴の天井は俺の身長スレスレの高さしかない。俺より少し背丈のある豊だと、腰を屈める必要がありそうだ。天井は低いがそこそこ広さがあるのであまり窮屈さはない。数人で休んでも余裕があるだろう。
一転して心から詫びる、優しい声色。そんなフェニックスの態度に釈然としないものは感じながらも、しぶしぶといった調子でティアーは彼女の指示通りに出かけていく。
そんなティアーを見送ってから、フェニックスは横穴のどん詰まりまで歩く。腰を落とし、背中を壁に落ち着かせる。やや険悪な表情で俺を一瞥すると、無言で手招きした。
ティアーもいない、豊はまだこの横穴にたどり着いていない。ひとりで判断しきれずに、所在なく立ち尽くしていると。
あきれるような、またちくちくと挑発的なフェニックスの声が投げられる。俺の横にいたムシュフシュが無言で彼女のもとへ歩み寄り、その膝の上にあごを落ち着かせる。狼のティアーと何ら変わらないしぐさにほんの少し気持ちが安らいだ。
彼女の目の前に腰を下ろし、挨拶をしようとして、先ほどあんなやりとりをしたのに「はじめまして」は不自然なように思った。おまけに、相手は俺の名前を知っているらしいことも思い出す。ティアーの友達ってくらいだから彼女との会話で知ったのだろうか。
ティアーという名はそなたが野良狼に付けた名だろう。
人間名に当てはめると、それが『涙』なのだ。
くらげというのはそなたがアレに好きだと吹聴したのだろう?
さしものエリスもくらげはあんまりだと説いたのだが、ティアーは折れなかった。
妥協案として『みつき』と読ませることにしたのだ